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12 灰色のティーン・スピリット

■9月10日①

 学校帰りに油断して歩いていると、聞き覚えのある声が後ろからやってきた。

「祐樹、今帰りなの?」

「え? ああ、なんだマリか」

「なんだって、ひどいね。その言い方は傷つくわ」

「じゃ、本当に傷つけちゃったときには謝るよ」


 歓迎会の日から、自然と絵里を避けるようになってしまった。にも関わらず、絵里は少しずつ僕の日常に浸食している。バイト先に選んだのは僕の行きつけの本屋だし、夕方にちょくちょくスーパーで出会うこともある。家まで本を借りに来ることも。そしてたまに、何気ない時に、マリと入れ替わっている。

 僕はというと、相変わらず思考の袋小路に入ったままだ。

 絵里の笑顔を見るたびにそれが誰から与えられたものか気にしてしまうし、話すたびに山田の名前が出ないかびくびくしてしまう。何気ない会話で、今までと違って胃を茨で締め上げられるような痛みがやってくる。


「なんだか最近元気ないね。少し話でもする?」

 迷っている僕を見て、マリは「大丈夫よ、今日は()の日だから」と言う。その言葉に背中を押されて、誘われるまま近くの公園へと向かう。

 あの夜とは逆に、二人分のコーヒーを買うのは僕だった。

「まさかマリから慰められるとは思わなかったよ。どういう風の吹き回し?」

「別に。私に何か聞きたいことがありそうだったから」

 大当たりさ。ここ一か月で頭の中をぐるぐる回っていた疑問はいくつもある。でも本当に重要なのは、何を聞くかじゃなくて、なぜ聞けないかだ。

 悔しいけれど、絵里には聞けなくともマリには聞けることがある。僕が一番気軽に話せるのは、絵里でも茜でもなく、マリなのだ。

「山田と別れて、僕と付き合う気は無いんだろ?」

「あら、そんなの茜さんに悪いわ」

「思ってないくせに」

「思ってるわよ、本当に。でも、そんなことどうでもいいじゃない。私にとって、誰と付き合うかなんてたいした問題じゃないの。前に話したことがなかったかな? 人は、他人から思われるから存在できるのよ。今、祐樹は私のことを考えてるでしょ。それが重要なの。想いが良いか悪いかなんて二の次だわ」

 マリが言う「そんなこと」というのは、一体何を指すのだろう。引っかかるけれど、考えるのは後回しにする。僕はマリの言葉を一ページも漏らさず記憶してやろうと必死だった。


 マリは僕に「私と付き合いたいの?」と聞いた。

「絵里とならね。でもマリのことも嫌いなわけじゃない。むしろ好きだ、と思う」

「じゃ絵里と付き合っても、私のことを覚えていてくれるの?」

「当たり前だよ。忘れられるわけないじゃないか」

「うそよ」

「うそじゃない」

「だって、今の祐樹って、付き合ってる茜さんのことをさっぱり考えてないじゃない」

「――それは」

「うふふ。フォークト=カンプフ検査(テスト)だったら、殺されちゃってたね」

 マリは笑っていたが、あまりにも的確に虚を突かれた僕は、否定することすらできなかった。

「冗談だよ。でも祐樹って、今の関係のほうがずっと私のことを考えてるでしょ? もしこの先、私のことを忘れそうになった時には、付き合ってあげる」

 また茨が、胃のあたりを這いまわり始めた。掴まれ、雑巾のように乱暴に絞られるような感覚が来る。鼓動がバカみたいに大きくなる。

「山田と、その、何かした?」

 情けないくらいに声がかすれている。自分でわかるくらいだ、マリにもきっとばれている。

「知りたいんだ。聞いちゃっていいの? もっと私と――じゃない、絵里と付き合うのが遅くなるわよ?」

 聞いたら最後、今までの関係に戻れなくなるのはわかっている。

 歓迎会から一か月だ。いくら絵里が控えめだからって、二人の関係が何も進んでいないと信じるほど僕は間抜けじゃない。けれど。

 自分でも未練がましいと思ってる。でも、はっきりと聞くまでは希望を持ってたっていいじゃないか。


「いや、いい。聞きたくない」

 僕は逃げ出した。

 答えを聞くのが怖くなったわけじゃない。いや、怖いのは本当だけど。

 それよりも嫌気がさしたのだ、一時の好奇心に負けて希望を手放そうとしている自分に。



■9月10日②

 マリと別れてわずか二時間後、僕は懲りずに茜のベッドの上にいた。田舎を出て、僕もずいぶん狡くなったものだ。

 ラリー・ニーヴンをぱらぱらめくる僕の隣で、茜はポッキーをかじりながらマンガを読んでいる。

 絵里に会いたくなかった。アパートにいれば、やってくるかもしれない。今一番聞きたくないのはドアのベルの音で、二番目は携帯の着信音だ。


「絵里ちゃんのこと、まだ好きなんでしょ?」

 ページをめくる指が凍り付く。ようやく僕にもわかりかけてきたんだけど、女性っていう生き物はダイレクトメール並の気軽さで死刑宣告を出してくるんだな。

「わかるの?」

「え、わからないと思ってたの?」

 思っていた。

 茜といるときは、絵里への気持ちを脳みその奥に押し込むんだ。別にだましているわけじゃないけど、僕は僕なりに茜に真摯に接していたつもりだったから。茜に甘えながら絵里のことを考えるのが不義理だってことくらい、僕にだってわかっている。

 それなのにこれだ。ここ一か月の自分の苦労はなんだったのかと、ため息が漏れる。

「ごめん。僕ら、もう別れたほうがいいかな」

 あれから一か月たち、茜とは何度も体を重ねた。親御さんに挨拶もした。

 はっきりと確認したわけじゃないけど、客観的に見ると僕の恋人は間違いなく茜だ。茜からすると僕が未だに絵里を引きずっているのは不愉快だろうし、愛想をつかされるのも仕方ない。


 だが、茜の反応は僕が想像していたものと全く違う。急に身を乗り出してベッドに手をかけると、目を丸くして聞き返してきた。意外にも泣きそうな顔をしている。

「は? 別れるって、絵里とこっそり付き合ってたの?」

「え? 違うよ、僕と茜の話」

 どうやら茜はそこでやっと、茜は自分のことだと得心したようで、

「――ああ、そうなんだ。ごめん、勘違いして。祐樹って私を彼女として見てくれてたんだね、ありがと」

「なんだよそれ、それなりに覚悟して言ったのに」

「あはは、ごめんね。でもさあ、祐樹ってなんでそんなにゼロか百かで考えちゃうかなあ。私は別に気にしてないわよ。だって祐樹、真面目だもん。浮気なんかできないでしょ?」

 決めつけるような言い方に悔しくなって反論する。

「するかもしれないじゃん」

「できないわよ。どうせ一回エッチしたら、怖くなって結局戻ってくるから。そういうのは浮気って言わないわ」

「一回してるなら、浮気じゃん」

「違うわよ」


 強いなあ。マリにしろ茜にしろ、自分は一生女性には勝てないんだろう。

 結局誰しもが恋愛という言葉を言い訳にして、甘えられる人を探しているのだ。何に甘えるかはそれぞれだけど。心だったり、体だったり、時にはお金だったり。

 僕にとっては一人で立っているのが辛いとき、傍にあった杖が茜だった。絵里の杖は、マリだった。そして今は、山田なんだろうか。

 それだけのことだと割り切ってしまうほど、僕は大人ではなかった。

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