33:降神
「再編成、完了しました!」
王国軍の主力として国王カインの下で戦っていた地方民達。
教会軍として最初は教皇グレゴリーの下で、途中からは勇者ヒロトの下で戦っていた僧兵や聖地民達。
先刻までは互いに殺し合っていた彼らは今、同じ方向を見て並んでいた。
軍人か民兵か。
区別言えばそれぐらいで、後はとにかく整列させられて見た目の体裁だけは整った人間軍。
後方の外壁に支援火力として再配置された魔法隊と砲兵隊以外は、これで人間側の全ての戦力が王都の前に集結した。
地方に残りひっそりと暮らすことを選んだ者達や、身体能力が従軍できる水準に達していないために聖地に残った者達を除けば、この戦場には文字通り世界全ての人間が集まったことになる。
もちろんそれは避難として王都内に集められた子供達や、魔王軍に参加した者達も含めての話だ。
(辛うじて……、だが間に合ったか)
カインの視線の先にいるのは魔王軍。
魔王の元に集い、そして魔族という架空の種族を自称する者達だ。
彼らもまた戦力の展開を既に完了し、王都に向かって魔法や大砲の射程一歩手前まで前進しようとしていた。
どちらも万を超える軍勢。
しかし、いくら王国軍対教会軍の戦いで消耗しているとはいえ、本来は戦闘員で無い者達まで全て動員している人間側の方が、その規模は何倍も大きい。
投入した戦力は上回っているが、しかし負ければ後がない人間軍。
対する魔王軍はあくまでも志願兵だけで構成されており、北方の地にはまだ多くの魔族が残っている。
つまり、彼らはここで敗退しても、まだ再起の可能性は残っているわけだ。
(弟の方が住んでいたのは西。最初にあの魔王が出現する少し前に、魔族に襲われた場所だ)
勇者カインが自分の双子の兄であることを既に認識しているアベル。
それに対し、カインはまだ魔王の正体が双子の弟である確証を得られていない。
女神アクシルが対抗馬として自分を勇者に選んだことや、牢で自分の赤い瞳を見たヒロトの発言。
数々の状況証拠から言えば、他に可能性はないと考えてはいるのだが……。
(使える能力の種類はおそらくほぼ同じ。だが出力は向こうが上。……鎧まである以上、正面から戦っても勝つのは無理だな)
以前の戦いで、討伐軍をぶつけた際に確認した魔王の戦力。
万単位の人間を纏めて圧殺したあの出力は、おそらく自分には出せないだろうとカインは判断していた。
実はあの戦いの後、待機していた地方貴族達の所に向かう途中で、同じことが自分に可能かどうかを確認してある。
同じ様な現象を起こすことは可能、しかしその規模は、魔王がやってみせた半分程度が限界というのが結論だ。
それ以上となると、出力が足りずに圧殺しきれそうにない。
その差は両者の適性によるものなのか、あるいはカインとヒロトの戦力差がそうだったように、力そのものの差なのか。
いずれにせよ、正面から仕掛けては分の悪い相手であることだけは間違いない。
視界の先で、魔王軍が前進を止めた。
人間軍の攻撃が届く領域よりもいくらか手前。
向こうがどういう戦術を考えているかはわからないが、内容次第では非常に有利な位置取りということになる。
(……頃合いだな)
先程の戦いでカインがヒロト達を相手にそうしたように、魔王軍が魔王の力の優位性を利用して戦ってくれば、その時点で勝敗は決定する。
つまりはカインを含めた人間軍の負けだ。
魔王の正体が自分と同じ赤い瞳の一族だというのなら、きっと戦いが始まってから早い段階でそのことに気がつくだろう。
となると、問題はその内容だ。
世の中には、自分の希望が満点で通らないとわかった時点で勝負を放り投げる者が、驚くほどに多い。
彼らは物事を両極端にしか捉えず、百でないものは即座に零と判断する。
故に、希望を手にできるのは自分自身の空想の中か、あるいは永遠が終わったその先だけだ。
が、しかしである。
希望が叶わないとしても、着地点をそこに近づけることが一切できないかと言えば、大抵の場合においてはそうではない。
百は無理でも五十は可能かもしれないし、十だったものを二十にするぐらいはなんとかなるかもしれない。
とにかく、ここでカインが”その行動”を選択したのは、そういう方向に物事を考えた結果だった。
――ドシュ!!!!!!
