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34:反逆の不良因子達

 カインとアベル。

 双子の兄弟である彼らが、実際にこうして視線を合わせるのは、これが初めてだ。


 政局の果てに処刑台に送られた兄と、生まれてからずっと幽閉され続けた弟。

 互いに思うところが無いかと言えば、それはもちろん嘘になる。


 だが、自分達の前に降り立ったこの脅威を前にして、それでも尚そのことを優先するほど、彼らはまだ物事を理解したと自惚れてはいない。


「私が直々に”処分”してあげるわ。ありがたく思うことね」


 女神アクシルが、この二人の兄弟にその敵意の矛先を向けた。


 魔王アベル。

 その原因は未だにわかっていないが、どういうわけか勇者の力を手に入れた人間。

  

 勇者カイン。

 新たな魔王を殺させるべく、アクシルが勇者の力を与えた人間。


 アベルの兄ではあるが、彼女の調べた限りでは、まだ本人はその事実を把握していないはずだ。

 にもかかわらず、どういうわけか弟との直接対決を避けて戦おうとしない。


 それどころか、逆に積極的に被害を広げる始末。

 おかげでこの世界の資産価値は暴落し、これでは例え不正の発覚を免れたとしても、アクシルの管理者としての評価は確実に大幅な下降修正を受ける。


 このままでは単純に不適格と判断されて左遷されるだろう。

 彼女にとって不利益となる順番にこの世界の住人を並べるとすれば、それはもう魔王アベルを抑えて勇者カインが単独トップということになる。 


 崩壊のきっかけとなったアベル。

 最大の被害要因となったカイン。


 つまりはこの双子の兄弟のせいで、アクシルは窮地に立たされることになったわけだ。

 元を辿れば、彼女自身が積極的に不良因子を受け入れて、自分の懐を潤そうとしたのが原因であるわけだが、しかしその事実を反省するほど謙虚な性格ではない。


 人々は自分達に有利である場合と不利である場合とで、実際の判断基準を切り替える。

 表には真っ当で善良そうな看板を掲げておいて、しかし悪びれることなど微塵もないダブルスタンダード。


 臭い物には蓋をして、それを不誠実だと指摘されれば、”お前は物事がわかっていない”と相手を見下す傲慢。

 その時々で自分にとってもっとも都合の良い立場を選択しているというのに、しかしその薄情な姿勢がただひたすらに新たな敵を作り出していく。


 偽善と独善は新たな憎悪へと繋がる。

 建前と実態の乖離が大きければ大きいほどに、そこに気がついた者の失望と落胆の幅もまた大きい。


 だからこそ公平公正が美徳とされるわけだ。

 不公平と不公正に直面した時、人はそこに内包されるものに純粋な悪意と敵意を見出すのだから。


 この世界の管理者、アクシル。

 彼女は今、この世界の住人達によって不誠実の神となった。


 一瞬だけ、カインとアベルの視線が交差する。


(ああ……、何を言いたいかはわかってる)


(ひとまずは……、こいつが先ということでいいな?)


 再開した双子の人生最初の交流は、一切の言葉を交わすことなく完了した。

 互いに思うところがないわけはないが、しかし物事には優先順位というものがある。


 先程、世界中に響き渡った神託。

 それと同じ声をした目の前の女が一体何者なのか、二人共既に理解しているということだ。


 アベルが先に剣を抜いた。

 それに呼応するように、カインもまた二本の聖剣を抜く。

 刃が纏った黒紫のオーラは、彼らの怒りを反映して僅かに赤を帯びている。


 二対の赤い瞳が、目の前にいる世界の敵を捉えた。


 ――敵だ、紛れもなく。


 もはや理屈も言い訳も必要ない。

 ただ彼らが受け継いできた”不良因子”が、赤い瞳の一族を赤い瞳の一族たらしめる反逆の本能が叫ぶ。


 ――殺せ! 


 ――強者を!


 ――殺せ! 


 ――この世界の神を!


