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7:聖女リリアナ

「男は集まれ! 大砲を外に出すぞ!」


「防具は女性様が優先だ!」


 先刻までは平和派の神官達によって封鎖されていた武器庫。

 そこは既に公平派によって鎮圧され、武器の運び出し作業が始まっていた。


 先日の戦いによって多くが持ち出されているとはいえ、それでもまだかなりの武器が残っている。

 非常時とあって、他の派閥に属する者達も手伝おうと集まって来た。


「私達も手伝います!」


 新たに到着したのは、聖遺派の一団だ。

 普段は書物の管理等をしている数十人は、その全員が若い女性だった。


 本や石板というのは重ねればかなりの重量になるため、それを普段から持ち運びしている自分達ならば、力仕事も手伝えると考えたのである。

 そして実際に、彼女達の考えは正しい。


 この状況において、彼女達は極めて重要な戦力となりえた。

 が、しかし……。


「いけません! 女性様にそんなことをさせるなど!」


 公平派の男は、力仕事を手伝おうとする彼女達を見ると、慌てて止めた。


「しかし、今はそんなことを言っている場合では……」


「非常時とはいえ、いや、非常時だからこそ、女性様の人権を粗末にするようなことは出来ません!」


 和解だの講和だのという言葉が通じないような敵がすぐそこまで迫っている。

 彼女達はこれが背に腹を変えられない事態だと思ってここまで来たのだが、どうやら公平派の男達はそう思ってはいないらしい。


 ……いや、男達だけではない。


 彼女達はその時点になってようやく気がついた。

 公平派に属していると思われる中年の女が数人、我関せずといった様子で近くに立っているのを。


 日頃の不摂生を証明するかのように凹凸のない体をした彼女達は、それが当然の事であるかのように、全く手伝う素振りを見せなかった。


 権利という恩恵のみを享受し、義務という支払いを放棄する。

 なるほど、個人の損得勘定の面から言えばそれは正しい。


 自分にとって有利なルールを残して不利なルールを撤廃するというのは、合理的な戦略だ。

 ……自分の周囲だけを抜き取って考えるのであれば。


 そうだ、本音と建前は違う。

 公平というのは、決して数字の配分が同じことをいうのではない。


 彼女達は自分に有利であることが公平だと思っていたし、彼達はその理念のために割高な犠牲を払うことに何の疑問も感じていなかった。


「敵が来るぞ! 男達は急げ!」


 そして指揮官の激が飛び、男達は敵の来る方に向かって走っていった。

 もちろん、女達は一人も連れて行かずに。



 聖地という土地は、長年に渡って教会の本拠地として機能してきた。

 その影響により聖地内各所には演説に適した場所、つまり大きな広場が意図的に設けられている。


 公平派領袖ステイシルが率いる軍勢は、その内の一箇所に展開して敵を迎え撃とうとしていた。

 弓と杖を構え、何も知らずに入り込んできた敵に矢と魔法の雨を降らせようというのである。 


「向こうに逃げたぞ!」


「追え追え!」


「きゃああああ!」


 地方連合軍のものと思われる喧騒と、聖地民のものと思われる悲鳴。

 その二つが徐々に近づいてきた。


 どうやら、敵は特に思想もなく進んできているらしい。

 軍事学が原初に近い水準まで退化したこの世界において、彼らが今回の市街地戦は攻める側に不利だと理解できないのは無理からぬ話か。


「敵軍、来ました!」


「よろしい。総員、攻撃準備!」


 公平派領袖ステイシルは本来の指揮官を押しのけ、大した経験もないのに部隊の指揮をしていた。

 もちろん、その目的が自身の教皇選を有利にするためだったのは、言うまでもないことだろう。


 ”機会は公平にあるべき”という口実の下、彼は他人の命を自分の出世のために利用することにした。

 正面から何も知らずに向かってくる敵の姿を確認し、彼らに矢と魔法の雨を降らせるべく口を開こうとした、その時――。


 ヒュン! ドスッ!


 別の方向から勢いよく飛んできた槍が、ステイシルの心臓を貫いた。

 その速度は人間が投げたにしてはやけに高速で、本人はもちろん周囲の者達ですら、攻撃に気がついたのは彼が貫かれてからだった。


「――?!」


「ステイシル卿!」


 戦場を甘く見ていたステイシルは鎧など着けていなかった。

 そこに槍が直撃したのだから、まさか無事な訳がない。


「やったか?」


 槍を投げた張本人、ユダは遠目で獲物の状態を確認した。

 周囲には彼の味方はおらず、聖地民の死体がいくつか転がっているだけだ。


 その死体が誰によって作られたものかなど、議論の必要もないだろう。


 ステイシル達が待ち構えていることを察知した彼は、どうやら単独で敵の側面へと移動していたらしい。

 ユダの視界の先では、枢機卿が一切の抵抗も見せずに崩れ落ちた。

 

 王都での戦いの際、今は亡き教皇グレゴリーも奇襲により心臓を貫かれたわけだが……。

 しかし彼がそんな体になっても戦い続けたのとは違い、ステイシルがそれ以上動くことはなかった。


 ……呆気ないものだ。


「今のウチだ! 殺っちまえ!」


 混乱に乗じて、地方軍の兵達が一気に距離を詰める。


 迫る敵。

 しかし教会側は誰一人として攻撃しない。


(どうする? ここで撃ったら、命令違反で処罰されるかも……!)


