22:おむつウォンバット
カインが敵本陣に背後から仕掛けた後、アベルは前進するかどうかを迷っていた。
自分を足止めしていた『聖獣』からの攻撃は止んだから、外壁から離れようと思えば離れることは出来る。
しかし言い方を変えれば、それは『聖獣』の攻撃が再開されたときに防げる者がいなくなるということだ。
敵の大将首を取る好機。
だが彼の力は射程が短いから、この位置からではカインへの援護は一切出来ない。
かといって味方の守りを放棄してあそこまで駆けつけるわけにもいかない。
人は自分自身が思っているほど賢くはない。
アベルは妙案が思いつかないまま、とりあえず外壁に取り付いた敵の首を握りつぶした。
最前線にいる敵の数はこちらの三倍程度。
対するこちらは外壁に全ての部隊を展開することも出来ず、一万程度が内側で待機中だ。
つまり実際に戦っているのは五千人ぐらいだろう。
視界の奥からは、敵が後詰めの部隊も前進させてきている。
となると実際に有効な戦力だけで比較すれば、十倍の敵を相手にしていることになる。
アベルは少し苛立った。
せめて一箇所に集まってくれていれば、強引に圧殺することも出来たものを……。
「カルク! 俺は少し前に出る! 側面は頼むぞ!」
王都の周辺の敵を迅速に殲滅し、あの大物へと向かう。
そう青写真を描いたアベルは、外壁から飛び降りた。
民家を基準にして六階から七階程度。
普通の人間ならばその時点で命を諦める高さだ。
魔族ですら、猫系のように足の軽いタイプでもなければ遠慮したくなるだろう。
そしてアベルが身につけている聖剣と聖鎧の重量は、合わせて平均的な人間の八倍から九倍程度。
彼自身の体重を合わせれば、ちょうど十倍ほどになる。
そんな重量物が落下すれば、いったいどうなるか。
――ドンッ!
「なんだ?!」
衝撃。
振動が地面を介して人々へと伝わった。
「あれは……」
「ビビるな! どうせ大砲だろ!」
「いいから昇れ!」
そう、人は自分自身が思っているほど賢くはないのだ。
外壁の目の前、真上から降ってくる砲弾など、この世界には無いというのに。
近くに落下した”何か”の正体を確かめることもなく、彼らは勝手に結論を出して攻撃を再開しようとした。
――グギョ!
「――?!」
周辺にいた兵達の首が潰され、頭部がありえない方向へと向きを変えた。
それを合図にしたかのように、緩やかな風で土煙が流れていく。
「……魔王だ! 魔王がいるぞ!」
晴れた視界から、魔王が姿を現した。
下にいた人間はその重量で見事に踏み潰されたらしく、放射状に血が飛び散っている。
「何だと?! どけ! 俺が殺る!」
「させるか! そいつの首を取るのは俺だ!」
「無能な男共は下がってな!」
――魔王を殺せば、自分は一躍英雄だ。
功名心。
魔王という手柄を見つけた途端、聖女軍の兵達は統制という概念を放棄した。
自分達の持ち場を離れ、まるで夜の光に群がる虫のように集まっていく。
その様子を見下ろしていたカルクはここが攻め時だと判断した。
人は自分自身で思っているほど賢くはないし、かといって自分自身で謙遜しているほど愚かでもない。
だがどちらにせよ、行動出来ない者に望む未来を引き寄せることは不可能だ。
行動せねばならない。
勝利と栄光が欲しいのなら。
「よし! 横の門を開けろ! 両側から挟み込むんだ!」
彼は壁の内側で待機していた戦力に指示を出した。
「よっしゃ! やっと出番だな!」
「さあ! 行くわよ”おむつ”!」
門がゆっくりと開いていく。
敵に向かって左からは猫の亜人ルッカが率いる歩兵部隊が、右からは人間のティナが率いる”おむつ”部隊が次々と外壁の外へと走り始めた。
「おい! 中から出てきたぞ!」
「汚れた魔族だ! 殺せ!」
差別に最も積極的なのは反差別主義者達である。
なぜなら差別がなくなれば、自分達の影響力が無くなってしまうからだ。
普段は男女平等だの政治的な配慮だのと叫んでいる連中は、出てきた魔族達に対して何の疑問もなく牙を剥いた。
自覚なき二重規範は薄情者達にこそ相応しい。
「こっちだって遠慮しないぜ!」
「おう! 当たり前だ!」
左側から飛び出したルッカ達は、武器を構えて敵に襲いかかった。
相手はこちらを殺す気満々、こちらにだって手加減する理由などありはしない。
体格の良い魔族達が大斧やハンマーを振り回して敵を吹き飛ばし、敏捷性に長けた者達が槍や剣でトドメを刺していく。
ルッカの部隊が衝突した東側は、一気に敵を押し返し始めた。
「うわあああ!」
「くそっ!」
「逃げろぉぉぉぉ!」
アベルの突撃によって崩れた隊列。
その密度が敵前逃亡を図る者達で一気に低下していく。
人の真の価値は苦難によって問いただされる。
数ならばまだ勝っているというのに、彼らは早々に戦意を喪失していた。
「どけ!」
「てめぇ! 自分だけ助かろうとするんじゃねぇよ!」
聖女軍の兵達は敵に背中を向けたまま、先を争った。
前を走る味方を斬り捨て、自分の進路を確保しようとする者までいる。
これではもう誰が本当の敵なのかわからない。
ペンは剣より強いと言うらしいから、こういう時こそ民主的に多数決でも提案してみればどうだろう?
