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2:シュメールは女神と言わせたい

 大広間では魔族達が集まって会議を行っていた。

 そんな中に混じった”おむつ”が一匹。


 オレサマ、オヤツ、ヒトリジメ。

 魔族の会議に強制参加となってしまった子供の魔獣の様子を一言で表すなら、まあそんな感じだろう。


 亜人や人間向けのおやつが珍しかったのか、”おむつ”はそれをせっせと口の中に運んでいた。

 相変わらずシュメールが離してくれないので、テーブルの上のおやつは全て彼女の前に集められている。


「でも本当なんだろうな? アベルが終末の地にいるっていうのは」


 カルクは疑うような視線をシュメールに向けた。

 他の魔族達も釣られて彼女を見た。


 その胸元で絶賛おやつタイム中の”おむつ”がどうしても視界に入ってしまうが、今は無視だ。


「ええ。剣があるのは間違いなくそこです。起動状態が続いていることから推測するに、アベルさんもまだ生きてそこにいるはずです」


「そうは言ってもなあ……」


 魔族達は互いに顔を見合わせた。


 終末の地。

 それはこの世界の最南端にある死の領域である。


 毒性の強い瘴気で覆われているため、生者が長期間に渡って活動することは極めて困難。

 そこに誰かが住んでいるとは誰も思っていなかったし、現時点でも思っていない。


 確かにそこを拠点に出来れば有利だと理解しつつ、しかしそんなことが実現可能かと言われれば、可能性を肯定する者はいなかった。


「剣だけってことはねぇのか? 壊れかけてるとか」


 ルッカはそう言いながら、”おむつ”の前に並んでいるおやつをこっそり一つ取った。

 魔獣はすぐにそれに気がついたが、特に気にする様子もなくおやつをモグモグする作業の継続を選択した。


 大丈夫、”おむつ”はおやつの一個ぐらいで怒ったりはしない。


 ……話を戻そう。

 ルッカも女神の意見には懐疑的だった。


 先の戦いでアベルの聖鎧は壊れていたはずだから、聖剣だって半壊して誤動作していてもおかしくはない。

 いや、むしろアベル以外の誰かが聖剣を起動している可能性だって考えられる。


 当初はカインが最後の一人だと思われていた赤い瞳の一族は他にも残っていたし、一本だけだと思われていた聖剣に関してもまた然り。

 他にも勇者がいたって不思議ではない。


「アベルさん本人の姿は確認出来ませんでしたから、その可能性もなくはないかもしれません。ただ、アベルさんを連れ去った首謀者の男の反応は間違いなくそこに」


 シュメールは隙あらば逃げようとする魔獣を抱きしめながら、エイリークに関する記憶を呼び起こしていた。

 彼女が確認できた反応は、正確にはエイリーク本人ではなく彼に埋め込まれた赤のタリスマンのものである。


「アベルのやつ、息してるんだろうな?」


 ルッカは試しに自分の息を止めてみた。

 カルクは彼が何をしているのかわからなかったらしく、不思議そうな表情でそれを見ている。


「……ふぅーー。無理だなこりゃ」


 きっと終末の地の奥は空気が綺麗だとか、ガスマスク的な物をつけられているに違いない。

 ルッカはそう結論した。


「なにやってるんだお前は……」


 ルッカの行動の意味をようやく理解したカルクは、大きな溜息をついた。

 だがティナとシュメールの方を確認していなかった彼は、その行動がまだ時期尚早であることにまだ気が付いていない。


 そうだ。

 危機が過ぎ去ったと思い込んだ時、人は最も大きな隙を見せる。


 彼は甘く見ていたのだ。

 ルッカ以上に注意が必要な、二人の存在を。


「……ぷはっ! 確かに無理ですね! 息止めるの!」


「いや全くですね! シュメールさん!」


 カルクの視界の外で、シュメールとティナが大きく息を吸い込んだ。


「お前達もか」


 話が進まない。

 カルクはアホの子達をぶん殴りたい気持ちを抑えるため、お茶を飲んだ。


 ……”おむつ”がこちらを見ている。


 カルクと魔獣の席はテーブルを挟んでほぼ正面。

 二人の視線が正面からぶつかった。


 ……”おむつ”がお茶を飲んでみたそうな目でこちらを見ている。


「……」


 カルクは無言の圧力に負けた。

 彼はおやつの無くなった皿に自分のお茶を注ぐと、それそのまま”おむつ”に差し出した。


「とにかく、問題はアベルだ。本当に終末の地にいるとして、助けに行けるものなのか……?」


 カルクは半信半疑と共に顎を撫でた。

 亜人の領域は北方だから、南にある終末の地を直接確認した者は少ない。


 しかし尊敬される亜人の先人達が口を揃えて『近づくな』と言っていたのは事実。

 実際、これまで何人もの探検家達がその前人未到の領域に踏み込んだが、殆ど情報を持ち帰ることなく終わっている。

 