 倫理も道徳もいらない。

 そんなものは利己主義者が利用するだけの不誠実でしかない。


 ありがたがってどうしろというのか。

 美しい建前と腐った実態、それこそが世界の真理だ。


 正義と美徳を体現した自分に酔いしれ、そして他人には世の中のために犠牲になれと言い放つ。

 それがルール、それがモラルだと。

 そんな薄情者達に配慮してやる必要がどこにあるというのか。


 故に彼らは踏み出した。


 ――ダンッ!


 勇者と魔王、大地の踏み込む二つの音が重なる。


 生まれてすぐに分けられた双子。

 彼らにとって、初めての共同作業。

 即ち女神狩り。


「……何? 私に逆らおうってわけ?」


 両側から剣を持って向かってきた二人に対し、女神は不機嫌さを隠そうともしない。

 そんな敵に対し、弟が兄よりも一手早く仕掛けた。

 左手で宙を掴み、使い慣れた念力でアクシルの首を握り潰しに掛かる。


「ふんっ!」


 バヂィッ!


 見えざる手が触れた瞬間、女神は独楽か何かのように勢いよく体を捻り、彼女の首を狙った攻撃を難なく弾き返した。

 そして同じ動作で左側から迫る魔王の方向に向き直る。


「――!」

 

 アベルにとって、この攻撃を防がれるのは初めての経験だ。

 しかしだからこそ、攻撃の手を緩めるわけにはいかない。

 彼はそのまま距離を詰めると、袈裟斬りのようにしてアクシルの胴体へと右手の剣を振り込んだ。


「おっそいのよ!」


 直前に軽く跳び、聖鎧の重量まで上乗せしたような魔王の攻撃。

 だがその振り下ろされた剣は、女神の掌底によって側面からあっさりと弾かれてしまった。

   

 空振りし終わってからではない。

 獲物を狙って振り下ろされている途中で、である。


 強化された身体能力で突っ込んだアベルの勢いのままに振り下ろされた聖剣は、相当な速度だったはずだというのに、アクシルはそれを遅いと言い切った。 


(手が……、痺れる?!)


 腐っても神ということか。

 女性らしい華奢なその体とは裏腹に、放たれた体術はかなりの威力だ。

 見た目の印象も相まってか、魔王の脳裏に剣を折られる不安すら過ぎる。


「はっ!」


 続けて繰り出された掌底が、今度はアベルの胴体を狙う。


 ガンッ!


 とても肉体による攻撃とは思えない音と衝撃が、鎧の中に反響する。

 危険を感じて咄嗟に後ろに跳ぶも、威力の全ては殺しきれず、アベルは大きな音と共にそのまま後方へとふっ飛ばされた。


(鎧が……?!)


 魔王は、ピシリと嫌な感触が小さく腹部に響いたのを感じ取った。

 鎧の攻撃を受けた箇所が割れたのであろうことは想像に難くない。


「アベル!」


「嘘だろおい!」


 何事かと遠くから様子を伺っていた魔族達は、敵無しだと思っていた魔王の苦戦を見て驚きの声を上げた。

 もちろん彼らは、敵の女がこの世界の神であることなど知りはしない。

 しかしアベルが戦い始めた敵が、尋常な相手でないことはしっかりと理解できた。 


 そんな中、カインが二本の聖剣と共にアクシルの背後に迫る。


(加減をすればこちらがやられる!)


 アベルと違い、彼には自分の身を守ってくれる聖鎧はない。 

 もちろん普通の鎧を身に着けてはいるが、攻撃を受けたアベルの様子を見る限り、気休めにしかならないだろう。


 彼は躊躇うことなく女神の心臓を狙って右手の聖剣を突き出した。

 もちろん見えない壁を応用した刃を纏わせてある。


「だから遅いってんだよッ!」


「――!」


 ボンッ!


