26:融合
大地を伝わって世界に響いた衝撃。
それによって増幅された痛みで、カインは意識を取り戻した。
「俺は……?」
どうなった?
全身が激しく痛む。
理由はあの『聖獣』に踏みつけられたからで間違いないだろう。
傷の影響なのか、直前までの記憶が曖昧だ。
まだ生きているのはシュメールに貰った鎧のおかげか?
特定に方向に力をかけると腕が少し曲がるような気がする。
これまでの人生で骨を折った経験はないが、もしかするとこれがそうなのかもしれない。
カインはゆっくりと体を起こした。
打ち崩された王都の外壁の奥には『聖獣』ルシアの巨体が見える。
(動かない……。死んだのか?)
気を失っていたカインは、それが魔王と”おむつ”達による抵抗の結果だとは知らない。
だが、とにかく一番厄介な奴をなんとか出来たのだと理解した。
(だとすると残っているのは……)
カインは自分を意識不明まで追い込んだ少女の姿を探した。
『聖女』リリアナ。
人間ではない事実を露呈した化物の姿を。
要した時間は一瞬だけだ。
見つけた彼女は正に今、『聖獣』が倒れて安心した直後の魔王軍に襲いかかるところだった。
「キャァァァァァァァァアアアァァァァアアァァツ!」
「ぐぁっ!」
「なに?!」
まるで被害者のような悲鳴を上げ、”おむつ”から降りたティナ達に向けて肉の手を振り回す。
普通の人間よりも遥かに頑丈なはずの亜人達が、内蔵特有の輝きを放つそれに薙ぎ払われた。
腕を飛ばされたぐらいならまだ良い方で、胴体を切断された者はもう手遅れだろう。
「クソッ! まだこっちが残ってたか!」
「なんだ……、体が……」
ルシアを討ち取った勢いに乗って反撃しようとした魔族達。
しかしリリアナの攻撃が掠めた何人かは、体が追従できずに膝を付いた。
……間違いない。
カインの時と同じ現象だ。
「おい、大丈夫か?!」
これが正規の訓練を受けた兵士であったなら、味方の安否を気遣うよりも先に敵を攻撃していただろう。
その一瞬の隙を見逃さず、金切り声を上げ続けるリリアナが追撃を仕掛けていく。
射程は十メートルも無い程度だが、振り回す触手の速度を考えれば、近づくのは容易ではない。
おまけに詳細はともかくとして、触手に毒があるのは明白だ。
「ちょっとちょっと! 迎撃! 迎撃して! 飛び道具はないの?!」
ティナは”おむつ”に乗るのに使っていた鞭を投げつけた。
それはリリアナの脚に当たったが、もちろんそれ以上の効果があるわけも無い。
弓や魔法が扱える魔族は今回の戦いで優先的に外壁へと回されている。
そのため、彼女の部隊にはリリアナの射程外から攻撃する手段が無かった。
「迂闊に近づくな! かすっただけでやられるぞ!」
「だったらこれで……、どうだ!」
距離を取ろうと後退する魔族達。
しかしやられっぱなしは性に合わないとばかりに、犬の耳を生やした男が持っていた剣を投げつけた。
鋭利な金属の塊が勢いよく回転しながら、リリアナの胴体目掛けて飛んでいく。
ドスッ!
それ相応の勢い。
それ相応の重量。
刃を食らったリリアナは体を大きく仰け反らせた。
普段であればそれでもまだ死なないことに驚く場面なのだが、直前までルシアの圧倒的な防御力を目の当たりにしていた影響で、魔族達は逆にそれを希望だと受け取った。
「やったか?!」
「よし! 俺達も投げろ!」
まだ動き続ける触手。
しかし勝機はある。
魔族達は次々と武器を投げ始めた。
ドスドスドスッ!