 というよりも、そもそも生還した者が殆どいない。

 それだけ瘴気が強力だということなのだろう。


 場合によっては敵と戦う前に全滅する。

 カルクがそんな未来を考え始めた時、大広間の扉が開いた。


 おかしな話だ。

 魔族は既に全員この会議に参加しているから、追加の参加者などいないはずだ。


 ……もしかすると敵襲かもしれない。


 そう感じとった魔族達は静まり返り、それぞれの武器に手を伸ばした。

 ルッカ達もまた、先ほどとは違う理由で息を止めた。


 全ての視線を集め、滑らかとは言い難い音と共に扉が開いていく。


「……なんだ、カインかよ」

 

 扉の向こうにいたのはカインだった。


 安堵した一同。

 ルッカも再び息を吐いた。


 ……が、しかしそれに対するカインの反応は期待通りではなかった。


「お前たち……、俺の事を知ってるのか?」


「……は?」



 カインが登場したことで、会議は一時中断となった。

 いや、正確にはカインが記憶を部分的に失っているのが発覚したことで、会議は一時中断した。


 今は椅子に座らされたカインの周囲にみんなで集まり、シュメールが体調を確認している。


「カインさん。この指、何本に見えますか?」


「三本だ」


「私は?」


「ポンコツだ」


「うーん……。やっぱり頭がおかしいみたいですね」


 シュメールは深刻そうな顔をしてカインの額に手を重ねた。

 横にいた子供の”おむつ”は、『おかしいのはお前の方じゃないんか?』と言いたげな目で彼女を見た。


 そして椅子に座らされたカインの前に、『お前も大変やな。ワイのおやつ分けてやるから元気出せや。うまいで?』と言わんばかりにおやつを差し出した。

 カインの方が年上のはずなのだが、子供の魔獣はもう完全に先輩気分である。


「おい、このやり取りをあと何回続ける気なんだ?」


「この指は?」


 シュメールは不意打ち気味にキラッとアイドル的なポーズをとった。

 ちなみにこの世界にはそういう類のビジネスは存在しないので、周囲にはアホが急に変な構えをしたようにしか見えていない。


「二本」


 そしてカインは動じること無く冷静に答えた。


「じゃあ私は?」


 シュメールがカインに何と言わせたがっているかは明白である。


「ポンコツ」


 しかしカインはとても正直な人間なので、彼女の質問に対して正直に答えた。

 そう、カインはとてもとても、それはもう本当に大変なぐらい正直な人間なのである。


「……違います。もう一回。これは?」


「五本」


「この子は?」


「”おむつ”だ。小さいから子供だな」


「じゃあ私は? ヒント! 最初は”め”! 次は”が”!」


「メガポンコツ」


「なんで?!」


 シュメールの反応に励起されたかのように、周囲が耳打ちを始めた。


「……なあ、違うのか? 俺、正解だと思ったんだけど」


「俺も」


 てっきりカインの答えが正解だと思っていた魔族達も困惑しているようだ。

 当然、シュメールにもそれは聞こえている。


「じゃあ答えはいったい……」


 魔族達もカインと一緒になって正解は何かを考え始めた。

 ”おむつ”も首を傾げている。


「ぐぬぬ……」


 シュメールは少し涙目になっていた。


 何がなんでもカインに女神と言わせたい。

 そんな思いが断固たる決意へと変わっていく。


「全然話が進まねぇじゃん。俺、ちょっと一服してくるわ」


 ルッカは溜息をついて部屋を出た。

 この様子だとしばらく抜けても問題はなさそうである。



 ルッカは厨房で酒と干し肉を調達して王宮の外庭に出た。

 ここ最近続いた戦いの影響なのか壊れている箇所が多く、所々に血が広がって固まっている。


 彼は猫の亜人らしく身軽な動きで壊れかけた石像に腰掛けた。


 周囲には誰もいない。

 地平線に現れた夕暮れは、いつも通りに静寂の来襲を告げている。


「あぁー」


 息を吐きながら、ルッカはゆっくりと背伸びをした。

 と、その時だ。


 突然、ルッカの視界が揺れた。

