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19:彼方の神々

 再び王都へと向けて出発した教会軍。

 山のように巨大な聖獣ルシアとその上に乗った聖女リリアナの背に向けて、赤い瞳のエイリークは冷めた視線を注いでいた。


 ここは聖地を守る外壁の中。


 明かりは小さな窓から差し込む日光だけ。

 彼の周囲には誰もいない。


(ユダか。期せずして尻尾を見つけたな)


 彼の手には一冊の本が握られていた。

 『この本は盗作です』というタイトルの本だ。


 もちろん、それは偶然手にしたわけではない。

 彼にはその本を手に取るだけの確信があった。


(ニトロの……、いや、ジャック・オーの力は死んだ奴をスケルトンにして従える。だが奴の力は同じ名前の奴を一人までしか制御下に置けない)


 エイリークがあの『救世主』を名乗った方のユダに目を付けたのは偶然だった。

 しかしその彼が『聖獣』ルシアに敗北し、そしてニトロの力で亡者となった直後、明らかに世界の裏側を知る何者かが行動を開始したのだ。


 動き始めたタイミング、断片的に把握した行動の軌跡。

 エイリークはその何者かの正体はこの本の作者だと断定していた。


 つまり『救世主』ユダが新たに亡者としてニトロの手駒となったことで、先に亡者となっていた『小説家』ユダが解放されたのだと。


(ふん。ジャックの野郎、やっぱり確保してやがったか)


 『小説家』ユダは”この世界の真実”に気がついてしまった一人だ。

 エイリークとしては是非とも手駒に加えたいと思っていたが、その前にリンチで殺されてしまった。


 ニトロの亡者の力が死人にしか効果を発揮しないのと同様に、エイリークの吸血鬼の力は生者にしか効果を発揮しない。

 彼はそこで仕方なく諦めたのだが、しかし案の定、ニトロがその死体を確保していたらしい。


(だがこれで奴は俺からもジャックからも干渉を受けない身になった。……問題の種がまた増えたわけだ)


 視線の先の聖獣が小さくなっていく。


(あっさりと手放した辺り、ジャックはおそらく”あのユダ”について詳しく知らないはずだ。……ふん、面白くなってきたぜ)


 人は完全にも完璧にもなれない。

 そしてそれは亡者や吸血鬼であっても変わらないようだ。


「彼方の神と彼方の神が殺し合う、大変結構なことじゃねぇか。……なぁ?」


 薄暗い空間の中で、赤い瞳の男が狂ったように口元を歪めた。

 いや……。


 本当に狂っているのだろう、この男は。


 王族特有の赤い瞳を持つ男、エイリーク。

 その心はただ純粋に、世界の破滅と終焉を望んでいた。



「ついに来たな」


「ああ」


 カインとアベル。


 その双子は王都の外壁の上で同じ方向を見ていた。

 地平線の向こうには噂に聞く『聖獣』がその姿を現している。


 ”城のような”とか”山みたいな”などという表現は報告で何度も聞いていたが、実際に自分達の目で見てみるとよくわかる。

 なるほど、確かにこれはでかい。


 勇者対魔王ならば、この世界の歴史上は何度もあった。

 国王対教皇というのもあった。


 しかし女神対聖女という構図は初めてだ。

 あるいは魔王対聖獣でもいい。

 

「数は……。思ったよりも少ないな……」


 カインは言葉を漏らした。

 『聖獣』の巨大さは確かに予想以上だったが、それ以外の敵の規模は思ったほどではなかったからだ。


「こんなものだろう? 前の戦いがおかしかっただけだ」


 アベルのその言葉を聞いた時、カインは自分が先代教皇の時代を基準にして聖地や教会というものを見ていることに気がついた。

 

