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38:神を殺した男

 女神アクシルが放った光の奔流に呑まれる直前、教皇グレゴリーはついに走馬灯を見た。

 つまりはここが、彼にとって人生の終わりということだ。

 

 目前に迫った抗いがたい暴威を本能が理解したのか、あるいは酷使によってついに破綻する瞬間を肉体が予感したのか。

 とにかく、ここが彼にとっての終着点であることだけは、もはや間違いがない。


 グレゴリーはその口元に笑みを浮かべた。

 どのみち最後を迎えるであろう自分を必死に守ろうとしてくれた僧兵達には悪いが、しかし自分達の命を投げ出す価値はあった。


 自分達の理想郷は幻想の底で砕け散ったが、しかし――。


(こちらの……、勝ちだ!)


 彼が”そのこと”に気がついたのは、魔王アベルが女神アクシルに一撃を叩き込んだ直後のことである。

 

 果たして魔王は女神を仕留めることに成功したのかどうか。

 大量の土煙に隠れたその結果を凝視する視線が、自分達以外にもう一つ。 


 それが半壊した王都の方向から注がれるカインのものであることを理解するのに、グレゴリーは数瞬の時間を要した。

 もはや機能停止しかけた肉体に引きずられて判断力が鈍っていたというのもあるが、しかしそれ以上にカインが女神の攻撃を凌いだとは思っていなかったからだ。


 瓦礫の中に身を隠し、魔王が仕留め損ねた可能性を疑う元国王。

 そしてその懸念は土煙が晴れた直後に現実となった。


 倒れるアベルと、グレゴリーの脳裏に浮かんだ敗北。

 だが、教皇は直後に考えを改めた。


 なぜなら、カインがまだ女神を殺す意志を見せていたからだ。

 自分の魔法が有効打として機能しない現状、魔王以外で女神を殺せる可能性を持つ、唯一の男。


 彼は見た。

 一分の油断もない、この世界に君臨した人間の王達の後継者の姿を。


 グレゴリーは、魔王の正体がカインの双子の弟であることを知らない。 

 故に、彼はその青年に最後の希望を見出した。


 勇者だからではない。

 元国王だからでもない。


 ……彼が赤い瞳の一族だからだ。


 人間が到達可能な、ある種の極北。

 武力があるわけではないというのに、知力が飛び抜けているとも限らないというのに。

 

 女神を殺すために必要なのは勇者の力であるにもかかわらず、しかしグレゴリーはそれとは違う理由を根拠に、勝利の可能性がまだ残っていることを理解した。


 ――だがどうする?