 いや、彼の認識する世界全てが揺れたと言うべきか。


 それは胸を中心に、まるで後ろから彼を後押しするかのようだった。


「……?」


 痛みは人を生存へと駆り立てる。

 だとすれば彼が即座に痛みを感じなかったのは、死以外に進む道が残っていないことを体が既に理解していたということか。


 突然の事態に混乱したルッカは、視界の下端に夕日を反射する金属がいるのを見つけた。

 胸から生えたそれが剣の刃であることに気がついてようやく、彼は自分が何者かに攻撃されたことを理解した。

 

 そう、背後から剣で胴体を貫かれたのだと。

 

「なん――」


 思わず声を上げそうになった青年を待ってくれるほど、この世界の時間は良心的ではない。


 言葉を発し終わるよりも前に段階は次へと進み、激痛がルッカの全身に広がっていく。

 喉が締り、肺が吐き出そうとした声の全てが止められた。


 指を少し切っただけでも体が反射的に大きく反応するというのに、それが生存に必須である心臓への致命傷となれば尚更だ。

 体の自由など効くわけがない。


 ルッカは硬直したままの体で崩れ落ちた。

 彼が自分の背後に誰かの存在を感じとったのは、ようやくその時だ。


 そう、自分を攻撃した相手はすぐ後ろにいる!


(敵?! 何だ?! 誰だ?!)

 

 猫の亜人は比較的索敵能力に優れている。

 そのルッカに全く気が付かれることなく背後まで近づいたとなれば、その隠密性はもはや常軌を逸した水準であることは明らかだった。


 倒れた彼は信じられないといった表情で相手の顔を確認しようとした。

 しかし自由の効かない体では視線を向けるだけで精一杯だ。


 そしてルッカは見た。

 一切の肉が存在しない男の顔を。


 スケルトン。

 ルッカは初めてそう呼ばれる存在を自分の目で見た。


「お前は……」


 ……だがそこまでだ。


「やはり亜人は生命力が強いな。人間ならもう死んでいる」


 それは男の声だった。

 まるで善意も良心も感じられない、男の声だった。


 ”暗殺者”はルッカの頭を片手で掴むと、一切の遠慮なく持ち上げた。


「亜人の姿を奪うのは初めてだが……。まあなんとかなるだろう」


 周囲には誰もいない。

 最後の一撃が訪れるよりも先に、ルッカの意識は永遠の闇へと飲み込まれた。



「この子は?」


「ティナだ」


「じゃあ私は? めが?」


「眼鏡を掛けたポンコツ」


「そこじゃない! 確かに掛けてるけど!」


 大広間では相変わらずのやり取りが続けられていた。

 見慣れない動きをするシュメールと、それを早くも覚えて真似し始めたティナ。


 そんな三人を見ながら、カルクは”おむつ”と一緒におやつを食べていた。

 既に他の魔族はみんな帰ってしまったらしく、残っているのは彼らだけだった。


「ん? なんだルッカ、もう戻ってきたのか。早かったな」


 カルクは猫の亜人がやってきたのに気がつくと、残っていたおやつを彼に向かって一つ放り投げた。


 ダイレクトキャッチ。

 受け取ったルッカの様子に違和感は無い。


「みたいだな。もっとゆっくりしてれば良かったぜ。この様子じゃ、もしかして明日の朝までかかるんじゃねぇか?」


「かもな。……仕方ない、話し合いの続きはまた明日にするか」


 カルクは”おむつ”と一緒に立ち上がった。

 シュメールに連れられていた時は心底迷惑そうだった魔獣も、彼には素直に付き従っている。


「あ、じゃあ私も! 夕食の準備手伝わないと」


 シュメールからアイドルチックな動きを学んでいたティナも切り上げることにしたらしい。

 しかしその横では未だにカインとシュメールの押し問答が続いている。


「目が悪いポンコツ」


「一歩後退してる!」 


 三人と一匹は、叫ぶシュメールと心底困った様子のカインを置いて部屋を出ていった。

 ルッカの口元に僅かな笑みが浮かんでいたのは、女神を嗤っていたからか、あるいは……。

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