11.5 駅横のバーチャル・インサニティ
完結後に加筆しました。
このお話は当初、入れるかどうか悩んで、結局入れなかった部分です。
せっかくですのでデザート代わりにお召し上がりください。
■8月6日
山田は朝から悩んでいた。折りたたみの携帯をぱかぱかぱかぱか、開いて閉じてを馬鹿みたいに繰り返し続けている。
悩みの原因は、もちろん絵里だ。彼女のもう一つの顔を見てしまったから。
あの日の会話の一片一片は、深く山田の心に食い込んでいた。絵里に夜の海のような不安さを感じたのは事実だけれど、それでももう少し話してみたいという興味もある。
歓迎会の日から二日が過ぎ、今日で三日目だ。絵里とはあれっきり、電話番号は交換したものの、何も連絡はしていない。当然、向こうからも。
いい加減なにか話をしたいと思っているものの、どう切り出すものかで悩み続けている。どうせ考えても答えなんか出ないし、思っている通りに会話が進むわけもないのだけれど。
結局は出たとこ勝負で、どう転ぶかは日頃の行いなのだ。
数回のコールを待って、「もしもし」という声が返って来る。
少し身構えて山田は言った。
「ああ、オレオレ。山田だけどさ」
「あ、電話してくれたんだ、ありがとう。で、お金はどこに振り込めばいいの?」
「いや、そんな冗談はいいから。ええと、デートに誘おうと思って電話したんだ」
「デート? いいけど、どうして?」
絵里の声は記憶よりも明るかった。少しだけ安心したものの、絵里の問いにはたと立ち止まる。
どうして、か。ずいぶん哲学的なことを聞かれたものだ。人はなぜデートをするのか。
もっとも絵里はそこまで深く考えていないようで、「うふふ、どこに行こうか?」と山田の答えを待たずにかぶせてきた。
山田も、この答えまでは用意していた。
「そうだな、無難に映画でいいんじゃねえ?」
「もう何か準備してるの? 予約とか」
「いや、まだ全然」
んー、と少しだけ考えてから、絵里は言った。
「じゃあさ、今日午後からちょっと行きたいところがあるんだけど、いいかな」
「え、今日の?」
「そ、今日の午後。だめ?」
突然ではあったけど、山田に異論はない。むしろ行先を迷わなくて良いので助かった。
二時間後、山田と絵里は駅前で待ち合わせた。
緊張する間もなく時間は来る。さすがの山田も、今日は遅刻しない。
「お待たせ。で、どこ行くんだ?」
「ふふ、山田くんがいつも何して遊んでるかが知りたいわ」
「は? 俺が?」
「そう。趣味というか、いつも遊んでるところに連れてって欲しいな。最初に映画とか言ってたし、映画好きとか? インドア派ってことなら、家でもいいよ」
「ええと、そうだなあ」
ちらりと横の駅を見る。映画館なら駅の中にも入っているけど、正直あまり趣味じゃない。特に女と見るようなロマンチックなやつは。
「どうしたの?」
「いや、いつも遊んでるって言うならゲーセンだけど、大丈夫か?」
「いいよ、行きたい。駅にあるの?」
確かに駅の構内にゲームセンターはあるのだが、あれはファミリー向けのぬるま湯だ。山田が行きたいのは戦場だ。
少し歩くぜ。山田の言葉に、黙って絵里はついていく。
川べりにある、アーケードゲーム中心のゲームセンター。今ではこのスタイルの店舗は絶滅危惧種だ。
「へえ、けっこう暗いんだね。なんだか怖いな」
絵里は楽しそうに言った。山田はメインフロアのメダルゲームには目もくれずに階段を上がっていく。
怖がっているのはむしろ山田のほうだろう。彼は女の子どころかジャバウォックでも連れているような気分で歩いている。
手早く両替を済ませ、ある筐体の前で立ち止まる。
「何て読むの? ええと、イスプ……」