……そんな真に理想に燃える者が一人でもいるのなら、であるが。
とにかくカルクの思惑通り、これで東側は勝てそうだ。
正面もアベルを基点にして押し返している。
例の『聖獣』がこちらに攻撃を再開しない限り、制圧は時間の問題だろう。
となると残るは……。
「”おむつ”達はどうなっている?!」
カルクは西側に出陣した”おむつ”部隊の方に視線を向けた。
”おむつ”達は強力な騎獣ではあるのだが、如何せん数が少ない。
後ろには足の早い亜人で構成した歩兵部隊も続いているのだが、それでも移動速度に差がありすぎる。
数百程度しかいない騎獣部隊が突出したところで、どこまで押し返せるものか。
しかしそんなカルクの心配は杞憂に終わった。
「ちょっと! 止まって! 止まってってばぁぁぁっ!!」
ティナの叫びが戦場に木霊した。
純白のオムツで武装した”おむつ”ことダイパーウォンバット達。
おまけとして兜を装備した彼らは、意欲満点で戦場を駆け抜けていた。
背中に乗せた魔族の指示を一切聞くこと無く、キラキラと瞳を輝かせてぶつかった敵を次々と吹き飛ばしていく。
その重量は馬の二倍以上、それが馬の全力に少し劣る程度の速さで突っ込んでくるのだ。
……普通の人間がただで済むわけがない。
「ぎゃっ!」
「ふぎゃ!」
「畜生! 止まらねぇ!」
ぶつかった人間達が……。
いや、ここは”轢かれた人間達が”と表現した方が良さそうだ。
とにかく生存するには絶望的な水準の衝撃を受けた人間達が、意識と共に次々と吹き飛ばされていく。
背中に乗っていた魔族も何人かは吹き飛ばされたようだが、肝心の”おむつ”達に支障はない。
蹂躙。
まさにその表現が相応しい。
この世界において最強の騎獣は誰なのかを見せつけるかのように、彼らはその無尽蔵の体力で戦場を駆け抜けていた。
それを見たカルクも、心配は不要だったと胸を撫で下ろした。
そう、心配する必要はなかったのだ。
ただ他人を見下したいという欲望に抗うことも出来ないような、そんな薄弱な意志しか持たない者達が徒党を組んだところで、数が増えた以上の意味を持ちはしないのだから。
勝敗は決した。
後は殲滅戦だとカルクが思ったその瞬間――。
――ドンッ!
「うおっ!」
「何だっ?!」
特大の衝撃が大地を揺らした。
砲弾の雨と無数の足音で揺れ続けていた戦場においてすら、規格外。
まさか再び女神アクシルがこの世界に降臨したとでもいうのか。
人々はその正体を求めて周囲を確認した。
「まさかあれか……」
外壁の上に立っていたカルクは、敵の後方にいる『聖獣』を見た。
四足獣は前足を大きく振り上げ、地面を狙っている。
その先にいるのは――。
「カイン!」
逃げようとした敵を握りつぶした直後のアベルは、そこに双子の兄がいることに気がついた。
敵に狙われているのは本人だって気がついているだろうに、回避しようとする気配がない。
ここからではわからないが、もしかして傷を負っているのだろうか?
両手に剣を構えたまま、敵を見上げている。
そして……。
――ドンッ!
勇者カイン。
赤い瞳の勇者の頭上に、『聖獣』の一撃が振り下ろされた。