 アクシルとカインの距離はかなり離れている。

 闇雲に突っ込めば、接近する前に気が付かれて正面から迎撃されるだろう。


 先程は女神の一撃を凌いだとはいえ、どうやらカインが防御の手段を持っているというわけではなさそうだ。

 そうでなければとっくに仕掛けていて然るべき。


 しかし瓦礫に紛れて様子を伺うカインが戦意を失っていないということは、やはり現状において彼も勝利の可能性が残っていると判断していることになる。

 そしてその障害となるのが、両者の距離と女神の迎撃にあることも明白。


 ”勇者”は探っている。

 距離を詰める機会を、一撃を叩き込む隙を。


 となれば話は早い。

 下の世代のためにお膳立てするのは年長者の役割だ。


 こうして、グレゴリーは杖と自分の心臓を握りしめ、再び魔法による攻撃を再開した。

 女神の目と耳を塞ぐために、今度は爆裂魔法も織り交ぜて。


 カインがその意図をどこまで正確に理解したかはわからない。

 しかし彼が爆音に合わせて瓦礫から飛び出し、そして爆風に隠れて女神の背後を取った時、グレゴリーは確信した。


 ――”勝った”と。


 女神による裁きの光に飲み込まれ、自分の目で結果を確認することは出来ない。

 しかし、結果はもう一つしかない。


 先々代、つまりカインの祖父の代から彼らを見てきたのだ。

 魔王アベルもまた赤い瞳の一族であることをグレゴリーは知らなかったが、しかし今のカインが弟ほど甘くはないことは理解していた。


 十年前に味方を全て失った兄と、数ヶ月前に新たな味方を得た弟。

 双子の兄弟の道は、そこで決定的に分かれたと言っていい。


 傲慢なる断罪の光と共に滅びていく老体。

 グレゴリーはここに敗者として人生を終えた。


 だが最後の悪あがきだけに限って言えば……。

 そして目的を達したかどうかという観点で言えば……。 


 間違いなく、彼は勝者だった。



 空の底に降りた傲慢を、背後から赤い瞳の王者が狙う。

 威嚇などしない。


 ……当然だ。

 殺すのが目的なのだから。


 脅迫して要求を通すわけではない。

 苦しめて欲求を満たすわけでもない。


 ただ損失の拡大を防ぐだけだ。


 脅して迎撃の準備を整える時間を与える理由はない

 苦しめて長く生かしてやる理由もない。


 ただ不利益となる要因を排除するだけだ。


 つまりは単に……。


「……殺すだけだ」


「――!」


 カインはついにその殺意を露出させた。

 もう隠す段階ではない。


 アベルの攻撃によって露出した肋骨の隙間。

 そこに突き刺した勇者殺しの剣を通して、女神の心臓の鼓動がカインの腕に伝わってくる。


 この世界における管理者……、神……、即ち頂点。

 その女の心臓を、カインは間違いなく貫いた。


「あ……、がっ……」


 人間であれば即死していて然るべき傷。

 しかし重傷には間違いないとはいえ、彼女を殺すにはまだ足りない。


(なんでコイツが!? 殺したはずじゃ……!)


 人は自分に都合の悪い現実を、そう容易には受け入れられない。

 アクシルは、背後から聞こえたカインの声で自分の身に何が起こったかを理解しつつも、しかしそれを即座に受け入れることが出来なかった。


 だが人間よりは生命力が強いとはいえ、流石に彼女の体も無事というわけではない。

 目と口を全開に開き、先程までの教皇グレゴリーがそうであったように、女神もまた限界手前でなんとか踏みとどまっていた。


 アベルの攻撃で失った左肩。

 肉を削ぎ落とされた肋骨の間から剣を差し込まれ、心臓を貫かれている。


 ……人間によって、だ。

 

 自分よりも下等なはずの人間。

 知能も身体能力も、全てが神である自分を下回る存在。


(許されないわ……)


 アクシルは屈辱に奥歯を噛み締めた。

 先程のグレゴリーに対するものと全く同じ怒りが湧き上がる。

  

「そう、許されないでしょうが! 下等な人間が!」


 残った右腕で背後のカインを叩き潰そうと、女神は体を強引に反転させた。  

 感情のままに体が動く。


 体に刺さったままの剣が軽い。

 それはつまりカインが”勇者殺しの剣”を手放したということだ。

 

 アクシルは彼が怖気づいたのだと思って勝利を確信した。

 が――。


「そんなわけがないだろう」


「――!」


 ドスッ!


 ”聖剣”を構えて待っていたカイン。

 彼は振り向いた直後のアクシルの右目に向けて、容赦無く剣を突き刺した。


 ブシュ!


 そのまま抉り取るようにして、自分から体勢を不安定にした女神を押し倒す。

 彼女の両断された眼球の間から、新たな血飛沫が勇者カインに降り注いだ。


「この……!」


 怒りのあまり言葉が出ない女神を、赤い瞳が見下ろす。


「……ん? なんだ、これは?」


 続けてもう片方の目も潰そうとしたカインは、突き刺した剣によって出来た傷の隙間から、知らない器官が姿を見せていることに気がついた。

 位置としては二つの眼球の間。


 それがいったい何の役目を果たしているのかはわからない。

 だが人体にそれほど詳しくないカインにも、少なくともそれが人間には存在しない器官であることはすぐにわかった。


 人間と全く同じ姿をした女神の、人間とは異なる部分。

 それが何を意味するのか。


「……! このガキがっ!」


 相手が何に注目しているのかに気がついたアクシルは、慌てて彼を振り払おうと腕を振った。

 しかし大きな傷を負った体で、さらに冷静さまで欠いた攻撃には、魔王アベルを下した時のような鋭さはない。

 

 難なく攻撃をかわしたカインは、焦った女神の様子を見て直感した。


「なるほど、ここは不味いわけか」


 女神の顔面に突き刺さったままの聖剣を握り直すと、刃の周囲を”見えない壁”でネジのような形状へと拡張する。


「――!」


 ――メキッ、グシュ! グシュルルルルル!


