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1:逆光源氏計画

 他に誰もいない王宮の図書室で、シュメールは現状の整理とこれからのことを考えていた。

 誇り被った部屋の中にいるのは彼女と子供の”おむつ”が一匹だけだ。


 大人の”おむつ”と違ってまだ両腕で抱えられるぐらいの大きさしかない小さな”おむつ”は、女神の手から逃げ出そうと時々抵抗を試みている。

 しかしシュメールは逃がすまいとギュッと掴んで離さない。


 逆光源氏計画。


 とある世界風に言えばそういう類の目論見の下で、大人の”おむつ”達に見向きもされない彼女はまだ子供の”おむつ”の取り込みを図っていた。

 子供の段階から自分の存在を刷り込んで懐かせようというわけだ。


 用意は周到。

 問題があるとすれば、その子供からも既に嫌がられているということぐらいか。


 端的に言って、もう手遅れである。


 まあそれは置いておいて、女神は無垢な”おむつ”を抱き枕にしながら紙に情報を書き並べて整理していた。


(戦いが終わってから今日で三日目……。カインさんは意識不明で目覚めないまま。連れ去られたアベルさんの行方はわかったけど、迂闊に手を出せる場所じゃない。……相手の戦力的にも)

 

 聖女軍との戦いは敵の全滅で終わった。

 問題は終盤になって介入してきた者達だ。


(吸血鬼……。あれは明らかに自然発生した生物じゃない)


 ”おむつ”は思ったよりも抱き心地が良い。

 シュメールはオムツを愛用する妙な生き物を膝の上に乗せると、その頭に自分の顎を乗せた。


 母親が子供に何かを教えているような構図にも見えるが、”おむつ”の表情は迷惑そうである。

 そもそもこんな魔獣が野生に生息しているような世界なら、別に吸血鬼がいたってよさそうなものだが……。


 さて、この世界を管理する女神である彼女も、力を制限された今は普通の人間と殆ど変わらない。

 自分が全力を出せれば殺人技で瞬殺してやるのにと思いつつ、ペンを動かしていた。


(吸血鬼達が介入してきたのは戦いの終盤になってから。私達と戦っている時に残っていた教会軍の人間も容赦なく殺していたことから、同じ陣営ではない可能性が高い、と) 


 シュメールのその下に『リーダー格の男は目が赤かった』と書きこんだ。

 彼女は赤い瞳の一族について特段の感想を持ってはいなかったが、しかしだからといって厄介な相手であることを理解出来ないわけではない。


 むしろ女神である彼女は、それを一番良く見抜いていた。

 腐っても女神、ポンコツでも女神である。


「あ、いたいた」


 時々逃げようとする”おむつ”を押さえつけてそのお腹を撫でた時、ティナがやってきた。


「ティナさん。どうしました? 女神の私に用ですか?」


 シュメールは自分が女神であることをさり気なくアピールした。

 こんな時でも……、いや、こんな時だからこそだ。 


「そう、女神さまに用なんです! これからどうするかをみんなで考える会議の時間です!」

 

