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8:聖獣ルシア

 魔王軍の本拠地となった王都で、 “おむつ魔獣”ことダイパーウォンバット達は呑気におやつの干し草を食べていた。

 雑食でなんでも食べる彼らにも、最近はベジタリアンブームが訪れている。


 そんな彼らのためにせっせと追加の干し草を運んでいく、雑用係“その一“と”その二”。

 ここにいる”おむつ”だけでも五十匹ぐらいいるので、中々の重労働である。


 “おむつ”達は道の左右にある小屋に半数ずつ入れられている。

 向かって右側がカインの担当、反対側がシュメールの担当だ。


「な、なんで女神の私がこんなことを……」


 雑用係その二、つまり女神シュメールは両肩で溜息を吐いた。

 どうやら体力に関しては、彼女も大したことがないらしい。


 カインはそんな彼女に構うこと無く、仕切りの中にいる”おむつ”達に向かって干し草を投入し続けている。

 勇者の力で体力が強化されていることもそうだが、十年の軟禁によってこの手の作業に慣れてしまったことが大きい。 


 元国王が担当している向かい側の魔獣だけが干し草を貰えているのを見て、シュメールが担当している側の”おむつ”達は黒くてつぶらな瞳で催促した。

 仕切りの木を手や鼻で叩き、リズミカルに音を鳴らす”おむつ”達。


 彼らは正面の小屋で先に干し草を食べている仲間達を羨ましそうに見ている。

 彼らにとっては、ちゃんとおやつをくれるカインの方が、シュメールよりも格上だ。


「……ふっ」


 勝ち誇った目で女神を見た元国王。


「ぐぬぬぬ……。み、見てなさい! 私だって!」


 言葉が話せない”おむつ”達の意図を、しかし彼女も汲み取った。

 なんだか悔しいので、作業を再開する。


 「あ、そろそろ”おむつ”達、散歩の時間ですー」


 そこに、二人の指導役として雑用係長に任命されたティナがやってきた。

 それを聞いたカインが木製のゲートを開いてやると、”おむつ”達がぞろぞろと小屋の外に出てきた。


 “おむつ”達は群れで散歩する。

 群れのボスを筆頭に、他の“おむつ“達が続いていくのだ。

 

 そしてどうやらカインが担当していた小屋の”おむつ”達は元国王をボスとして認識したらしく、彼の前に二列で整列した。

 とても良い子達である。

 

 それを見たシュメールは目を光らせた。

 長い黒髪を揺らし、ゲートに向かって走る。


「いいでしょう! さあ、私の前にひれ伏しなさい! “おむつ“達!」


 自分の担当する小屋の”おむつ”達が同様に並ぶのを期待して、シュメールはゲートを開いた。

 こちらからも”おむつ”達がトコトコと出ていく。


 だが――。


「ちょっと! なんでそっちに並んでるのっ?!」


 シュメール担当の”おむつ”達は、そのまま彼女の前を通り過ぎて、カインの”おむつ”達の列に並んだ。


「……ふっ。魔獣は素直だな」


 カインは再び勝ち誇った目で女神を見た。

 人気投票で言えば、100対0で勝ったようなものだ。

 

「ぐぬぬ……」 


 シュメールは若干涙目になっていた。

 この女神、優秀そうなのは本当に見た目だけらしい。


「二人共、なんで”おむつ”で張り合ってるんですか……」


 呆れたティナの視線の先には、一匹だけ小屋に残った“おむつ“がいた。

 他の”おむつ”達だって馬と同じぐらいの大きさはあるのだが、その“おむつ“はさらに二回りほど大きい。


「それじゃあ、俺は散歩に行ってくるぞ。……こいつらは“俺と“行きたがっているみたいだからな」 


 “俺と“の部分を強調したカイン。

 彼は悔しそうに涙目でハンカチを噛み始めた女神を置いて、”おむつ”の軍勢と共に出発した。

 

「うぬぬ……。ん?」


 恨めしそうな、というよりは単純に羨ましそうな視線で彼らを送り出したシュメール。

 彼女は、自分の方の小屋にまだ一匹残っていることに気がついた。


 そう、先程ティナが見ていた個体である。

 最も大きく、強い”おむつ”。


 つまり“ボスおむつ“だ。


「なんだ、まだいるじゃないですか―! いいでしょう! この子は私が散歩に連れて行ってあげましょう!」


「あっ! シュメールさん、その”おむつ”は!」


 女神はティナが止めるのも聞かず、小屋の中で一番大きな”おむつ”に飛び乗った。


「さあ、出発ですよ!」


 小屋の外を指さしながら、両足で“ボスおむつ“の脇腹を叩く女神。

 そして――。

 

 ”ボスおむつ”は干し草を食べ始めた。


 ”ボスおむつ”は干し草を食べている。


 ”ボスおむつ”は干し草を食べている。


 ”ボスおむつ”は干し草を――。


「ちょっと! なんで動かないのぉーー?!!!!」


「あぁ、やっぱり……」


 ティナは予想通りと言わんばかりの表情だ。


「ほらほら! 女神様が上に乗ってますってばぁー! 今日から神獣にしてあげるから、動いてよぉー!」


 シュメールがさらに手足をばたつかせると、”ボスおむつ”はようやく動きを見せた。 


(やった! 動い――)


 ……ボフン!