「キャアアアアアアア!」
血飛沫を撒き散らし、リリアナがさらなる叫び声を上げた。
純白のワンピースは赤に塗れ、腕と触手の区別もなく振り回している。
まだ生きている。
しかし明らかに効いている。
その声は苦しそうだ。
(俺が行く必要はなさそうだな……)
倒れた『聖獣』、苦しむ『聖女』。
自分自身も同様に満身創痍のカインは、そういう構図でこの状況を見ていた。
そう……、見てしまっていた。
だから気が付くのが遅れたのだ。
主の悲鳴を聞いた忠犬が再び動き始めたことに。
★
「グゥゥゥ……」
ルシアはリリアナの悲鳴を聞いて意識を取り戻した。
胸には背中まで到達しそうな大穴を開けられており、全身にまだ”おむつ”達がまとわりついている。
「おい! コイツまだ生きてるぞ!」
「離れろ!」
ゆっくりと立ち上がると、鼻先に魔王がいることに気が付いた。
膝を付き、鎧の上からでもはっきりとわかるほどに大きく肩で息をしている。
追撃をしたそうにしているが、体が追従出来ないらしい。
「キャアアアアアア!」
主の悲鳴で四足獣の耳がヒクヒクと反応した。
そうだ、こんなことをしている場合ではない。
ルシアは反射的に体の向きを変えると、リリアナの方向に向かって歩き出した。
だがアベルから受けた傷が深いせいか、思うように体が動かない。
体中に”おむつ”を纏わりつかせたまま、『聖獣』は右の後ろ足を引きずっていく。
傷は胸の一箇所だけだというのに、どうやらショックが全身に波及しているらしい。
「好きにさせるな! トドメをさせ!」
「わかってるよ!」
副官カルクはルシアがリリアナに向かっていることを理解すると、慌てて指示を出した。
ルッカ達もそれを聞く前に動き出す。
殺せる時に殺し、勝てる時に勝つ。
それが戦場の鉄則だ。
「味方に当てるなよ! 頭を狙え!」
王都の外壁から退避した魔族達が周囲から弓と魔法を放ち始めた。
近接武器を持った者達も別の方向から仕掛ける。
毛皮にしがみついた”おむつ”達も攻撃を再開した。
力を使い果たしたアベルが参加できないことを除けば、先程以上の集中砲火だ。
魔王の攻撃で傷ついた体を引きずり、『聖獣』が歩いていく。
そう……、魔王の攻撃で傷ついたのだ。
ルシアが受けた傷はあくまでもアベルが全力で放った一撃のみ。
それ以外はいっさい効いていない。
満身創痍となってもその事実は変わらないのだ。
胸の傷は足元に潜り込まれなければ狙われることはない。
血の足跡を残し、ルシアはリリアナの下へと向かっていった。
一体何が”彼女”にそうさせるのか。
そしてルシアは、ついにティナの部隊との交戦でいくつもの刃を叩き込まれたリリアナと合流した。
「ちょっと! あのでかいのがこっちに来てる?! いつの間に?!」
「踏まれるぞ! 逃げろ?!」
リリアナに気を取られていたティナ達が慌てて走り出す。
ルシアの射線上に残ったのは『聖女』だけだ。
「キャァァァァァアァァァアアァァァ!」
ガプッ……。
ルシアは狂ったように叫び続けるリリアナをゆっくりと口でくわえた。
そして上に放り投げると――。
――バクン!
飲み込んだ。
「と、共食い……?」
天を仰いで固まったルシア。
それに気が付いたティナは戦いの終焉を予感した。
……その油断こそが新たな危機を招き寄せるのだというのに。
「グゥゥゥゥ……」
再び動き出した『聖獣』はゆっくりとうずくまった。
その声は酷く苦しそうだ。
自殺。
これはきっとそうだと”おむつ”達は感じ取った。
「――?!」
ただ一匹、”ボスおむつ”を除いて。
「ウォォオォォオオオオオオンッ!」
ルシアの首筋に捕まっていた”ボスおむつ”は『聖獣』の変化をいち早く察知すると、叫んだ。
そして次の瞬間――。
ドンッ!
「――?!」
突如として、大きく目を見開いたルシアを起点に衝撃波が発生した。
吹き飛ばされる”おむつ”達。
衝撃と同時にルシアの全身からいくつもの触手が飛び出し、彼らを貫いていた。
「うおっ!」
人間の何倍もの重量が魔族達の頭上にいくつも降り注ぐ。
”おむつ”達の大半は受身を取ることも出来ずに地面へと叩きつけられた。
ルシアは先程までの満身創痍感じさせない力強い動きで、ゆっくりと体勢を戻した。
アベルの渾身の一撃が作った傷を、内蔵めいた肉腫が塞いでいく。
先程までリリアナから生えていた触手と同じものが『聖獣』の全身から次々と生え始めた。
グチュ……、ズリュ……。
そしてメリメリと額が縦に割れ、そこからリリアナの上半身が生えた。
直前までの戦いで受けたはずの傷は完全に消滅し、目を閉じたその姿はまるで女神像のようだ。
「そんな……」
自分達が追い込んだはずの『聖女』と『聖獣』。
しかし満身創痍だったはずの両者の融合体は、明らかにその体力を回復している。
その姿を見たティナは、戦いが振り出しに戻ったことを悟った。
いや、むしろこちらの最高戦力であるアベルとカインが既に大きく消耗してしまっていることを考えると……。
「ウゥゥゥゥゥウウゥォォッォォオオオオオオオオオオンッ!」
ルシアは湧き上がる力を抑えきれないといった様子で、再び天に向かって大きく吠えた。




