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28:女神と”おむつ”の真の価値は?

 地響きが収まらない大地。

 もはや世界の全てが敵だとばかりに、『天呪』リリアナは暴れていた。


 蹂躙される魔王軍と、止めに入りたいが余力のないアベル。

 そんな弟の姿に、カインは十年前の自分を重ねていた。


 勇者ヒロトという絶対強者の前に、全ての臣下を失ったあの日。

 あの時と同じような出来事が、目の前で弟の身に起こっている。


 カインは不機嫌な赤い瞳で異形となった敵を睨み付けた。


 この世は所詮、弱肉強食。

 勝者こそが正義、敗北は罪。


 ……うまくいっている時だけだ、そんな戯言が言えるのは。


 リリアナをどうにかしてやろうと思ったカインは、胸の付近に妙な違和感を感じた。

 痛みでも痒みでもないが、確かに何かが淀んだような感覚が纏わりついてくる。


(これは……)


 黒のタリスマン。

 ユダと名乗ったスケルトンから受け取った短剣だ。


 神に選ばれた者に力を与えるらしいが、それでは選ばれなかった者が使えばどうなるのだろうか?


(……ん? 神に選ばれた?)

「そういえば……」


 この段階になってようやく、カインは現在の神がこの戦場にいたことを思い出した。

 そう、あの女神の存在を――。



「はぁ……、はぁ……」


 油断していたところで”ボスおむつ”から振り落とされた女神、シュメール。

 地面にべちゃりと叩きつけられた彼女は、ようやく再起動した。


「おのれ……」


 現在のところ、彼女を女神として敬っている者は一人もいない。

 というか一匹もいない。


 『天呪』リリアナの被害が拡大することもそうだが、信者がいない女神というのもまた大問題である。

 このままでは、早々にこの世界の管理者の任から外されてしまう。


 つまり左遷、あるいはリストラだ。


「そうはいかないわ……」


 シュメールは我が物顔で暴れるリリアナを見た。

 人間も亜人も、あれを相手に成す術がない。


 ここでなんとかすれば、きっとみんなが自分を称えることだろう。

 そう、新たに女神シュメールを崇拝する『シュメール教』が誕生したっておかしくはないはずだ。


「やるのよ私! 明るい未来のために! えいえいおー!」


 自分の地位向上を誓って拳を振り上げたシュメール。


(あの魔物の弱点は……、あそこね)


 もはやこの世界の住民は誰も信じていないとすら思えてくるのだが、彼女だって仮にも神の一人である。

 シュメールは『天呪』リリアナを数秒ほど観察すると、その弱点を的確に見抜いた。


 『聖女』リリアナの胸、そこに埋め込まれたマジックアイテム、白のタリスマン。

 それを破壊すれば、あの魔物の体は崩壊する。

 

 問題はそれをどうやって実行するかだ。


 今の彼女は、神としての本来の力を制限された状態にある。

 自分の手で直接天誅を下すことは出来ない。


 ならば選択肢は一つ。


 シュメールは突破口を求める双子の位置を確認した。


「近いのはこっちね! オラァ!」


 見た目は清楚な眼鏡美人だというのに、シュメールはそんな優位性の全てを投げ捨てる勢いで走り始めた。

 そのダイナミックなフォームからは恥じらいという概念が一切感じられない。


 どどどどどどどっ!


「オラオラオラオラァ!」


 奇声を発しながら、魔王に向かって全力疾走する女神。

 『天呪』リリアナとの戦いで、周囲には彼女を気にする余裕がなかったのが幸いか。


「――?! ……なんだ、お前か」


 巨獣に気を取られていたアベル。

 彼が背後から近付いて来たシュメールに本気でビビったのは、ここだけの話で十分だ。


「こんな時に何か用か? 俺は今忙しいんだ」


 魔王のその言葉には、彼女を完全に戦力外として考えている事実が多分に込められている。


 視線の先では『天呪』リリアナによって仲間達が蹂躙されており、彼の中では、味方を今すぐに助けに行かなければならないという衝動と、ここで不用意に動けば助ける機会を永遠に失ってしまうという理性が正面からぶつかりあっていた。


