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2:巨人の胎動

「しかし”聖女を復活させて魔王を討て”とは……、いったいどういう意味なのだ? そもそも”聖女”とは?」


 福音派領袖ドクトリンは、右手で顎を撫でた。

 先程までは今後の方針を話していた他の二人の領袖も、揃って首を傾げている。


 無理もない。

 というのも、”聖女”なる単語を聞いたのは、三人共これが初めてだからだ。


 今までは教皇グレゴリー達に抑えられて非主流派に甘んじていたとはいえ、仮にも枢機卿の地位まで上り詰めた彼らである。

 そんな彼らがまさか女神教の教義の類に精通していないわけもなく、三人揃って誰も心当たりがないというのは、相当な事だ。


「まさかグレゴリーが神託を隠していたのではなかろうな? ”隠された神託”に聖女に関する情報が含まれていたとしたら……、大事ですぞ」

 

 ドクトリンが懸念したのはそこである。

 なにせ、福音派というのは神託を最優先する派閥なのだ。


 その自分達が存在を知らない神託が存在するなど、由々しき事態である。

 つまりはグレゴリーを筆頭とする武闘派、あるいはそれに追従した主流派に虚仮にされたということなのだから。


 福音派としての教会内部に対する影響力という観点から見ても、あるいは派閥内におけるドクトリン自身の立場という観点から見ても、放置出来ない問題だ。

 ……もちろんそれが事実であったなら、であるが。


 結局、誤解に勝る解釈など存在しないということだ。

 人は他人の反論を真剣に聞いたりはしない。

 せいぜいが聞いた振りをするだけだ。


 当の本人であるグレゴリーは既にその体も失い、声を上げることなどできないというのに、彼ら三人の枢機卿は彼が事実を認めたのだと結論した。


 これまで、神託を受ける役職は全て、教皇派によって独占されていた。

 故に、敬虔かつ健全な女神教の信徒である自分達と違って下心で動く彼らは、自分達に都合の悪い神託をもみ消したのだ、と。


 相手に認めさせたければ、その口を塞いでしまえばいい。

 そして反論が無いというのは、つまり認めたということ。


 それが教会の倫理から導かれる、論理的に正しい理屈だ。


 こうするのが当然、そんなことは常識。

 人はそう言って理に適わない道を正当化し、他人に押し付ける。

 

 ……そうだ。


 人は物事を理屈ではなく印象で判断する。

 だからグレゴリーが実際に女神アクシルに立ち向かったという事実があれば、それで彼が女神を蔑ろにしたという言い分の全てを正当化出来てしまう。


「これは……。早速”聖遺派”の出番ですかな?」

 

 教皇グレゴリーが悪事を働いたということに”決まった”後、公平派領袖ステイシルは聖女に心当たりがありそうな者達の名を上げた。

 

 聖遺派。


 遺物の調査や保全といった、考古学的な立場を重視している派閥である。

 他には聖地や教会領内における、備品や設備の管理といった仕事も担当している。


 彼らは政治に積極的に参加しようとはしないことから、権力闘争に明け暮れる教会内では良く言って中立の立場、悪く言って空気扱いされていた。

 三人の内の誰が次の教皇になるかを最大の関心事としている彼らにとっても、聖遺派は歯牙にかからない相手である。


 グレゴリーの死によって空いた教皇の椅子に誰が座るか。

 重要なのはそこであって、女神とか神託とかいうのはそのための道具でしかないし、ましてや勇者カインだの魔王アベルなどどうでもいい。  


 福音派ドクトリン、平和派ナザエ、そして公平派ステイシル。

 武力と暴力による解決を是としたグレゴリー達武闘派よりも遥かに健全な言葉を掲げた三つの派閥の領袖達は、教会内部における主導権争いにしか興味を持ってはいなかった。

 

「何か御用でしょうか?」


 しばらくして、司教ニトロが呼ばれてきた。


 聖遺派は影響力が弱いため、大司教より上位の役職を持っていない。

 故に司教である彼も、派閥内では有力幹部という位置付けになっていた。


「ニトロ君。君は聖女について、何か知っているかね?」


 人は他人を肩書で評価する。

 グレゴリーが目下の者に対しても”さん”付けで丁寧に接していたのに対し、ナザエは見下した態度を隠そうとすらしなかった。

 もちろんそれは他の二人に関しても同様である。

 

「聖女ですか……。確信はありませんが、心当たりならば一つだけ」


「ほう?」


 ドクトリンもまた、ニトロが自分の知らないことを知っている事実に不快感を隠さなかった。

 いや、正確には隠しきれなかったと表現する方が適切だ。


「で、その心当たりとは?」


 ステイシルがそう言って先を促したのは、格上の余裕を見せたつもりなのだろうか?

