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10:動く理由、動かぬ理由

 ユダは混濁した意識と共に暗闇の中にいた。

 感覚はあるが体は動かず、何かを見ている気はするが視界は真っ暗だ。


 唯一支障が無さそうなのは聴覚だけだろうか?


(俺は……、どうなった?)


 そうだ、確かあの巨大な獣に踏み潰されたのではなかったか?

 だとしたらここは死後の世界ということだろうか?


 そこには永遠の平穏があるとも言われているが、しかしユダの心はまるで静けさとは無縁だった。

 これまで奥底から不自然に沸き起こっていた怒りは静まり返り、代わりとして失望とも絶望とも言えない感情が舞い降りてくる。


 もしかするとこれは諦観かもしれない。

 少なくとも、ユダはこれまでの人生で感じたことの無い感情に浸されていた。


「さて、リリアナとルシアの準備は整った。後は踏み潰すだけだ」


(……誰だ?)


 暗闇の向こうから、男の声が聞こえてきた。

 よくよく注意を凝らしてみれば、なんとなく正面に二人いるような気がする。

 

 ……誰だろうか?

 その声はまるで今の自分と同質であるかのように、不自然なまでに不穏を讃えていた。


「さぁ、どうだろうな? あいつらも頭の中身がだいぶ抜けてっからな」


(ん? この声は……)


 まるで全てに対する怒りに満ちたような声。

 ユダがそれが以前に聞いたことがあるものであると、即座に理解した。


(そうだ、エイリーク……!)


 婚約者を奪われて逃げ出したユダに、不自然なまでの狂気を植え付けた男。


 今ならばわかる。

 自分はこの男に短剣で刺されてから、正気を失っていた。


 しかしこの男がいるということは、ここは死後の世界ではないのだろうか?

 では自分は助かったのか?


 単に気を失っただけで、あの巨獣に踏み潰されずに済んだのだろうか?

 だがその疑問に答えてくれるものはいなかった。


「自分の駒がルシアに負けたのが不満か?」 


「そんなんじゃねぇよ。こいつが案内役ぐらいにしか使えねぇのはわかってたことだ」


「なら王都にいる身内を高く買っているのか? 流石は法王様、お優しいことだ」


「けっ。相変わらず嫌味な野郎だぜ」

 

(法王? なんだ? 何を話しているんだ?)


 ユダはそれほど教養のある方ではない。

 高貴な身分でもないので不思議なことではないが、しかしそれでもこの世界に王の椅子がいくつ存在するのかぐらいは知っている。


 故に、彼は思ったのだ。

 法王という役職など、この世界には存在しないはずだ、と。


 しかしだとすれば、彼らは本当に何者なのだろう?

 単にふざけて言っているだけか?


(いや……)


 少なくとも、ユダにはそうは思えなかった。


 エイリークと謎の男。

 彼らはいったい、何をしようとしている?


 ユダは真っ暗の視界の中に答えがないかを探し始めた。

 首を振ってみるが、視界が動く気配はない。


 ……まるで深淵を覗き込んでいる気分だ。


「……。どうやら目覚めたようだな」


 数瞬してからユダは気がついた。

 ”エイリークではない男“が発したその言葉が、自分に対して向けられていることに。


 深淵がこちらを覗き返している。

 ……そんな気分だ。


 そして剥ぎ取られるように視界の暗闇が晴れ、この時点でようやく、ユダは自分が置かれている状況を理解出来るようになった。

 どうやら、自分は壁に磔にされているらしい。


 正面に立つ二人の男。

 片方はやはりエイリークで間違いない。


 そしてもう一人が自分の知らない男だというのも確かなようだ。

 そこまで考えて、ユダは視界の下側に映る自分の体が妙に白いことに気がついた。


 幸いなことに、頭部は拘束されていない。

 彼は何かと思って視線を下に向け――。


「……え?」


 そして固まった。

 現実感のない現実を、そして受け入れがたい事実を、頭と精神が拒絶したがっている。


 だが理性とは大したものだ。

 エイリークの力から開放されたユダは、こんな状況でも実態を受け入れることに成功した。


「う、うわァァァァァァァぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁ!」


 部屋に木霊する、『救世主』の絶叫。

 彼の視界に映ったのは、完全に白骨化した自分自身の体だった。



 

 王都にある“おむつ“の小屋。

 そこではいつもの通り、魔獣ダイパーウォンバット達が過ごしていた。


 いや、彼らにとってはいつも通りでは無いかもしれない。

 なぜなら、彼らに新しいおむつが与えられていたからだ。


 シュメールがいないため、作業をしているのはカイン一人。

 積み上げられた新品のおむつを見た魔獣達はその目を輝かせ、我先にと彼のところに集まっている。


 人間には理解しがたい、おむつへの信仰。

 それがいったい何を根拠にしているのかは定かではないが、しかし全員のおむつが新品に取り替えられる頃には、彼らのカインに対する感情はもはや神を崇めるかのような段階にまで到達していた。


(よし、これでどうだ?)


 全てのおむつを交換し終えた後、魔獣達の熱く純粋な視線を集めながら、カインは“ボスおむつ“に跨った。


 他の”おむつ”達とは違い、こいつだけは未だにカインの言うことを聞く素振りを見せていない。

 しかし元国王カイン改め魔獣王カインとなるためには、こいつを従えることが必須だ。


 故に彼は新しいおむつを餌にして、このボスを他の魔獣達同様に手懐けるつもりだった。

 新しいおむつで心が踊っている今ならば……。


 が、しかし――。


 ……ぼふっ。


 ”ボスおむつ”は背中に元国王を乗せたまま、座り込んでしまった。

 女神シュメールの時と同じ展開だ。


(駄目か)


 予想の範囲内ではある。

 しかしカインは内心で、彼女がいなくて良かったと安堵した。


 こんなところ見られたら、いったい彼女はどんな反応をすることか。 

 きっとそれ見たことかと言わんばかりに、勝ち誇った顔をするに違いない。


(それにしても、本当になんでこいつは動かないんだ?)

 

 この”ボスおむつ”にも、しっかりと新しいおむつは履かせている。

 仮にも元国王が直々に作った特製のおむつを、だ。


 最初はおむつの出来栄えが気に入らなかったのかと思ったが、一度降りてから顔を見てみると、間違いなく嬉しそうな顔をしていた。

 少なくとも新しいおむつの効果はあったらしい。


(ということは……。もしかして、理由はおむつじゃないのか?)


 この魔獣の生態についてはティナから聞いている。

 群れのボスの存在意義は、確か散歩の時に先頭を歩くぐらいしかなかったはずだ。


 だとすると……。


(まさか、俺にその役目を取られてふてくされてるのか?)


 そういえばこの”ボスおむつ”が群れの先頭を歩いているのを見たことがない。

 自分がボスの仕事を取ってしまったということか? 


(いや待て。ティナの話だと、こいつは俺が来る前からこうだったはずだ)


 この魔獣はどうして動かないのだろうか?

 カインは”ボスおむつ”のほっぺを両手でわっしと掴んでみた。


 カインと”ボスおむつ”、一人と一匹の視線が正面から交わる。

 つぶらな瞳には敵意は宿っておらず、特に嫌がる素振りも見られない。


 これならば素直に言うことを聞いても良さそうなものだが……。


「うーむ……」


 とにかく、今後のためには魔獣達をどれだけ上手く操るかが重要だ。

 それが”おむつ”の中でも特に強力な個体となれば尚更だろう。


 こいつを如何にして御するか、改めて首を捻ったカイン。

 そんな彼を、魔獣は何かの思いを秘めた瞳で見つめていた。


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