29:女神様は女子力が乏しい
魔王アベルと女神シュメール。
二人の視線の先には、その巨体を活かした力と反応速度で暴れる『天呪』リリアナがいた。
一見してどうにかなるような相手ではない。
しかしシュメールは、その動きが一定の行動基準に従っていることを既に見抜いていた。
念のために強調しておこう。
あの女神シュメールが、である。
「世界もこれで終わりか……」
「なんでですか?!」
彼女の説明を聞いたアベルは、この世の終わりが近いことを理解して絶望した。
このポンコツ美人がこんな的確な分析を披露するなんて、そんな時ぐらいしかありえないではないか。
そうだ、きっとそうに違いない。
「私、女神! 女神だから! やれば出来る子だから!」
……そんな馬鹿な。
その言葉を本気で信じる者など、この世界には一人もいない。
これは推測でも推論でもなく、事実である。
「ぐぬぬ……」
「涙目になるなよ……。確かに感覚に穴がありそうだ」
シュメールの主張はこうである。
『聖女』リリアナと『聖獣』ルシアの融合体は、両者をつなぎ合わせている関係上、一つの個体として完全ではない。
一見すると周囲の全てを把握しているようにも思えるが、人間に死角があるのと同様に、そこには穴が存在している。
さらに行動はパターン化しており、攻撃対象は非常に簡単なルールによって決まる。
一つは物理的な距離、そしてもう一つは直近の攻撃を『天呪』リリアナの重要部位に加えたかどうか。
特に優先順位が高いのは後者だ。
「言われるまで気が付かなかったが、お前の言う通りみたいだな」
アベルは敵の動作を観察して、その主張が正しいと結論した。
つまり最重要部位である白のタリスマンに攻撃を加えれば……。
真っ直ぐに”釣れる”はずだ。
「そう! 女神様の言う通りなのです! さあ、崇めてもいいですよ!」
「……」
アベルは思った。
この戦いが終わったら、シュメール教を邪教に指定しようと。
そうした方が良い、絶対に。
「とにかく、まずはあいつからだ」
アベルとて、このまま味方の被害が増えていくのを静観するつもりなど無い。
行動パターンが読めたのなら、後は誘導して正面からぶつかるだけだ。
そのためには――。
「で? どうやるんだ?」
「何をです?」
「リミッター外し。……あるんだろう?」
以前よりもパワーアップしたとはいえ、聖鎧を最大出力にしても『聖獣』ルシアを完全には止められなかった。
だとすれば、それよりも強化されているであろう『天呪』リリアナを止められない可能性が低い。
それなのに、聖鎧の性能を一番知っているはずのシュメールは、確実に止められる前提で話をしているのである。
つまりは存在するのだ、実現する方法が。
カインがリリアナに致命的な一撃を叩き込むまで、あの巨獣の足を止める、その方法が。
アベルはそれを力の解放だと推測していた。
「……胸のパーツを外してください。それで聖鎧のフルパワーが出ます」
言われた通りに部品をスライドして外すと、金属の装飾に埋め込まれた赤い宝玉が姿を表した。
どうやらこれが動力源らしい。
あるいは動力の受信機か。
アベルが外したのは胸の一枚だけだったが、それでロックが外れたのか、全身からいくつかの部品が外れて地面に落ちた。
「これで全力が出せるのか。最初からこうしていれば良かったな」
「よくありませんよ。出力が上がる代わりに強度が落ちますから。全力を出すとフレームが耐えきれずに自壊します。使える時間は……、たぶん五分ぐらい」
「たぶんか」
「計算上は。使ったことありませんから」
「そりゃ不安だな」
ポンコツ女神様の試算では全開での稼働時間は五分。
実際にはそれ以上であってくれるのを祈るばかりだ。
「というわけだ。五分以上は約束出来ない。その間に決めろよカイン」
『十分だ。こっちはいつでもいける』
通信機の向こう側で、カインは即答した。
その言葉には迷いが全く感じられない。
「いいだろう。シュメール、囮はお前に任せるぞ」
「うっ……。やっぱり私がやらないとだめですか?」
「駄目だ」
『駄目だな』
双子は即答した。
カインにはさっき以上に迷いがない。
『……やはり重要な役目は本物の女神じゃないとな』
「ああ全くだ。」
今こうしている間にも、味方の魔族はリリアナによって吹き飛ばされ、踏みつけられ、どんどん命を落としている。
赤い瞳の双子は一刻も早く女神シュメールを囮として使おうと、彼女を持ち上げ始めた。
しかし、いくらなんでも露骨すぎる。
こんな白々しい演技に引っかかる者などいるわけが――。
「仕方がありませんね! いいでしょう! 私が女神のなんたるかを見せてあげましょう! そう! 本物の女神であるこの私が!」
……いた。
果たしてシュメールだけがそうなのか、あるいは女神はこんなのしかいないのか。
カインとアベルは前者であることを強く願った。
「本当にコイツで大丈夫なんだろうな?」
『言うな。今は他に選択肢がない』
「それもそうだ。よし、始めるぞ」
『女神』シュメール、『魔王』アベル、そして『勇者』カイン。
三人は『天呪』リリアナを止めるべく、いよいよ行動を開始した。
先陣を切ったのはもちろんシュメールだ。
彼女は散り散りに逃げ続ける魔族達の隙間を縫って、暴れる巨獣に向かって走り始めた。
「おい! 何する気だ?!」
面食らう魔族達。
シュメールは落ちていた槍を拾ってその手に構えた。
「うおおおおおお! オラァ!」
シュメールは、乙女とは何かを深く考えさせられる大胆なフォームで槍を投擲した。
端的に言って、そこには女神にとって極めて重要な女子力という要素が、致命的なまでに欠けていた。
「無駄だって!」
投げた本人とは違い、美しい放物線を描いて『聖女』リリアナだった上半身へと向かっていく槍。
見ていた魔族達は、それが途中で薙ぎ払われると思った。
巨獣は絶え間なく動いているし、『聖女』リリアナが狙われた際の『聖獣』ルシアの行動を考えれば、それが至極自然な予測に思われたからだ。
だがしかし――。
ガキッ!