 しかしもちろんそれは、自分が教皇に相応しいことを示そうとしての行動である。


「地下に保管してある遺物の中に、聖女リリアナが封印されたとされる石碑があります。石に刻まれている文字を解読したところ、内容は聖女の復活方法に関してのもので、試してみることは可能です」

 

「……試したことは?」


 ステイシルは聖女復活が失敗した際の”政治的失点”を懸念した。

 神託の内容は”聖女を復活させて魔王を討て”だが、それを実行したところで自分が教皇になれなければ何の意味も無いのである。


 今回の魔王を倒しても、どうせその内に新しい魔王が出てくるだろうし、放っておけば新たな勇者がまた指名されて勝手に殺してくれるに決まっている。

 彼はこの世界の過去の歴史を踏まえた上でそう判断していた。


 愚者は経験からしか学べないが、賢者は歴史から学ぶ。

 それを言葉通りに実行したのである。


 重要なのは言葉で表現しようとした、その意図だというのに。

 しかしステイシルはいつもの通り、表面上の意味までしか踏み込もうとはしなかった。


「ありません。仕掛けが少々大掛かりになるため、人や費用が工面できなかったもので。ですので……」


「ん?」


 司教ニトロは勿体つけるように一拍置いた。

 忍耐力のない者にとって、期待したタイミングで情報が出て来ないというのは耐え難い苦痛だ。


 故に三人の枢機卿は、その顔に僅かな苛立ちを宿した。

 所詮は格下、一介の司教だと内心で嘲笑う。  


 しかし直後に放ったニトロの言葉は、そんな彼らの表情を一変させた


「もしも聖女リリアナの復活に成功すれば、その主導者は敬虔な神の下僕として歴史に名を残すことになるでしょう。なにせ、女神様が神託を通じてお望みになったことを実行するのですから」


 敬虔な神の下僕。


 この場において、その言葉は極めて重要な意味を持っていた。

 なぜなら、教皇というのは女神の第一の下僕と位置付けられているからである。


 聖女を復活させるために積極的に活動することで、自分こそが教皇に相応しい人物であると周囲にアピールすることが出来る。

 そのことに気が付いた三人は目の色を変えた。


「……なるほど。それでは人と費用はこちらでなんとかしよう。我ら福音派にとって、神託は至上だからな」


「お待ち下さいドクトリン卿。神託によれば、女神様は聖女と共に魔王を討つことをお望みのはず。だとすればこれは教会全体の問題、独断は許されませんぞ?」


 早速飛びつこうとしたドクトリンを、ナザエが牽制した。

 

「それを言うならナザエ卿こそ。魔王を討つということは、つまり武器を取り血を流すということ。それは平和派の流儀に反するのではありませんか? 神託の真の目的が魔王やそれを支持する差別主義者達の駆逐にある以上、ここは我ら公平派にお任せ頂きたい」


「ほう……、ステイシル卿は恐れ多くも女神様の真意を推し量ろうというのか。これは神託派として無視できない発言だ」


「いえいえ、私は”言葉通りに”解釈しているだけですよ」


 三者の間で、互いを牽制する視線と言葉が飛び交う。

 聖女の復活は対魔王の切札という側面を早々に失い、権力闘争の要点という意味で最優先事項となった。


(……ふん、屑共が)


 司教ニトロは内心で吐き捨てた。


 当然だ。


 彼の目の前にいるのは、グレゴリーが味方陣営に加えようとすらしなかった者達なのだから。

 ”無能な働き者は殺すのが一番だ”などとは言うが、正にそれである。

 

 枢機卿のポストを有していたから後回しになっていただけであって、グレゴリーもカインとの戦いを終えてから彼らを”処分”しようとしていた。

 つい先日までは辺境でその時の到来に怯えていたというのに、それが教皇軍の全滅を知った途端に、この調子だ。


(まあいい。リリアナさえ目覚めさせてしまえば、こいつらはもう用済みだ)


 『聖女』リリアナ。

 それを復活させるためには、数百人規模での儀式を実行する必要がある。


 だが教皇の椅子という餌に三匹が食いついた以上、その条件は満たしたも同然。

 ニトロは争う三人を置いて部屋を出た。


 誰もいない薄暗い廊下を歩き、自分の部屋へと向かう。


(神託が偽物であることに気が付きそうな奴はもう教会内に残っていない。もしも神託受けの連中が買収されて嘘を言っていたことがわかったとしても、あの三人が教皇の椅子欲しさに揉み消すだろう。グレゴリーめ、平穏な世界が欲しかったのなら、尚更生き残るべきだったな)


 彼ならば、ニトロの言動の違和感にすぐ気が付いただろう。

 別の言い方をすれば、グレゴリーがいたからこそ、ニトロもエイリークもこれまで聖地で迂闊に動くことが出来なかった。


 そう考えると、彼がこの聖地を守っていたという表現は必ずしも過大とは言い切れない。


 しかし、彼は少々純粋過ぎた。

 悪意無き世界を作り出そうなどと、そんな空想のために自分の命を使い果たしたのだから。

 

(不良因子? ふん。そんなものはただの口実に過ぎない。アクシルが何もせずとも、世界はこうなっていたさ)


 人の根源は悪意だ。


 誰かを見下し誰かを虐げ、そして自分の優位性を確かめ続けなければ存在し続けることは出来ない。

 不良因子など無くたって、人も世界も悪意に染まりきっている。

 

「だから……、そいつはただ純粋に”終わり”を望んでいるんだよ」


 蒼き”ラトゥンの空”の下、司教ニトロは呟いた。

 

 ここは聖地。

 ならば自分も”神の意志”とやらを実行してやろうではないか、と。


 そうだ。

 

 この世界の創造者こそを神とするのなら……。

 そいつはただ純粋に、終末と終焉を望んでいるのだから。


 『原初の巨人』ラトゥン。

 最初にこの世界が始まった時、彼は既にそこにいた。

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