23:強者
この世界に神はいるのだろうか?
救世主という意味でなら、おそらくそんな存在はどこにもいないのだろう。
だが純粋な強者という意味でならどうだろうか?
それならば、おそらく神は存在する。
端的に言って、そいつは強すぎた。
★
時間は少し前まで遡る。
背後から『聖女』と『聖獣』に仕掛けたカインは、早々に周囲のそれ以外を排除した。
相手はただの人間。
ならば勇者となったカインの敵ではない。
……問題はそこからだ。
(『聖女』を守って動かない……。文字通りの守護獣か)
『聖獣』ルシアは先程から『聖女』リリアナの周囲に尻尾を巻き付かせたままで動かない。
アベルが王都周辺に展開した味方を守ることを優先したのと同様に、どうやらこの四足獣は彼女の身の安全を最優先にしているらしい。
敵が動かないのは好都合。
しかし同時にそれは問題でもあった。
(俺の攻撃が効かない……。膠着状態だな)
カインは聖剣の刃を見えない壁で拡張すると、ルシアの手足が届かない距離から振り下ろした。
ボフッ!
「……」
剛毛という表現は少し品がない気もするが、しかしここではおそらく適切だ。
人間ならば一切の抵抗も許されずに両断されてしまうような攻撃は、聖獣の硬い毛皮によって呑気な音だけを立てて防がれてしまった。
「グルルルルル!」
ルシアの怒りはカイン一人に注がれている。
リリアナの守りという大事な仕事がなければ、とっくに飛びかかっていただろう。
試しに目や鼻を狙ってみるカイン。
しかし結果はそれほど変わらなかった。
瞼を閉じたり頭の位置を変えたりして防がれただけだ。
攻撃が入れば効果がありそうだとわかっただけでも収穫だろうか?
そして『聖獣』には不可視の攻撃は効果が薄いことも。
睨み合う両者。
進展のきっかけを作ったのは、3人目だった。
「ルシア、どうしたの?」
『聖獣』の尾の中、呑気な声を上げたのは視界を塞がれたままだったリリアナだ。
彼女はどうやらまだ状況を把握できていないらしい。
ここで戦場であることを踏まえれば、むしろ逆に情報が無いことに焦ってもよさそうだが、その声色から切羽詰まった様子は感じ取れない。
「これでは周りが見えないわ」
その言葉はつまり自分を囲っている尾をどけろという意味だ。
「クゥーン……」
流石に飼い主の意志には逆らえなかったのか、ルシアは渋々といった様子で尾を解いた。
そしてそれは同時にカインが新たな判断を迫られることも意味している。
(どうする? 仕掛けるか?)
わざわざルシアが守っていたということは、おそらくリリアナに対してカインの攻撃は有効だ。
しかし問題は彼女を仕留めた後である。
『聖女』という弱点を失ったルシアは、きっと自由に動いてくるだろう。
そうなれば対処は困難だ。
ルシアがいる故に動けないカイン。
リリアナがいる故に動けないルシア。
そしてリリアナも、カインへの対処を考えればルシアを失うわけにはいかないはずだ。
歪な三角関係。
少なくともカインとルシアの認識はそれで一致していた。
しかしリリアナは……。
「あら。白い騎士様ですね? お手伝いに来てくれたのですか?」
「……何?」
カインとて、それなりの時間を王族として過ごしてきた。
親の七光り以外の取り柄を持たない貴族なら幾らでも見てきたというのに、それでも即座に言葉の意味を理解することが出来なかった。
それぐらいに唐突な流れだったのだ。
お手伝い?
いったい何を言っているのだ、この少女は。
「魔王を倒すお手伝いに来てくれたのでしょう? さあ、あなたも共にこの世界に希望をもたらしましょう」
「寒い冗談だ。俺が殺すのはお前達に決まっているだろう?」
「私達を? なぜですか? 私達は女神様の意志でここにいるのですよ? 殺すのは私達ではなく魔王と魔族です」
「俺も魔族側の人間だ」
「あなたも? あなたは人間でしょう? 戦う相手を間違えています。 さあ、一緒に魔族と戦いましょう!」
……話が噛み合わない。
カインはしばらくぶりの感覚に襲われた。
対話というのは、互いに理解と妥協の余地を持ち寄って成立するものだ。
これでは平行線もいいところである。
しかし気のせいだろうか?
