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25:魔獣対聖獣

「オォォォォォォォォォォォンッ!」


 この世界における普通のウォンバットはこんな風に鳴かない。

 それはつまりこの種族がただの獣ではなく、魔力の影響を受ける魔獣であることを示唆していた。


 ”ボスおむつ”は再び大きく吠えると、まるで拘束具を外すかのように勢いよくシュメールを振り飛ばした。


「へ? ……ふぎゃ!」


 まるで生クリームのようにベチャっと地面に落ちた女神。

 そこに威厳などという概念は存在しない。


 ”ボスおむつ”はその場に彼女を放置したまま、『聖獣』ルシアに向かって走り出した。

 それに倣うかのように、他の”おむつ”達も乗っていた魔族を振り降ろしていく。


「え?! ちょっとちょっと!」


 ティナはシュメールの二の舞にならないように注意して、乗っていた”おむつ”から降りた。

 今までは白いオムツさえ与えておけばよかった”おむつ”達がここまで言うことを聞かないのは、彼女にとっても初めての経験だ。


 そもそも”おむつ”の鳴き声を聞いた者が、この世界の歴史上でいったい何人いたことか。

 そしてドスドスと不格好な足音を立て、”おむつ”の群れもまた『聖獣』へと走り出した。


 魔王軍対聖女軍という戦いの構図は、新たに魔獣対聖獣へと移行した。

 

 戦いの参加者は四足獣達。

 二足歩行の人間や亜人とは速度域がまるで違う。


 人間の十倍以上もある質量を加速させ、”ボスおむつ”がまず最初に突っ込んでいく。

 単純な衝撃だけならば冗談抜きに大砲すら上回るだろう。


 人間どころか亜人だって、これに衝突されれば無事では済まない。


 ――ドンッ! 


 ”ボスおむつ”は勢いよく大地を蹴ると、『聖獣』に飛びかかった。

 名は体を表すと言わんばかりの素直な放物線を描き、白いオムツを履いた焦げ茶色の塊が敵に向かっていく。


 「グゥッ?!」


 ”おむつ”としては大型の彼も、山のように大きなルシアにとっては虫けら程度の大きさだ。

 カインの攻撃を防いだ固い毛皮は”ボスおむつ”の爪や牙もまた通さなかったが、しかしそれでも纏わりつかれて平気なわけではない。


 ルシアは”ボスおむつ”を振り払おうと体を動かした。

 しかし魔獣はしっかりと毛皮を掴んで離れない。


 暴れる聖獣。

 負けじとしがみつく魔獣。


 ”ボスおむつ”の行動はルシアを打ち倒すという意味では効果がなかったが、少なくとも魔王の援護という意味では有効だったようだ。

 それによって正面の圧力から解放されたアベルは、鎧の隙間から血を流しながら膝を付いた。


「はぁ、はぁ……」


 シュメールの用意した新たな聖剣と聖鎧。

 その全力を出した結果がこれだ。


 もしも従来の装備のまま戦っていたらどうなっていたことか。

 防御力重視のアベルの鎧ですらこうなのだから、機動力重視のカインなどひとたまりもなかっただろう。

 