「エスプガルーダってシューティング。ええと、飛行機に乗って敵をやっつけていくやつ」
「へー」
山田がコインを投入する。効果音と共に切り替わる画面。山田が女性のキャラを選ぶと、そのままキャラクターは宙を飛び始める。
「飛行機じゃないじゃん」
「ゲームをやらないやつに説明するのって難しいんだよ」
山田はぶっきらぼうに言うが、仕方ない。戦場で言葉を選んでいる余裕はあまりないのだ。
様々な色のポルカドットが画面を彩り、山田はそれらを華麗に避けていく。
「ふうん、すごいんだねえ。後ろの背景とかうねうね動いてて、こういう世界って好きだわ」
「お、わかる? これは家庭用じゃ味わえねえからな」
適当なところで死ぬ山田。コンティニューをスキップすると次に行く。
「ここらへんに置いてるやつは、どれでも好きだぜ。ゲームの感じは全部一緒だけど」
「へー。これって何て読むの?」
「怒首領蜂大往生。昔からハマってずっとやってたのはこっち、今メインでやってるのは、さっきの」
「こっちは? これなら可愛いし、私でもできるかな」
「ああ、いいけど、自機はカブトムシだぜ。それも同じメーカーだから、似たような感じ」
「ちょっとやってみていい? 教えてよ」
「難しいぜ。こっちは押っぱなしで大丈夫。こっちで操作。ピンクのが飛んで来たら全部避けて」
「ひゃっ!」
「うわっ、また死んだ」
「何、今の当たってなかったじゃん!」
一人死ぬたびに笑いながら飛び跳ねている絵里。
「やべえな」
山田は小さくつぶやいた。
ねじれ曲がったジャバウォックだと思っていた絵里が、暗い沼地の中ではしゃいでいるのだ。目を白黒させて。
それを見ながら、急激に絵里に惹かれていくのがわかった。
最初に見たときの可愛いだけの絵里だったら、ここまで惚れていただろうか。すでに惚れてしまった今となっては、それを考えることに意味はない。
「どうだった?」
「私には無理だわ。でも楽しかった!」
「一日でどうこうできねえよ」
「そりゃそうだね。少しずつ進めるようになってくのかな。また連れてってよ」
「ああ」
ベンチでジュースを飲みながら、絵里は聞く。
「ねえ、次いつ会えるかな」
「え? あー、ええと」
山田はバイトのシフトを頭の中で並べて考える。大学の予定なんか気にも留めないところが、やはり山田だった。
「次のお休み。いつでもいいよ」
「じゃ、明日の昼間かな」
「じゃ明日も駅前ね。明日は私の好きなお店に付き合ってよ」
「いいけど、どこに行くの?」
「本屋さんかな、駅出てすぐにあったよね」
「もしかしてブックオフ?」
絵里はにっこりと笑ってうなずいた。
絵里が読書好きなのは知っていたが、山田の中ではブックオフはマンガ屋のカテゴリだ。絵里とは結び付かなかった。
「ツタヤとかじゃなくていいの? まあ、安いし、俺は好きだけど」
「んー、普通の本屋さんも悪くはないけどね、そういうところって新しい本は置いてあるけど、ちょっと昔の本とかってなかなかないんだよ」
「取り寄せとかすればいいじゃん」
「だめだめ、たまたま出会うのがいいんだから」
「オレたちみたいに?」
「お、山田くんにしては、気の利いたセリフだ」
絵里はそのまま歩き出す。はぐらかされたのか何なのか。山田にはわからないまま。
帰り道、絵里は山田に聞いた。
「今日はありがと。少しうちに寄ってく?」
「ああ、そうする」
歓迎会から三日しか経っていないが、あらためて見ると殺風景な部屋だった。家具がまだ揃っていないからかもしれないが、おそらく物自体が少ないのだ。あの時は三人いたから、さほど気にならなかったけれど。
そうだ、あの時は三人でいたんだ。