(早く! 早く命令を!)


 目の前にいる相手が自分達を殺そうとしているというのに、彼らはそれよりもむしろ命令違反で処罰されることの方を恐れていた。

 そんな呑気な事を考えている間に、広場は乱戦模様へと突入する広場。


「ぎゃぁああああああ!」


「うわあああああ!」


「助けっ――!」 

 

 保有する戦力で言えば、教会に属する彼らの方が遥かに上だ。

 しかしその刃をまともに扱えない者達に勝ち目などなかった。


 飛び散る血と悲鳴。

 聖職者達は容赦なく斬られ、刺され、蹂躙されていく。


「ふふふふ、ははははははは!」


 それを見ていたユダは我慢しきれずに走り出した。

 自分も血の饗宴に混ざろうと疾走する。


 そして最初の一人に飛びかかって斬り捨てた……、その直後である。


「おやめさない」


 混沌とした戦場に、少女の声が響き渡った。

 それは別に叫び声でも何でもなかったというのに、妙に人々の耳に染み込んでいく。


 誰もが我に帰り、その手足を止めた。

 何か特別な存在の声を聞いたと、誰もがそう思ったのである。


 一瞬にして戦場は静まり返った。

 今の声はいったい何だったのか。


 彼らはその正体を探して周囲を見渡し、そして見つけた。

 純白のドレスに身を包んだ少女の姿を。


 そして彼女を見た瞬間、誰もが確信した。

 先程の声はきっと彼女だ、そうに違いない、と。

 

 少女の後ろからはドクトリンを初めとした福音派がついてきており、まるで洗脳でもされたかのように瞳を輝かせている。

 この場にいた全員の視線が“彼女”に集まった。


「私の名はリリアナ。さあ、皆さん。もう無益な争いは止めましょう。話せば必ずわかり合えます。祈れば全ての願いも叶います。これ以上、世界に血を流してはなりません」 


 重要なのは”何を”言っているかではなく、”誰が”言っているかだ。

 話の中身はそれこそ平和派と同じだというのに、しかし人々は『聖女』リリアナの言葉に聞き入った。


 この場にいた誰もが戦意を失い、彼女の言う通りにしようとしている。

 その視線に疑念が込められていたのは唯一人、『救世主』ユダだけだ。


「……なんだお前は?! 邪魔をするな!」


 せっかくの血が流れる場面に水を差されて、彼は苛立った。

 自分でもよくわからなかったが、ユダは目の前にいる少女と相容れない気がした。


「祈れば願いが叶う?! ふざけやがって!」


 話してわかるなら、自分はここにいない。

 祈って願いが叶うなら、自分はここにいない。


「事実です。さあ、あなたも一緒に祈りましょう」


 ……わかりあえる気がしない。


 人は他人の話を聞くことはあっても、他人の意見を受け入れることはない。

 ユダもリリアナも、相手の言い分を理解してやる様子など微塵もなかった。


「だったら……、やってみろ!」


 ユダは剣がペンよりも強い事を証明してやろうと、大地を蹴った。

 人間には到底実現できない速度で、少女の命を刈り取りに迫る。


「リリアナ様!」


 ドクトリン達は悲鳴にも似た叫びを上げた。


 盾になろうにも、彼らの位置からでは間に合わない。

 彼女の存在が神々しすぎて、近くに立つのを躊躇っていたのが災いした。


 剣を構えて迫るユダ。

 しかしリリアナに怯む様子は見られない。


「大丈夫です。祈りは必ず通じます」


 ゴゴゴゴゴゴゴッ!


 リリアナが祈りの態勢をとった直後、大地が大きく揺れ始めた。

 その揺れ幅はあまりにも大きく、ユダも思わず足を止めてしまった。


「なんだ――!」


 そして――。


 ドォォォォォォォンッ!


「――!」


 犬か、あるいは狼か。

 ユダの足元から、まるで城のように巨大な四足獣が大地を破り姿を表した。


 圧倒的な質量。

 圧倒的な速度。


 真下から体当たりの直撃を受けたユダは、天へと突き上げられた。


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