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15:赤い瞳の魔王

 時間帯は深夜。


 王都から見て南南西にある細い道を、教会の先遣隊四千が進んでいた。

 敵に気が付かれないためにと、灯りもつけていないようだ。


「もうそろそろだな」


 もうじき視界を阻む山を抜け、王都が見える位置に到達する。

 指揮官のファルゴは、どのタイミングで隠密行動を解除するかを考え始めた。

 

 グレゴリーが侵攻した時とは異なり、今回の敵は少数だ。

 それでも一万以上はいるわけだが、しかし王都を放棄して後退しようと思えば即座に移動できる規模ではある。


(北方は奴らの勢力圏。逃げられないように北回りに攻め込みたいところだが……)


 先遣隊の役目は、魔王軍を王都に釘付けにすることである。

 真正面からの戦いならば、『聖獣』ルシアという最強の戦力があるので負けることはないのだから、問題はそこまでどう持って行くかという話になる。


(別働隊は東から進んでいるから、予定通りにいけば北東を抑えられるだろう。さて、こちらも予定通りに北西を塞ぐか、あるいは南に敵をおびき出すか……)


 ファルゴはまだ戦いの前だというのに、早くも戦後のことを考え始めていた。

 このまま魔族の駆逐が予定通りに行った場合、手柄はあの聖女リリアナと新たな教皇ドクトリンがほぼ独り占めすることになるだろう。


 グレゴリーの時代には縁の下の者達にも配慮があったが、まさかあの福音派の領袖様がそんな殊勝なことを考えたりはするまい。

 となると、やはりここで成果を上げて自分の評価を高めておきたいところだ。


(東の連中が下手を打ってくれるとありがたいんだがな)


 ファルゴ達の仕事はあくまでも敵の足止めであって、敵の殲滅ではない。

 それは『聖獣』の役割だから、むしろ手柄を横取りしたと恨まれないようにしなければならない。


 例えば東の別働隊四千が全滅し、自分達だけで本隊の到着まで時間を稼ぎきった、とかいうのが一番好ましい展開だ。

 それならばドクトリンの反感を買うこともないだろう。

 

 ……そうだ。


 人は他人の成功を歓迎したりはしない。

 笑顔で応援し声援を送り、そして失態と失敗を見て嗤うのだ。


 自分にとっての好機は何か?

 それは自分以外の誰かが失敗した瞬間に他ならない。


 まだ魔王軍という敵は健在だというのに、ファルゴは味方の敗北という好機を望んでいた。

 そんな誠実で善良な人間の夢が打ち砕かれたのは、その直後のことだ。


「敵だ!」


 先頭集団から、悲鳴が上がった。



 先遣隊の先頭を歩いていたゴードンは、夜目の効く男だった。


「待て、正面で何か光ったぞ」


 彼は進行方向の奥で“赤い何かが”一瞬だけ輝いたことに気がついた。


「そうか? 何もないぞ?」


 横に並んでいた男も目を凝らしたが、特にそれらしいものは見つけられなかった。

 

「いや、確かに……」


 改めて見てみると、確かに赤く光るものなど何もない。

 だが……。


「人だ……」


 そこには赤い光の代わりに、一人の影があった。

 月明かりだけを頼りに確認できるそのシルエットは、明らかに軽装備ではない。


「誰かいるぞ……!」


 間違いない。

 重鎧を着た人間が一人、こちらを向いて立っている。


「見張りか? まずいぞ……」


 敵の見張りがいた場合、迅速かつ速やかに”処理”することになっている。

 ゴードン達は無言で合図をすると、静かに剣に手を掛けた。


 この細い道では、一度に大人数で攻撃することは出来ない。

 対処は先頭にいるゴードン達の役目になる。


 後ろにいた数人も他に敵はいないかと、弓を構えて周囲を探り始めた。


「……」


「……」


 無言で歩を進める先遣隊。

 両者の距離が徐々に縮まっていく。


 しかし鎧の男に動きはない。

 ……まだこちらに気がついていないのか?


(好都合だ。合図をしたら一気にいくぞ、いいな?)


(ああ……)

 

 確認できた敵は一人。

 問題は敵の本隊に報告されないように処理できるかどうかであって、目先の戦いの勝敗を疑う者などいなかった。


 どれだけ上手く殺せるか、それが彼らにとっての問題だった。


(三、ニ、一……)

「今だ!」 


 その合図と共に、ゴードン達は剣を抜いて走り出した。

 そう――。



 魔王アベルに向かって。



 先頭のゴードン達二人が正面から同時に剣を振り下ろし、後ろの二人が左右に分かれた。

 敵はまだ全くの無反応、防御の気配など当然ない。


(貰った!) 


 人は自分自身の経験で物事を判断しようとする。

 この時のゴードン達もまた例外ではなく、剣が敵に触れる前に勝利を確信した。


 だが――。


 ギギィンッ!

 

 剣はただ甲高い音を立てて弾かれただけだった。


「――!」


 剣を振り下ろした二人は、こう思った。

 ……硬い、と。


 石でもなく、鉄でもなく。

 かといって青銅でも鋼でもない。


 ゴードン達の動揺が表に出るよりも早く、今度は両脇に移動した二人が剣を構えて体ごと突っ込んだ。

 剣の強度と切れ味は折り紙付きで、これに全体重を掛けて突き刺すというのが、彼らの必勝の攻撃だった。


 これならば、相手が例え金属製の鎧でも貫ける。

 そう……、それが普通の鎧ならば。


 バキィン!


「なっ――!」


 息の合った攻撃は、彼らの剣が折れるという結末で呆気なく終わりを迎えた。


 ガシッ!


 予想外の事態に動揺した一瞬を見逃さず、魔王は両側の男の頭部を掴んだ。

 そしてその勢いを完全に殺してから、兜ごと頭部を握りつぶした。


 ……そこに躊躇いはない。


「――!」


 暗闇の中、灯りは月の光のみ。

 だがそんな状況でも、何が起こったのかを確認するのには十分な距離だ。


 ゴードンは息を呑んだ。


 人間の握力で、人の頭部を握りつぶすことなど可能なのか?

 それも金属製の兜の上からだ。


 ……ありえない。

 それが彼の結論だった。


 人は自分自身の判断が一番正しいのだと、心の奥底では信じている。

 ゴードンもまた、そこから逃れることは出来なかった。


 もしも即座に別の可能性を考え始めていたならば、あるいはもう少し長生きできたかもしれない。

 

 ブゥン!


 魔王は腰の剣を抜くと、同じ動きのついでにゴードン達を横薙ぎに斬り裂いた。

 黒紫のオーラと纏った分厚い刃が、二人の男の胴体を上下に分ける。


 最後に悲鳴を上げることすら許されない。

 肺を潰された二人の意識は、自分自身の上半身と一緒に常闇へと落下していった。


 最初に合図があってから、まだ十秒程度しか経過していない。

 しかし後ろで様子を見ていた他の者達は、これが異常事態であることを認識した。


 つまり、自分達が隠密行動を継続できない事態に遭遇したのだということを。

 

「敵だ!」

 

 叫ぶ僧兵。

 これまで物音に耐え続けてきた静寂が、いよいよここで切り裂かれた。


「敵襲! 敵襲!」


 騒がしくなった先頭集団を見て、魔王の瞳が赤く光る。


 ドッドッドッドッドッ!


 戦闘態勢。

 起動した聖鎧によって強化された魔王の心臓の鼓動が、夜の底に響き始めた。


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