4:双子草
青い空の下、カインは他の魔族達と一緒に双子草の苗を植える作業をしていた。
ちなみにだが、双子に上手く丸め込まれた女神シュメールも一緒である。
彼女がこの世界に来て間もない神であることを聞き出したカイン達は、『この世界はギブアイドテイクが基本だ』とか、『神の力が使えないなら労働力ぐらいにしかならない』とか、それはもう情弱をカモにする詐欺師のような手際の良さで、自分達に有利な条件をねじ込んだ。
あまりにも一方的な展開を見た幹部達から、『もしかしてアクシルの方がマシだったんじゃないか』という声が上がったのも無理はない。
というわけで、この世界の新たな『管理者』シュメールは、本日より魔王軍の雑用係その二である。
ちなみにその一はカインだ。
別に魔王軍に参加するつもりはなかったのだが、魔族達が忖度に悩まなくて良いようにということでこうなった。
流石に魔王の兄弟となれば彼らも扱いに困るだろうから、立場をはっきりさせる意味でも、この辺は仕方がない。
「あ、ちょっと! なんで食べてるの!?」
苗を補充しようとしたシュメールが声を上げた。
見れば、双子草の苗を積んだ台車を引いていた”おむつ魔獣”ことダイパーウォンバットが、むしゃむしゃとその苗を食べているではないか。
「離しな……、さいっ!」
おむつがくわえた苗を掴んで取り上げようとするシュメール。
「――!」
余談だが、おむつ達は雑食である。
彼らにとって、双子草はおやつや軽食扱いだ。
フルフルとつぶらな黒い瞳を震わせて、大事なおやつを奪われまいと必死の抵抗を見せるおむつ。
そんな一人と一匹の仁義なき戦いを見ながら、周囲の魔族達は溜息をついた。
(これが……、新しい女神かぁ……)
もしかして本当にアクシルの方がマシだったのではないかという懸念と見解が、魔王軍の中で共有された瞬間である。
この一点において、彼らの心は一つになったと言っても過言ではない。
「ちょっと、カインさん達も手伝ってくださいよ! 一応、皆さんの健康にも関係するんですから!」
「健康? 別に俺達はこの草を食わないぞ?」
双子草は人間や亜人の食用には適さない。
故にカインはこれが薬の材料にでもなるのかと思った。
この世界の治癒魔法は効果が低いので、治療薬の価値は非常に高い。
女神であれば未知の薬の製法を知っている可能性だってある。
だが、返ってきたシュメールの言葉はカインの予想とは違っていた。
「汚染ですよ。原因不明の瘴気がこの世界全体を覆ってるんです。別に二、三日でどうなるわけじゃありませんけど、そのせいで平均年齢は確実に下押しされてます」
カインは周囲の魔族達と顔を見合わせた。
彼女を侮っていたというのとは無関係に、それが無視できるような情報ではなかったからだ。
「どういうことだ? これを植えると何か変わるのか?」
「まあ、少しは。この植物って、土だけじゃなくて空気も浄化してくれるんですよ。今こうしている間にも瘴気は供給され続けているので、これが増えた分だけ浄化量が増えてマシになるって感じですね」
この世界が汚染されている。
そんなことは考えたことがなかった。
いや、この青い空の事を踏まえれば、予想外でもないか?
「供給され続けているなら、大本を止めればいいんじゃないのか? 今の管理はお前がしてるんだろう?」
カインは当然の質問をシュメールにぶつけてみた。
確か、封印されているのは主に彼女個人がこの世界に直接干渉するための力であって、それ以外は問題ないはずだ。
だったら彼女の力で瘴気とやらを止めてしまえばいいではないか。
「それが供給源がどこにあるのかわからなくて。検索しても引っかからないし」
カインは改めて溜息をついた。
女神アクシルと戦った時は、神を味方の戦力に出来たらどれだけ良いものかと考えたが、いざ本当に味方になってみれば”コレ”である。
「……やっぱりポンコツ女神か」
「うわっ、ひっど! 本人の前でそれ言います?!」
彼女が別の世界から来て間もないからなのか、シュメールの振る舞いはこの世界の住人には少々違和感がある。
率直にいってテンションが高すぎるのだ。
これに無理なくついていけるのは、それこそティナぐらいのものだろう。
(聖地が勇者殺しの剣以外に何か隠し持っていないか知りたかったんだが……。この様子だと期待できそうにないな)
カインが先代から引き継いだ本。
そこに記された申し送り事項の中には、勇者殺しの剣以外にも戦局を一変させる存在が示唆されていた。
幻影の王、不死の聖杯、吸血鬼の短剣……。
勇者殺しの剣が実在していなければ容易く一蹴されるような眉唾、伝説にもならない伝説達。