『聖獣』もまた戸惑っているように見えるのは。
交渉は決裂。
これがそもそも交渉だったのかはともかくとして、カインは再び仕掛けることにした。
仮に『聖獣』が自由に暴れまわったとしても、アベルが王都に張り付いていればとりあえず味方の被害は防げる。
「グルルルルル!」
ルシアはカインに対して警戒心を剥き出しにした。
ここで仕掛けても、おそらくは全ての攻撃がこの守護獣に防がれてしまうだろう。
「……よし、いいだろう。”悪しき者”と戦ってやる」
カインはそう言うと、聖剣の一本を王都に向けた。
「そう。それがあるべき姿なのです。これは女神様の御意志。悪しき者達を討ち滅ぼさなければなりません」
リリアナは満足そうに頷いた。
「さあルシア。お行きなさい」
「グゥゥウゥ……」
どうやら『聖獣』ルシアは『聖女』リリアナの命令に逆らえないらしい。
巨大な四足獣は不満げな鳴き声を漏らしながら、王都に向きを変えた。
そうだ。
洗練された狂気は芸術の皮を被って宗教と成る。
では洗練された無能は?
……ただ理想主義の俗物へと成り下がるだけだ。
ルシアがリリアナの命令通りに王都を粉砕しようと大地を踏み込んだ瞬間を見計らって、カインも躊躇うこと無く『聖女』の背後から遅いかかった。
『聖獣』の速度を考えれば、猶予は一瞬しか無い。
見えない壁で刃を拡張する時間すらも惜しみ、一気に突っ込んで『聖女』の心臓を狙う。
ドスッ!
ここ最近になって覚えた生々しい感触が、また新たに剣を伝わって来た。
間違いない。
……致命傷だ。
「……あら? これは……」
リリアナはまじまじと自分の体を見た。
傷一つ無かった清らかな体から赤い血が溢れ出し、純白のワンピースを染めていく。
「え……? なに?」
自分の身に何が起こったのかを理解出来ず、混乱する少女。
自分が攻撃を受けるとは夢にも思っていなかったのだろう。
人は他人事にこそ身勝手になれる。
しかし彼女を守る守護獣は事態を正確に理解していた。
「い……、イヤァァァァァァァァ!」
芸術の皮を剥ぎ取られたリリアナは発狂の声を上げた。
それに呼応して忠犬も動く。
その身を翻し、前足でカインを叩き潰そうと飛び上がった。
「……?!」
しかしルシアは攻撃の軌道を直前で変えた。
当然だ。
カインは仕留めたリリアナを盾にしているのだから。
そうでなければ、わざわざ距離を詰めた意味がない。
――ドンッ!
前足がカイン達の近くへと振り下ろされ、地面を大きく揺らした。
ここまでは予想の範囲内。
だが問題はここからだった。
――グシュル!
「何?!」
ここまではただの人間と遜色なかった『聖女』リリアナ。
その彼女の傷口から、肉の触手が飛び出してきた。
カインは慌てて後ろに距離を取った。
しかしルシアの攻撃に注意を払っていたせいで完全には回避しきれず、右手を少しだけ掠めた。
薄皮一枚、傷としては浅い。
だが……。
大地を踏んで止まろうとしたカインは、踏ん張り切ることができずにそのまま膝をついた。
(なんだ! 毒か?! 即効性の?!)
力を込めても足が動かない。
詳細がわからなくとも、なにかされたのは明白だ。
リリアナという盾を失ったカインに対し、再び『聖獣』の前足が振り上げられる。
(まずいっ!)
攻撃が来る!
カインは頭上を見上げ、見えない壁を張った。
主を傷付けられた守護獣の怒りが、力となって降り注ぐ。
――ドンッ!
それは勇者の防御壁を難なく突破し、カインのいた場所へと叩き込まれた。