 回転する刃。

 ヒロトがいた世界ではドリルなどと呼ばれていたものに酷似した攻撃が、アクシルの右の眼球と、その周囲を破壊していく。


 そしてもちろん”例の器官”も。 

  

「……ぎっ、ぎゃぁぁああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!」


 直後、女神の絶叫が響き渡った。

 今さっきまでは、腕を斬り落とされても、右目を貫かれてもまだ感情のままに動いていたというのに、アクシルは一転して体の痛みにのたうち回り始めた。


「そうか、今のが痛みを押さえる役目でもしていたか」


「ぁぁぁぁぁぁぁああああああああああ!!!!!!!!!!!!!」

 

 苦痛が許容範囲を超えた時、人は行動を変えることが出来なくなる。

 静止していた者は動くことが出来ないし、声を上げていた者はそれ止められない。


 カインの言葉を聞く余裕もない女の叫びが響き渡った。


 女神アクシル。

 彼女には、果たして苦痛に抗うだけの”何か”があるだろうか?


 死の臨界点を超えてすら、まだ彼女に向けて魔法を放ち続けた教皇グレゴリーのように、残りの人生を犠牲にする覚悟があるだろうか?。


 彼女の眼前、即死する危険性が最も高い暴風域に身を晒した魔王アベルのように、死地へと挑む勇気があるだろうか?


 後世に汚名が残ることも厭わず、最後まで息を殺して彼女の背後から仕掛けた勇者カインのように、自分の感情を抑え込む冷静さがあるだろうか? 

 

 その答えは否。


 痛みにのたうち回る女。

 彼女には、もはや勇者の言葉など届かない。

 

「……」


 グシュ!


 カインは、女神の胴体に刺さったままだった勇者殺しの剣を、慈悲も容赦も無く引き抜いた。

 ”見えない壁”を纏った剣が、血肉を浴びてその殺意に満ちた輪郭を露わにする。


「これで……、終わりだ!」  


 感情の発露。


 この段階になって、カインは初めて抑えていた感情を解放した。

 天に掲げられた勇者殺しの剣が、更なる暴威を纏う。


 目の前の女がカインに与えた最高位SSSランクの勇者の力。

 彼はその全てを込めて、地面を転げ回ろうとする彼女に向け、力一杯に剣を振り下ろした。


「ああああああぁぁぁぁぁ――あぶっ!」


 刃が、まだ痛みから理性を取り戻せていない女神の左肩を襲う。

 束ねるように纏った見えない刃の群れが、そして力の奔流が、彼女の喉笛辺りまで巻き込んでいく。


 時間にすれば、ほんの一瞬。

 女神の肉を裂き、女神の血を喰らい、その命を仁義も情けも無く刈り取っていく。


 そして――。


 ――ドンッ!!!!!!!!!!!


 大地を叩いた一撃が、空気を激しく揺さぶった。

 魔王アベルの時と同様に、天高く土煙が舞う。


 残響、そして静寂。

 自分自身の荒い吐息だけがカインの耳に届く。


「……」


 王の怒りが世界を駆け抜けた後、そして怯えた土煙が静かに大地に降り立った後、そこには意思と制御を完全に失った女神アクシルが、仰向けで倒れていた。

 残った左目は大きく見開かれ、そこにもう意志も意思も残っていないことを証明している。


 勇者殺しの剣。

 かつて勇者を殺したことでそう呼ばれるようになった聖なる剣は、この時点を持って”女神殺しの剣”と呼ばれる権利を得た。


 そしてその使い手であったカインもまた――。

 

悲しいけどワイ、社畜なんや……_(  ´・-・)_

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