 ……”ボスおむつ”はその場に座り込んだ。

 完全にボイコットの態勢である。


「なんでぇぇぇぇーーー?!!!」


 小屋に女神の絶叫が木霊した。


「待って! 待ってシュメールさん!」


「止めないでください! こうなったらもう、逆に私がこの”おむつ”を背負って――」


「そうじゃなくて! 外! 外!」


「……え? 外?」


 ウォォォォォォォォォォン!


「……なんだ?」


 散歩に出発したカインは、足を止めて空を見た。

 ”おむつ”達も世界の異変を感じ取って戸惑っている。


 犬か、あるいは狼か。

 この世界の青い空を、特大の咆哮が埋め尽くした。



 聖地では、地面から表れた純白の巨体に誰もが圧倒されていた。

 

「なんだあれは?」


「大きい……」


「聖獣様だ! そうに違いない!」


 人は自分の判断こそが核心を突いていると信じたがる。

 聖女リリアナに応えて出現したそれを、きっと聖なる獣に違いないと信じ込んだ。


 聖女と聖獣。

 善と正義の担い手としては絶好の構図である。


 そんな聖獣によって大地から天高く突き上げられた『救世主』ユダは、これまで鳥達が独占していた聖地の景色を見た。

 眼下には白色の四足獣が、城のような巨体でこちらを見つめている。


 一瞬の無の後に来る落下。

 ユダの体は再び大地へと引き戻された。


 だが残念なことに、彼には空中で自由に行動する能力はない。

 仕方なく姿勢を立て直し、落下に備えることにした。


 ――ドンッ!


 彼が激突したのは石畳の地面だ。


 衝撃で全身の骨が砕け、内臓に突き刺さる。

 その内臓自体も耐えきれずに、いくつかが破裂した。


 飛び散った血液は明らかに致死量を超えているから、普通の人間ならばこれで確実に死んでいるだろう。

 つまりここで死なないという事実は、彼が既に普通の人間ではなくなっていることを肯定していた。


「はぁ、はぁ……」


 血だ。

 血が足りない。


 ユダの本能は、ひたすらに血の補充を叫んでいた。

 なんとかして上体を起こし、近くに補給に使える“血袋“が無いかと探す。


「ひっ! なんだこいつ!」


「ば、化物だ!」


「きゃああああ!」


 近くにいた人々はユダの姿を見て悲鳴を上げた。


 落下の衝撃に人間の体は耐えられない。

 となれば今動いているのは、それ以外の部分ということだ。


 細い胴体、そして極端に長くなった腕、口からは尖った歯が不規則に飛び出している。

 人間の骨格という制約から開放された肉は本来の力を開放し、ユダの姿を人間からかけ離れたものへと大きく変えていた。


 白き聖女。


 白き聖獣。


 そして醜い悪魔。


 この瞬間、聖地には新たな善悪の基準が引かれたと言っていい。


「ルシア。悪を打ち払いなさい」


 リリアナは人の姿を捨てたユダを指し示した。

 それに呼応して、純白の『聖獣』ルシアが駆ける。


 大地を揺らし、悪の芽を摘むために。


(来た!)


 ユダはズルズルと大地を這いずり、予想される攻撃を回避しようとした。


 先程の攻撃で、その威力は把握している。

 今の状態でまともに攻撃を喰らえば、そこで終わりだ。


 しかし体が思うように動かない!


(動け! 動け!)


 ユダを押しつぶそうと、ルシアが前足を振り上げる。


 攻撃が来る!

 逃げろ!


「動けぇぇぇーーー!」


 ――ドンッ!!!!


 振り下ろされた鉄槌。

 ユダの叫びを衝撃が掻き消し、大地が再び大きく揺れた。

 

 舞い上がった土煙と残響の後に、静寂が訪れた。

 聖獣が叩きつけた前足を引っ込めた後に残っていたのは、ただ”ユダだったもの“だった。


 ウォォォォォォォォォォォォォォォォォォォン!!!!!!!


 巨獣が天を仰ぎ、咆哮を上げる。


 『聖獣』ルシア。

 その巨体から放たれた勝利の雄叫びは世界に鳴り響き、その力を示した。


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