 そう、とにかく一刻も早く、あれを止める方法を見つけなければならないのだ。


「ふっ、いいんですかそんなこと言っても。 あの大きいのを倒す方法、知りたくありません?」


「……何?」


 アベルは彼女の言葉を聞いて顔色を変えた。

 確かに今使っている聖剣と聖鎧はシュメールが用意した物だし、ここまではそれで何とか戦えてこれたのも事実。


 彼女がその情報を持っていても、何もおかしくはない。

 だが……。


(実際に本人を目の前にするとなあ……)


 魔王は鎧の中の視線だけを彼女に向けた。

 胡散臭いというか、こいつと組んだら絶対に成功しそうにないという、謎の説得力とか納得感みたいなオーラがある。


(いや、もしかするとこういう神の可能性も……)


 今度はさっきまでとは逆だ。

 理性は彼女の話に乗れと言っているが、本能がやめておけと全力で叫んでいる。


 そんな魔王の心中などつゆ知らぬまま、シュメールは『天呪』リリアナを指差した。


「見てください、あの子の胸元を!」


「胸元?」


 『聖女』リリアナと『聖獣』ルシアが融合した存在である『天呪』リリアナ。

 ルシアの頭部からリリアナの上半身が生えたの体には、当然のことながら二つの胸がある。


 シュメールが指差したのは『聖女』リリアナの胸だった。

 慎ましい大きさの胸の少し上、鎖骨の間ぐらいの位置に、光を無機質に反射する白い十字架がある。


「あれこそが敵に力を供給しているマジックアイテム『白のタリスマン』! あれを壊せば敵は倒れるはずです!」


 女神様のキメポーズが決まった。

 彼女の石像を作るなら、これしかないというぐらいの渾身の出来である。


 しかし残念ながら、彼女に視線を向けている者は一人もいなかった。

 横にいたアベルも、『天呪』リリアナを観察している。


「そうか。それで、どうやれば壊れるんだ? まさか弓矢じゃ無理だろう?」


「もちろん! そこは聖剣の一撃で!」


 アベルは思った。


 素早く動き回る四足獣。

 その頭部にある手の平程度の大きさしかない十字架を、どうやって聖剣で攻撃したものかと。


「……だそうなんだが。そっちはいけるか?」


 アベルは聖鎧の通信機能でカインに呼び掛けた。

 通信距離が短いとか、強化されて大きくなった心臓音に埋もれて聞こえないとかで役に立たないと思っていたが……。


 女神本人同様、ここに来てようやく出番が回ってきたようだ。


『動けるかと意味なら動ける。だがあそこまで届く攻撃手段はこちらも持ってないぞ?』


 ノイズが混じったカインの言葉はアベルにとって予想の範囲内だったが、しかし残念ながら喜ばしい返答ではなかった。

 


 通信で勝利の可能性を得られたカイン。

 彼はどうやって敵の弱点まで攻撃を届かせようかと考え始めた。


 ……その直後である。


 ドサッ……。


「ん?」


 予想外の物音に、思わず反応したカイン。

 彼の目の前にはいつの間にか手綱が投げられていた。


 投げたのは誰かと見ると、そこには”ボスおむつ”が立っていた。


 周囲に他の”おむつ”は一匹もいない。

 いや、正確には一匹も立っていない。


 覚醒した『天呪』の攻撃で大半は命を落とし、残った僅かの魔獣達も瀕死の重傷で意識を失っている。


 戦場に倒れた同族達。

 その中で一匹だけ、長である”おむつ”はそこに立っていた。


 これまで背中に誰も乗せようとしなかった”ボスおむつ”が、自分に付けられた手綱をカインの前へと差し出したのだ。


 言葉を話せない”ボスおむつ”。

 しかし彼の瞳が語る決意は、そんな表層的な概念を駆逐するほどに雄弁だった。


『乗れ。俺があそこまで運んでやる』


 ”ボスおむつ”のその行動の解釈は、それ以外に存在しない。


 赤い瞳と黒い瞳で見つめ合ったまま、カインはアベルに向かって呼び掛けた。


「おい、あいつの足止めは出来るか? ……こっちは足が見つかった」


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