仮にそれが本当に実在するとして、王国は所在を把握していないから、可能性があるのはそれ以外だ。
聖地か、亜人領か、あるいはどこか誰も知らない場所に忘れ去られているのか。
これこそ正に女神様頼みの案件なのだが、当の本人がこれでは……。
「はぁ……」
カインは改めて大きな溜息をついた。
おむつのつぶらな瞳がなぜか同情的に見えるから不思議なものだ。
「そ、そんな露骨にがっかりしなくてもいいじゃないですか……」
「……後で聞きたいことがある。時間はあるか?」
駄目元で確認しておこうと思ったカイン。
当面やることはないし、それに関しては彼女も同じはずだ。
「え? あ、彼氏ですか? 大丈夫、常時募集中です!」
「……」
拳を握りしめて力説したシュメール。
カインには溜息をつく気力すらも奪われてしまった。
★
さて、カイン達が双子草の苗を植えていた頃、地方においてもまた新たな動きが起こっていた。
「見ろ! この呪われた青い空を!」
とある村の広場では、一人の青年が熱弁を振るっていた。
内向的だった先日までとは打って変わって活動的になったユダである。
集まった住人は熱心にその言葉を聞いている。
彼は”住人のいなくなった”自分の村を飛び出すと、地方各地を回って熱心に遊説していた。
「それだけじゃない! 川の水まで青くなった! こんなものを飲んでいたら、俺達はどうなるかわからないぞ!」
これまでは底までしっかりと見えるほど透明だった川が、空の色と共に青に変わった。
手ですくって見れば今まで通りの透明には見えるが、それが以前と同じ水だと思っている者はいない。
人は物事を理屈ではなく印象で判断する。
彼らにとって、”青い水”は命を脅かす象徴だった。
「そうだ! あんな水を飲んでたら死んじまう!」
「最近、うちのばあさんの調子が悪いんだ! 絶対に水のせいだ! そうに決まってる!」
聴取から次々と声が上がった。
長年に渡って若者が王都へと流出し続けていた影響か、中高年の割合が多い。
王都へと出て希望を掴もうともしない、かといって自分達の土地を盛り上げようともしない者達。
時代の流れに乗ろうともしない、変化を憎む者達。
そんな彼らにとっては、青い空も青い川も受け入れられるものではない。
「俺達は静かに暮らしたいだけなのに、どうしてこうなった?! 何が悪い?! 誰が悪い?! 決まってる、教会だ! 」
すかさず声を張り上げて腕を振るユダ。
先日まで、どちらかといえば控えめだった少年の性格は一変し、まるで別人のように活動的になっていた。
「あいつらが神の怒りを買ったんだ! 神の下僕を自称しておいて、裏で良からぬことをしているあいつらが! 奴らを皆殺しにすれば、元に戻る! 空も! 水も!」
その理屈は強引の一言でしかない。
だが、人々はそれを高いリーダーシップの表れであると受け止めた。
彼ならばやってくれそう。
彼ならば信用できる。
そうだ、人は物事を印象で判断する。
故にこの瞬間、人々はユダの言葉を真実の告白と認識した。
「そうだ! 地方の俺達はいっつも苦労を押し付けられるんだ!」
「全部、教会のせいだ!」
人の口に戸は立たない。
教会が悪だという共通認識がこの村に広まるのも時間の問題だろう。
そしてそんな彼らの様子を、この地を治める領主達も興味深そうに見ていた。
「あれが例の……。使えるかもしれんな」
「はい。どこの息も掛かっていないとなれば、神輿には最適かと」
魔王アベルの本拠地となった王都。
教会の本拠地である聖地。
それに対し、地方貴族である彼らは中核となる軍事的拠点を有していない。
あくまでも独立した勢力の集まりでしかなく、このまま攻められれば各個撃破されてしまうことだろう。
そして近い内に再編を終えた魔王軍が、侵攻を開始することは明白。
彼らはまだ戦力を温存しており、正面からぶつかっても押しつぶされるのは確実だ。
必要だ。
迎え撃つための拠点が。
「よし、演説を終えたら隙を見て連れてこい。奴を連合軍の大将に据えよう。口実も丁度良いからな」
「ということは……、つまり聖地に?」
「ああ。どちらも主力を失ったのは同じだが、武闘派が全滅した教会に比べれば、こちらにはまだ余裕がある。攻めるなら今しかない。他の貴族達も概ね考えは同じだろうから、おそらく来週の会合にでも決まるはずだ。魔王軍が態勢を整える前に……、聖地を制圧する」
聖地も地方も、先日の王都における決戦で大きな打撃を受けたのは同じ。
将来予想される魔族の侵攻に備えるため、彼らは同じ人間の拠点である聖地へと、その牙を剥いた。
”正常なる黄色い空の奪還”を掲げる『救世主』ユダを旗印に、残りの戦力をかき集めた地方連合軍が聖地へと侵攻したのは、およそ一ヶ月後の事だ。




