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6:聖女復活

「逃げろ逃げろ!」


「どけっ! 俺が先だ!」


 教会は聖地の住人に対して、地方連合軍の到来を教えていなかった。

 一般の住民達が敵の存在に気がついたのは、彼らが街の近くまで来てからである。


 故に地方連合軍の侵入を許した聖地は、我先に逃げる住民とそれを追いかける者達で、一気に混乱の底へと叩き落とされた。

 ナザエの指示で武器を置いて後退した部隊は、勝ち目がないことを悟った瞬間に敵前逃亡者が続出し、交戦すらせすに瓦解している。


「一人も逃がすな! 全員殺せ!」


 老若男女を問わず転がった死体を見て、ユダは我を忘れる勢いで歓喜した。


(これだこれだこれだこれだこれだ……、これだ!)


 老夫婦が二人揃って道端に倒れている。


 若い恋人同士は互いを囮にして逃げ出そうとしている。


 夫を失った妊婦は腹を引き裂かれ、中の子供を引きずり出された。


 ……そうだ。

 自分はこれを求めていた。


 誰も幸福を甘受できない世界。

 誰もが惨めに血を流して朽ち果てる世界。 


 これが世界のあるべき姿だ。

 見ろ、これが現実だ。


 愛や恋など、まやかしに過ぎない。

 善や正義など、どこにも存在しない。


 女神教の装飾が施された街並みを進み、ユダはかつての婚約者に似た女が逃げ出そうとしているのを見つけた。

 腕に抱えている荷物を見る限り、家にある金目の物をかき集めて来たのだろう。


 いや、もしかしたら火事場泥棒かもしれない。

 そう、女にとって一番大事な物は金だ。


 ユダは普通の人間に成し得ない速度で走り出すと、逃げる女を追い越し、進路を塞ぐように前に出た。


「ひっ! 助けっ―!」


 グギョ!


 話す必要はない。 

 ユダは女の首を一息で”握りつぶす”と、頭部を背骨ごと引き抜いた。 

 

 ボキボキと肋骨が折れ、脊柱だけが綺麗に姿を表していく。

 人体の構造を踏まえれば少し首を傾げそうになる現象だが、しかしそれを気にする余裕がある者などいない。


 ましてや、実際に試してみたことがある者など……。


「ああ……」


 愛する者の血はなんと美味いものか。

 ユダは元婚約者のことを思い浮かべながら、首を失った体から吹き出す血を満足そうに啜った。

 

「ひ、ヒィィィィィ!」


 逃げ遅れた聖地民達は、そんな彼を見て腰を抜かした。

 どう見たってまともな人間ではない。


 食われる。

 殺されると言うよりも食われる。


 それは予想ではなく確信だった。

 

「もっと、もっとだ……」


 婚約者を他の男に取られた傷。

 その拗れ切った精神は、ただ破壊と破滅を求めていた。


 血にまみれた狂人ユダは進んだ。

 新たな婚約者の影を求めて、聖地の奥へと。



「ええい! ナザエなどの甘言に乗せられおって!」


 再び聖地の奥まで避難してきたドクトリンは、怒りのままに壁を叩いた。

 ナザエが展開した部隊に武器を捨てさせたりしなければ、聖地への敵の侵入を許すことはなかったはずだ。


 おかげで、自分が手柄を立てる好機を逸してしまったではないか。


(ナザエの奴がいなくなったことは幸いだが……、相対的に得をしたのはステイシルだけか)


 こうしている間にも、地方連合軍は聖地中心へと向かって来ている。

 しかしドクトリンは”そんなこと“よりも、他に点数稼ぎによい方法はないものかと考えていた。


 彼らがこの聖地に来たのはつい最近。

 いざとなれば再び辺境の地に逃げれば良いだけの話だ。

 

 結局のところ、彼らはこの土地を是が非でも守るべき場所だとは認識していなかった。

 地方連合軍は、来るべき魔王軍との戦いを勝ち残るためにここが必要だと考えていたにもかかわらず、である。


 かつて教皇となったグレゴリーが、他の派閥を味方陣営に加えるかどうかを決めた際の判断基準。

 それは正にここにあった。

 

 つまり、なぜ彼はドクトリン達を非主流派として教会領の辺境まで追いやったのか、という話である。

 彼らは教会内部での権力争いにしか興味を持とうとはしない。


 ……それが答えだ。


 平和派領袖ナザエは呆気なく消えた。

 この時点で次の教皇の椅子に最も近いのは、福音派領袖ドクトリンと公平派ステイシルの二人。


 それが彼らにとっての唯一の関心事であり現実だ。

 

(しかし妙だ。この好機に、ステイシルがまだ大きな動きを見せていないとは……。いつもの奴ならば、誰よりも最初に動いていてもおかしくないものを。何か策があるのか?)