 弟は兄の命が尽き果てたという前提で次の一手を考え始めた。

 目の前では別方向から迫った他の”おむつ”達がボスに続いてルシアに飛びついていく。


 そこには恐れの色も、損得勘定もない。

 そうだ、白いオムツに心を奪われるような彼らに、人間のような邪な心などあるわけがないではないか。


 暴れまわる聖獣に食らいつく”おむつ”達。

 ルシアが四足獣であることも幸いした。


 どれだけ力が強いと言っても、足の可動域の都合がある。

 人間のように腕で簡単に払い落とすというわけにはいかない。


 背中に関しては特にそうだ。

 ルシアは前後の足が届かない範囲に纏わり付いた”おむつ”達を取ろうと、地面を転がりまわった。


「やばいっ! 逃げろっ!」


 近くにいたルッカ達が慌てて退避を始めた。


 彼らがいるのは王都のど真ん中。

 そして周囲には先程まで攻撃していた魔族達もいる。


 暴れるには最適、そして暴れられるには最悪の位置と言っていい。


「ちっ!」


 アベルも後ろへと飛び退り、垂れた彼の血だけがその場に置き去りにされた。

 聖鎧で力が底上げされているから良いものを、彼自身の力だけでは既に戦闘の続行は難しい状態だ。


「ウォオオオオオンッ!」


 ルシアが怒りのままに叫んだ。


 全体重を掛けて”おむつ”達を押し潰そうとするも、ルシア自身の毛皮の隙間に埋まってしまって効果が無い。

 ”おむつ”達は固い毛皮に埋もれながら、ガシガシと爪や牙で聖獣の肌を攻撃し続けている。


 『聖獣』に対してはまだ一切の攻撃が効いていない。

 僅かな傷でも作れれば、それだけで前進だ。


「フーっ! フーっ!」


 ”ボスおむつ”はルシアの後頭部付近にしがみつくと、隙を見つけては牙を使って攻撃していた。

 流石に激しく振り回され続ける中では体力の消耗も激しい。


 一体、また一体と、体力が続かずに他の”おむつ”が振り落とされていく。

 落ちては飛びかかり、また落ちては飛びかかり……。


 戦いは乱戦模様。

 しかし”おむつ”達に分が悪いのは明らかだ。


 敵味方が入り乱れている状況では迂闊に援護射撃も出来ないし、そもそもそんな攻撃をしたところで意味がない。


(どうする?!)


 アベルはとにかく決定打を探していた。


 この戦場において、『聖獣』ルシアにもっとも強力な一撃を叩き込める可能性があるのは間違いなく自分。

 しかし先程の力負けした結果を見れば、果たしてそれがどれだけ通用するか。


(いや……)


 アベルは思い直して聖剣を握った。

 わかったのはあくまでも”力で押し合った場合にどうなるか”であって、”自分の攻撃が通るか”どうかではない。


(俺にも余裕はない。確実に全力を出せるのは一撃ぐらいか)


 魔王は聖剣の刃を見えない壁で拡張して大きくした。

 聖獣の首を落とすとまではいかないが、それでも急所に叩き込めれば致命傷にはなる程度はある。


 機を伺い始めたアベル。

 彼は立ち上がると、いつでも攻撃を叩き込める体勢へと移行した。


 一瞬。

 それだけの隙があれば動く。


「グルルルルル!? ウォォォォォォンッ!」


 ”ボスおむつ”はいち早くその意図を察知すると、他の”おむつ”達に合図を出した。

 それまで必死に攻撃していた魔獣達がその手を止め、しがみつくことに集中する。


「……クゥン?」


 ”おむつ”達が急に大人しくなったことに気がついたのか、ルシアは地面に背中を擦りつけた体勢のままで動きを止めた。

 魔獣達を払い除けることに成功したのかと思い、ゆっくりと立ち上がる。


 ……そう、ゆっくりとだ。


 しばらくの間、”おむつ”達に注意を集中し続けていたことによって、ルシアは直前までアベルと戦っていたことを忘れてしまっていた。


「……?」


 ルシアは四足獣である。

 そのため、普段の体勢では自分の胸の下付近は死角になってしまう。


 ドッドッドッドッドッ!


 足元から響く鼓動。

 聖獣が何かの気配を感じて下を見た時、そこには既に聖剣を構えた魔王が立っていた。


「さあ、これでどうだ!」

 

 キィィィィ――ィィンッ!


 アベルは体から捻り出せる力の全てを使い、ルシアの心臓目掛けて剣を突き上げた。

 聖鎧から大きな鼓動に上乗せして甲高い駆動音が響く。


 そして――。


――ドンッ!!!!!


「――?!」

 

 魔王アベルの放った特大の衝撃が、『聖獣』ルシアの心臓を貫いた。



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