槍は見事に『聖女』リリアナの胸にあるタリスマンに直撃し、弾かれた。
「完璧! 流石は私!」
見事な狙い撃ち。
シュメールは誰も褒めてくれないので自画自賛した。
「なんだと?!」
「でも駄目だ! 効いてない!」
魔族達もまた驚きの声を上げた。
彼らだって、よりにもよってシュメールの攻撃が、まさか当たるとは思っていない。
しかし一瞬だけ動きを止めた巨獣を見た彼らの期待は、無傷の敵の姿によって容易く打ち砕かれた。
「グゥゥゥゥゥ……」
『聖獣』ルシアだった両目が敵の姿を求めている。
「さあこっちよ! オラオラオラオラ!」
シュメールはその場で両手を振ると、シャドーボクシング的な動きをして自分の存在をアピールした。
ちなみにだが、この世界にはボクシングなどという格闘技は存在しないし、ヒロトによって伝えられてもいない。
この世界の住人達の目には、さぞや奇異な動作に見えたことだろう。
魔族達は、同類と思われないように女神からも静かに距離を取った。
『女神』シュメール。
『天呪』リリアナ。
戦場に浮かび上がった両者の視線が交差する。
白のタリスマンという存在の核を攻撃された『天呪』リリアナは、即座に標的をシュメールへと切り替えた。
その瞳が大きく開かれ、敵意に満ちていく。
「来たっ!」
シュメールはリリアナが自分を狙っているのを確認すると、後ろに向かって全力で前進を開始した。
「オラオラオラオラオラオラオラ!」
ラッシュを仕掛けるボクサーのように勢い良く腕を振りながら、場違いな奇声を発して全力疾走していく。
そして『天呪』リリアナもまた、その後ろを走り出した。
二つの振動が重なり、大地が揺れる。
まるでこの世界からも戸惑いの声が聞こえてくるかのようだ。
逃げるシュメールと追うリリアナ。
戦場の空隙に切り取られたその光景だけは、この場において完全に浮いていた。
いや、”この世界から”浮いていたと言った方がいい。
立ち上がる二つ土煙はそれだけ異質な存在だった。
それは明らかに生まれが違う……、出身が違う。
根拠の出処そのものが根本的に異なっている。
「女神か……」
アベルの呟きには戸惑いと絶望が含まれていた。
この戦いを勝ったとして、この世界に君臨するのが”アレ”である。
正面に釣られて来た巨獣を受け止めるつもりだったのだが、その前にあの女神に突進しておきたい衝動に駆られてしまう。
……奇妙な誘惑だ。
「オラァッ!」
ダンッ!
最後に強く大地を踏み込み、女神が魔王の横を駆け抜けていった。
別に手が触れたわけではない、しかし交代だ。
「任せましたよ!」
「ああ、わかってるさ。後は下がって見ていろ」
アベルは制限の外された聖鎧を再び起動した。
ドッドッドッドッドッドッドッ!
今まで以上の力が感覚の奥底から湧き上がってくる。
絶対とも思える万能感、しかしそれに呑まれればどうなるかは理性がわかっている。
(保証は五分……。昼寝でもしている間に終わるな)
残念ながら、聖鎧に時計の機能は備わっていない。
つまり鍛えたこともない体内時計だけが頼りだ。
体格差を埋めるために再び見えない壁を展開し、その瞬間を待つ。
……妙な感覚だ。
理性はこれが全力だと信じているのに、肉体がもっといけると疼いている。
心のどこかが解放を訴えているようだ。
そして――。
ドンッ!!!!!
「――?!」
この戦場における、二度目の衝突。
アベルはその衝撃の中に前回とは異なる単調さを感じながら、敵の進撃を受け止めた。
撃力で一瞬だけ押し込まれた後、両者の力は拮抗し動かなくなった。
「グルルルルルルルッ!」
キィィィ――ィンッ!
強引の押し込もうとする巨獣に対抗しようと、聖鎧に埋め込まれた赤い宝玉が輝きを増し、その力を解放していく。
(確かに……、これは長く持ちそうにないな)
『聖獣』ルシアだった頃とは違い、『天呪』リリアナは力の方向を微妙に変えて捩じ込んでくるような動作をしてこない。
ただ単調にまっすぐ押してくるだけだ。
そこに工夫の気配は一切見当たらず、アベルはまるで敵が意思を完全に失ったかのような印象すら受けた。
味方の弱みは危機、敵の弱みは好機。
(ギリギリ一杯、だがこれならいける!)
「いいぞ! 急げ!」
アベルは通信機に向かって叫ぶ。
その相手はもちろん――。
「よし、出番だ。……行くぞ?」
「ふーっ! ふーっ!」
これまで、まともに誰かを乗せたことなど一度も無かった魔獣。
荒い吐息を吐くその背中には、カインが跨っていた。
右手に剣を、左手に手綱を。
これから取る行動はわかりきっている。
ドッ!
この世界の人間の感覚から言っても珍妙な、白いオムツを履いた魔獣に乗って、勇者カインは走り出した。
殺す者には殺される覚悟が必要?
……世迷言だ。
狩る側と狩られる側、その関係は一方的であるべきだ。
自分は狩る側、相手は狩られる側、人は心のどこかで常にそう信じているのだから。
そう、他者に牙を剥きたがる者ならば、そこに例外はない。