「ステイシル卿はどこに?」


「はっ! 先程、公平派を率いて武器庫に向かいました!」


「そうか……」


 人は物事を自分の知っている範囲に当てはめて考えようとする。

 相手は事情の異なる別人だというのに、ドクトリンは自分の事と同じようにステイシルの意図を推し量った。


 相手の立場に立って考えるというのは、必ずしも感情の面だけに限定されるわけではないというのに。


(部隊を再編して敵を迎撃する気か。奴め、さてはナザエには纏めきれないと踏んで、機会を狙っていたな)


 つまりドクトリンがやろうとした役目を、横から掠め取ろうというわけだ。

 

(こちらが使おうとしていた戦力はナザエのせいで使えなくなった。それを予想していたとすれば、別の戦力を用意しているはず……)


 これではステイシルの賢明さが強調され、逆に自分は先見の明のない無能に見えてしまうではないか。

 公平派を妨害しなければならない、ドクトリンがそう思った時、福音派の教徒が慌てた様子で走ってきた。


「枢機卿! 大変です! 儀式が成功し、聖女様が復活されました!」


「……何? 今はそんな――」


 その報告を聞いた瞬間、ドクトリンはそれをどうでもいいことだと判断した。

 だが……。


(いや、待て……)

 

 福音派にとって、神託は最優先事項。

 敵の脅威が迫ってきているこの状況において、神託にあった“聖女復活“に邁進すれば……。


 それは女神の第一の下僕である教皇として、最も相応しい行動と評されるのではないか?

 そして復活した聖女の第一の後援者となれば、自分こそが教皇に相応しい人間であると見せつけることが出来る。


「復活の儀をしているのは、確か中央祭壇だったな?!」


「はいっ!」


「よし、お前達は公平派が女神様の意志に背かないように止めに行くのだ! 断じて勝手な真似をさせてはならぬ! 私は聖女様を保護しに行く!」


「はっ!」


 今こうしている間にも、敵は近づいてきている。

 血に飢えた『救世主』を筆頭に、聖地の住民を皆殺しにしようと武器を振り回しているはずだ。


 逃げ遅れた人々は、間違いなくその餌食となっているだろう。

 そして逃げられた人々に牙が届くのも、間違いなく時間の問題だ。


 そう。

 ……ただそれだけだ。


 宗教は人を救わない。

 多数の命に危機が迫ろうとも、世界の本質は別に何も変わりはしない。

 

 ……単に新たな建前が生まれるだけだ。


 ドクトリンは一直線に中央祭壇へと向かった。

 彼の脳内にはもう、迫る敵と戦おうという考えは微塵も残っていない。


 それよりも重要なのは聖女のことだ。


 復活したのがどんな人物かはわからないが、聖女というのだからきっと女だろう。

 だとすると、男女平等を謳う公平派が口を出してくることは明白。


(急がなければ……!)


 ステイシルよりも先に聖女と顔を合わせ、自分が教会の最重要人物であると認識させる必要性がある。

 そんなことを考えながら、ドクトリンは聖女復活の儀式が行われている祭壇のある場所へと飛び込んだ。


 そして――。


「……!」


 彼は見た。


 儀式に参加した数百人の教徒達が、全員跪いて祈っているのを。

 その中心に一人だけ、純白のドレスを着た少女がいるのを。


 周囲の者達同様に目の閉じて祈っていた彼女の姿を見た瞬間、ドクトリンはまるで雷に打たれたかのように固まった。


「なんと……」


 神々しい。


 ドクトリンは確信した。

 彼女こそがそうなのだと。


 もはや、その存在の真偽を疑うまでもない。

 

 『聖女』リリアナ。

 彼女は今、ここに復活した。

 

 

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