 カインが王となったのは、グレゴリーが教皇になったのとほぼ同時期だ。

 グレゴリーが死んだという事実は、自分達の時代が終わったことをカインに実感させた。


 それにしても……。


 あの時に見た、地面を埋め尽くすようなグレゴリーの軍勢。

 あれがどれだけ規格外の戦力であったのかを、これから戦うであろう聖女軍は示していた。


 はたしてそれは彼の人徳によるものだったのか、あるいはその覚悟に起因するものだったのか。

 今となっては双子にそれを確認する術はない。 


「こちらも迎え撃つ準備は出来ているが……。あのでかいのは俺達が出るしかないだろうな。向こうもそのつもりでいるはずだ」


「いや、わからないぞ?」


 兜の奥で赤い瞳を光らせたアベルの意見に対し、カインは同意しなかった。


「……? どういうことだ?」


「あそこにいるのは、グレゴリーの時代には主流派と組ませてすら貰えなかった連中のはずだからな。あのでかい犬を当てにしているだけってことも考えられる」


 双子であるカインとアベルの違い。

 それはこれまでの人生において腐りきった人間をどれだけ見てきたのか、という一点に尽きる。


 アベルとて知識の上ではそれを知っているし、雰囲気からも察しているのだが、しかしそれでも自分という存在を根拠もなく肯定し続けてきた者の醜悪を実感するには不十分だった。

 そう、人の心を律するには恥や外聞では力不足だということを理解するには。


「それがどう違う? 結局、俺達にあれをぶつけるってことだろう?」


「お前が言っているのは、向こうが俺達を封じるためにあの犬を使ってくるという意味だろう? 逆にあれを抑えるために俺達が出るという言い方でもいいが」


 グレゴリーのやり方がそうだった。

 勇者ヒロトはあくまでも魔王カインを仕留めるための駒であって、それ以上ではなかった。


 仮にカインが勇者の力を持たない普通の人間であったならば、グレゴリーが勇者ヒロトを使うことは無かったのだ。

 だが今回は……。

 

「違うのか?」


「ああ、おそらく違う」


 地平線近くにいる敵の隊列を確認したカインの赤い瞳。

 そこに宿る光が確信の輝きへと近づいていく。


「あいつらは『聖獣』だけに戦わせるつもりだぞ。……多分な」


「なら残りの連中は手柄と戦利品目当てか? 正気を疑うな」


 これから始まるのは戦争だ。

 そこには約束された勝利も安全も存在しない。


 しかし文字を読めても文章が読めない者が多く存在するのと同じように、それが愚行だと理解出来ない者が一定の割合で存在するのもまた事実だ。


 人はわかりやすい勝ち馬に乗りたがる。

 少なくとも彼らに勝利を確信させるだけの力を、あの聖獣は持っているということなのだろう。


「だとすると、あれだけを突っ込ませてくる可能性もあるわけか」


 アベルにはそれが悪手にしか思えなかった。

 いくら強力な戦力がいるとはいえ、相手の戦力がはっきりする前にそれを敵陣の真ん中で孤立させるなどと。


「それで、というわけではないんだが……」


 カインはアベルにだけ聞こえるように、一つの提案をした。


「……それはかなりリスクが高いんじゃないか?」


「ああ。だが実際にあの『聖獣』とやらを見る限り、シュメールの話も今回は馬鹿に出来ない」


「ふん、これだとどちらが魔王だかわからないな。……いいだろう。仕掛けてきたのはあくまでも向こうなんだ。手加減は不要、好きに動け。……雑用係らしくな」


 勇者と魔王。

 両者が手を組んだのも、この世界の歴史上で初めてのことだ。


「魔王様! 準備できたぜ! いつでも戦える!」


「こっちもだ! 援護射撃は任せろ!」


 王都の各地から、臨戦態勢に突入したという報告が次々と届き始めた。

 魔族達とて、ここで負けてやるつもりもなければ死んでやるつもりもない。


 向こうが殺し合いで自分達の居場所を確保したいというのなら……。

 受けて立つだけの話だ。


 魔王軍対聖女軍。


 ”正義は勝つ”という言葉が事実を的確に表現しているとするならば……。


 さて、最後に残るのはどちらだろうか?


 不満と慢心を煽るだけの役目しか果たさない青い空の下で、正義はいったいどちらにあるのだろうか?


 それが世界に示される時は、もうすぐそこに迫っていた。

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