そう思うと、山田は部屋を見渡すのをやめた。あいつのものが置いてあったらどうしようかと、身構えてしまった。
そんな山田の緊張も知らず、絵里はヤカンで湯を沸かしながら聞いた。
「コーヒーでいいかしら」
「ああ」
「楽しかったよ、今日はありがとう」
「いえいえ、別に。たいしたことじゃねえよ」
唐突に絵里は言った。
「お湯が沸くまで、キスでもしとく?」
山田はぎょっとして、反射的に断った。
「いや、いいよ。なんか、そんな気分じゃないから」
悩んでいる。迷っている。絵里ともっと深い関係になりたいけれど、本能的なところで不安も感じている。
どうしようもないくらい絵里に惹かれてはいるのを自覚していたが、このままでいいのかとも悩んでいた。
今ならまだ戻れる。そして祐樹に言うのだ。「一回二人でゲーセンに言ったんだけどさあ、やっぱりオレには合わなかったわ」と。
――だが。
「私がしたいって言っても?」
その一言は、山田の心をぶち壊すのに十分だった。
山田は悩みつつも、手を伸ばして絵里を抱き寄せようとする。
絵里は両手でそれを遮り、意地悪く笑う。
「だめよ。そんな気分じゃないんでしょ。言ったと思うけどな、なりふり構わない人が好きだって」
「気が変わったって言っても、だめなんだろ?」
「そうね。口だけじゃダメかな。本気で私のことを思ってくれて、私も本気になっていいやと思えたら、試しにキスしてみましょ」
「へんなの」
「そうだね、へんだよ。正直に言うとね、私、恋愛経験ってないからよくわかんないのよ。子供なのよね。社会経験ってやつもないし。ちょっと意地悪く言ってみたけど、背伸びしちゃっただけよ。でもさ、不可逆性ってあるじゃない。一度しちゃったらする前には戻れないから、流れでしちゃうのはちょっと迷うかな」
「なるほどなあ。何か意味があった方がいいのかな」
「まあ、ねえ。何か意味を作った方がいいのかもしれないね」
そうつぶやいた絵里は、寂しそうな顔をしていた。
インスタントコーヒーの香ばしい匂い。おそらく開封したばかりなのだろう。
少しだけコーヒーに口を付け、カップを置き。山田は意を決して口を開く。
「なあ、なんで祐樹の前では猫かぶってんの?」
ぴくりとマリの眉が動いた。
「祐樹は私のことをよく知ってるわよ。知ってるなら、猫とは言わないんじゃないかな?」
「知ってるって?」
怒っているようには見えないが、少しだけ、絵里の声はほんの少しだけ低くなった。
「ねえ、山田くんって、お母さんのことを何て呼んでるの? ママ? それともお母さん?」
「え、普通に、お母さんかな」
「お母さんの呼び方って、なかなか変えられないじゃない。うちのお父さんはおばあちゃんのことを「おふくろ」って呼んでたわ。いつ変えたんだろうね? ママって呼ぶのに慣れちゃった男の子は、いつ大人になれるんだろうね。前に山田くんは言ったでしょ、何のために生まれたかの意味なんてないって。それと一緒よ。ついやっちゃったことに、意味なんてないわ」
絵里の言葉一つ一つが、山田をえぐっていく。
ああ、あの時の絵里ちゃんだ。
それは喜びでもあったけれど、同時に諦念からくる寂しさも感じていた。絵里のこの表情を引き出したのは自分ではなくて、祐樹の名前を出したからだと、わかったから。
「大人かあ。大人って、なんだろうなあ」
少なくとも母親の呼び名でどうこう変わるわけではない。とはいえ、一度ママと呼び始めたら、死ぬまで変えちゃいけないってのか?
「どこから変わるんだろうな」
「少なくても、死んだらママからマミーに変わるわね」
絵里はくすくすと笑っている。薄赤い唇から不謹慎な冗談が出るのを見て、山田は、もう戻れねえんだろうなと感じていた。