 ティナはビシッとシュメールを指差した


「あら? もうそんな時間?」


 シュメールは懐中時計を取り出して時間を確認した。

 確かにもうそろそろ約束の時間になろうとしていた。


 とはいえ、この世界には精度の高い時計はもちろんのこと標準時間の概念も存在しないため、そもそも会議が時間ぴったりに始まることはないのだが。


「じゃあ行きましょうか」


 やっと解放して貰える。

 そう油断した”おむつ”を抱きかかえたまま、シュメールはティナと共に部屋を出た。


 期待を裏切られたつぶらな黒い瞳が二人を交互に見る。

 その思いを代弁するなら『え? まだ終わりじゃないの? ワイ、そろそろおやつ食べたいんやけど……』といったところか。


 しかし現実は残酷だ。

 子供の”おむつ”はそのまま会議へと強制連行されていった。



 ……そんな顔するなって、会議でもおやつは出るからさ。


 っていうかこっち見んな。



 さて、王宮にいた魔族達が今後の方針を議論しに会議室へと集まった頃、カインの部屋を一人の男が訪れていた。

 ベッドにはこの数日間意識を失ったままのカインが眠っている。


 誰かが暇でも潰していたのか、部屋の隅に置かれた机の上にはサイコロを振って駒を進めるボードゲームが広げられていた。

 所謂、双六というやつだ。


 スタート地点には駒が四つ置かれている。


 魔族達が代わりの見張りとして置いていったのは、包帯巻きにされた”おむつ”一匹。

 置物のようにじっと座って体を休めていた魔獣は、来訪者に気がついた直後こそ立ち上がって警戒を露わにしたものの、その正体が誰かわかると、再び置物に戻ってしまった。


 その”スケルトン”はベッドの横に立ち、カインを見下ろしていた。

 明らかに防刃を意識したコートに身を包み、骸骨の頭部だけが彼の人外を証明している。


「リリアナ相手に早速使ってくれるかと期待したが、そう都合良くもいかないか」


 男の手には黒のタリスマンが握られている。

 短剣型のそれは窓から差し込んだ昼下がりの光を受けて、まるで新たな宿主を催促するかのように黒く輝いていた。


「だがエイリークは同じ赤い瞳の一族、それも人間だった頃は世界を二分割して覇権を争ったような男だ。対等以上の戦力で挑まなければ勝ち目はない。ましてや後にジャックが控えているとなれば」


 尚更だ。


 それは独り言か、あるいは意識の無いカインに対して言っているのか。

 しかし少なくとの内容は事実だと、部屋の空気が肯定していた。


「俺に対して与えられた専用の力、それをお前に渡そう」


 男は布団を剥ぎ取ると、黒のタリスマンをカインの胸に突き立てた。

 直後、まるで善や正義という名の悪意に対して不満を表明するかのように、黒い鼓動が部屋を数回満たした。


 意識を失ったままのカインの目が反射的に大きく見開かれ、鼓動に合わせて体が跳ねる。

 その瞳孔は徐々に開いていき、やがて死者の水準すら超えて広がった。

 

 タリスマンがゆっくりと体内に沈み込み、まるで水面に浮かび上がるかのようにカインの胸と同化していく。

 そして力を取り込み終わったのを示すかのように瞳孔が狭まると、部屋には再び静寂が訪れた。


 ……響く呼吸音は一人と一匹の分しかない。

 そこには一匹の魔獣と”カインしか”いなかった。


 ”おむつ”は特に異変を感じた様子も無く、平然と眠っている。

 スケルトンはカインの胸に埋め込まれた黒い十字を確認すると、ベッドに背を向けてボードゲームのある机の前に立った。


 四つあったはずのスタート地点の駒は、いつの間にか三つになっている。

 残りの一つは机の下に転がっていた。


「持てる者は持たざる者の屍を踏みつけて善人を気取る。人が獣を狩るのは自然の摂理、獣が人を殺して身を守るのは世界の倫理に反していると。それは自己責任、だから一人で勝手に死ねと言い始めるのさ」


 男は転がっていた駒を拾い上げると、三つの駒を腕で払い飛ばした。

 そして参加者のいなくなったゲームのスタート地点に、拾った駒を置いた。

 

「だが関係無い者など一人もいない。世界の全てはつながっている。世界のどこかで起こったことは全て自分の身に起こったことだ。恨むなら弱い自分を恨め。……少なくとも俺はそうすることにした」


 そう言ってスケルトンは”再び”サイコロを振った。


「なあ……、今度の俺よ」


 サイコロはちょうどゴールのマス目の上で止まった。

 そこには、『始まりと終わりはつながっている。振り出しに戻る』と書いてあった。


 

 昼下がりの光に催促されて、カインはようやく目を覚ました。

 同じ部屋で”おむつ”が寝ているという事実が、この場所が今は安全だと教えてくれている。


 ずっと横になっていた影響か、平衡感覚が少し怪しい。

 体を動かしてすっきりしようと上体を起こしたカインは、そこであることに気が付いて動きを止めた。


「俺は……、誰だ?」


 右も左もわかる。

 記憶も確かだ。


 しかし他の全てはそのままに、ただ自分がカインであるという確信だけが、彼の中から綺麗に消えてしまっていた。


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