 アクシルは苛立ちの声と共に振り返ると、即座に左手の甲でカインの突き出された腕を弾き、そして右手の掌底を先程のアベルの時と同様に彼にも叩き込んだ。


 自分の腹部に響く、何かが爆ぜたような感触。

 カインは内臓のどこかが破裂したのだろうと推測しつつ、数瞬後にやってくるであろう激痛を覚悟しながら、やはり弟と同様に後方へと吹き飛ばされた。

 

 魔王と違っていたのは、聖鎧を身に着けていない彼はこの一撃で致命傷を負ってしまったことと、背後には王都の外壁が待っていたことだろうか。

 石で出来た外壁を貫通したカインは王都の中にまで入り込み、民家をいくつも破壊してようやく止まった。


「……っ!」


 背中の痛みと息を合わせて挟み込むかのように、腹部を貫くような激痛が襲う。

 必死に歯を食いしばって耐えるも、そう容易に乗り切れるようなものではない。 

 

 赤い瞳を天に向け、その目を大きく見開いて、カインは悲鳴すら出せないままに固まった。

 まるで御伽噺に出てくる吸血鬼が日光を浴びて石になっていくかの如く、彼の意志に反して全身の筋肉という筋肉が強張って譲らない。


「アンタが役に立たないせいでっ!」


 アクシルの左手の先に青白いオーラが宿る。

 女神は、カインに対して自分の不機嫌をそのまま叩き込むかのように腕を振った。


(逃げろ、ここから……!)


 追撃が来る。

 カインはそのことをしっかりと理解していた。

 ……が、しかし痛みに支配された体は全く言うことを聞かない。


 シュイン……、シュバァァァァァァン!


 直後、アクシルの指先を起点として、光の奔流がカインのいる王都へと殺到した。


 ドグォォォォォン!

 

 何の抵抗も許さず、国王ごと半分近くを吹き飛ばされる街。

 そのあまりの威力に、大気がまるで共鳴でも起こしたかのように鳴り響いた。


「ウワァァァァァん!」


「おかーさーん!」


 大量の煙を巻き上げて砕けた王都。

 既に住人の大半を失って静まった街の中に、子供達の泣き声が響き渡った。  


 アクシルの攻撃は、彼らが避難していた建物の横を掠めたらしい。

 不安と共に息を潜めていたものの、恐怖がついに一線を超えてしまったようだ。


「……あん? 何よ?」


 神経を逆撫でするような、耳障りな鳴き声。

 女神の認識はそんなものだ。

 泣き声ではなく鳴き声である。


 せっかく役立たずのカインを始末して少し気が晴れたところだったというのに、見れば壁を失った建物の中で、一箇所に避難していた人間の子供達が恐怖で泣き喚いているではないか。

 一人が泣き始めれば、それに釣られてまるで連鎖でもするかのように、一斉に全員で泣き始める。

 不合理、そして耳障り。


「ピーピーと、五月蝿いんっだよぉっ!」


 とにかく、アクシルは目に入るもの、耳に入るもの、そして感じ取れるものの全てが気に入らなかった。

 故に感情のまま、再び大きく腕を振る。


 今度は青白い光弾がその指先から放たれた。

 ただ恐怖と混乱に支配された子供達へと一直線に牙を剥く。


 ――シュイン、ドンッ!!!


 弾け飛ぶ光。

 着弾と共に大きな爆音が一つ響いた後、王都の中はついに完全な静寂となった。


 建物ごと、粉微塵になった子供達。

 そこにはもう肉塊と呼べるものすら残っていない。


「ふう。これで静かに――」


 ドッ、ドッ、ドッ、……ドッドッドッドッドッ!


 アクシルが一息ついた直後、彼女の背後から鼓動が響き始めた。

 まるで彼女の不興を買うとわかった上で、あえて喧嘩を売るかのように。


 舌打ちをしながら振り返った女神。

 そこには再び立ち上がった魔王アベルがいた。


 聖鎧の特殊能力が起動、大きな負荷と引き換えにその身体能力を引き上げる。

 いったい誰が制作したのかも定かではない兜の奥で、反逆の赤い瞳が輝いていた。


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