「――!!!!」
外壁の上に立った国王の眼下で、”一度だけ”響いた斬撃音。
いったい何が起こったのか、人間軍の中でそれを即座に理解できたのは、それを実行した本人であるカイン自身だけだろう。
次元断裂斬。
先程の戦いでヒロトが叫んだその名を覚えている者が、果たしてどれだけいるものか。
王都の外で隊列を組み、これから魔王軍との戦いが始まるのだと思っていた者達の腰付近の高さに、地面と平行に出現した大きな見えない壁。
それは直後に横へと滑らかにスライドし、そして彼ら全員の胴体を上下に分断した。
★
「なんだ?!」
人間達同様に、これから最終決戦が始まるのだと緊張した面持ちをしていた魔族達。
彼らは突如として敵陣営に起こった異変にどよめいた。
当然だ、敵が一瞬で壊滅したのだから。
「どうなってんだ? わけがわかんねぇよ……」
ただでさえ、自分達の到着時点で既に人間同士が潰し合っていたのを見て、戸惑っていた彼らである。
立て続けに理解不能なことが起これば、自分が現実感に満ちた夢でも見ているのではないかと疑っても無理はないだろう。
「おい、アベル! まさかもう仕掛けたのか?!」
「いや……、俺はまだ何もやっていないぞ。そもそも距離が遠すぎる」
魔王にも威厳が必要だということで、普段はそれらしい振る舞いを心掛けていたアベルと周囲の者達も、それを忘れて素の口調に戻った。
(なんだ、何が起こった?)
アベルの脳裏を様々な可能性が駆け巡る。
少なくとも普通の人間による仕業でないことは間違いがない。
しかしいったい誰が?
兜の奥で赤い瞳が輝く。
自分達を正面から迎え撃とうとしていた敵。
それを殺す動機がある者は誰だ?
この不自然な現象を実現できるのは誰だ?
勇者ヒロト?
(違う。あれは味方に自分を称賛させて悦に入るタイプだ。仮にあの傷から立ち直ったとしても、性格まではそう簡単に変わるとは考えにくい)
教皇グレゴリー?
(普通の人間にそんなことが可能なのか?)
実際に戦ったことのある勇者ヒロトは性格から考えて不適。
実際に会ったことのない教皇グレゴリーは能力から考えて不適。
では残る候補は?
『王都で待つ。兄より』
(……待てよ?)
腰の袋に入れてある手紙。
そこの一文に双子の兄が持たせた意味に、弟はおぼろげながらも感づいた。
確信はない。
しかし同時に”それ”しかない。
カインが魔王の正体をアベルだと考えたのと同じように、アベルもまた、カインの意図が”それ”だと考えた。
ど真ん中ではないかもしれないが、しかし的を外していないことだけは断言できる。
そして”それ”が正解だとするならば――。
「……お前達はここにいろ。俺一人で行ってくる」
「おいおいアベ……、魔王様、本気ですか? いくら魔王様でも敵陣に一人は危険です」
「わかってる。もしも俺がやられたら速攻で逃げろ、いいな?」
それだけ言うと、アベルは魔獣から降りて王都に向かってさっさと歩き出した。
気持ちがはやり、いつもより少し早足になる。
「やられたらって……」
「お前で駄目ならもう無理だろ……」
アベルに魔王らしく威厳をとか、統制がどうとか言っていた手前、まさか堂々と彼の命令を破るわけにもいかない。
実際に少数での戦闘となれば、自分達が足手まといになる可能性が高いこともあって、魔族達は不安な視線を彼の後ろ姿に注いで見送るぐらいしかできなかった。
★
主力として王都前に並んでいた者達に続き、火力支援として外壁にいた者達も全員殺害し終えたカイン。
一息ついた時、彼は魔王軍の方向から一人だけが、こちらに向かって歩いてきていることに気がついた。
魔王討伐軍を処分した時に見た鎧。
影武者でなければ魔王アベルに違いない。
「……」
現時点でこの世界に生き残っている人間は、大きく分けて五つに分類される。
一つ目は地方に残って暮らすことを選んだ者達。
二つ目は聖地に残って家族の帰還を待っている者達。
三つ目は王都の中心に避難している子供達。
四つ目はアベルや魔王軍に参加した者達。
そして五つ目はカイン自身だ。
それ以外は、当初の予定からそう大きく変わらない形で駆逐を完了した。
王都民も。
貴族達も。
教会とその傘下に入った者達も。
王都に向かって歩いてくるアベル。
しかしカインは彼の方向に向かうことなく、逆に背を向けて反対方向へと歩き出した。
「……」
なぜか子供の頃を思い出す。
自分が一人っ子だと思っていたカインは、遊び相手になる兄弟が欲しいとよく思っていた。
王族、それも唯一の後継者として大事に扱われていた彼は、なかなか同年代の子供達と遊ぶ機会に恵まれなかったからだ。
弟か妹か。
女の子とは趣味が合わなそうだから、弟の方がいい。
兄弟が出来たら何をしようかと、様々な空想や妄想にふけっていた頃が懐かしいものである。
……子供というのも、なかなかに残酷なものだ。
どうして自分には母親がいないのかと聞いた時。
そして兄弟が欲しいと言った時。
カインが、父である先代国王が一瞬だけ見せた表情の意味を両方とも理解できたのは、つい最近になってからだ。
――ならばこれでいい。
”赤い瞳の一族にとっての敵”は一通り全て排除した。
後はこのまま弟に王都と世界を譲った後、姿を隠して睨みを利かせるだけだ。
”身内”であるアベルが本格的に魔族の国を作るならばそれも良し、残った人間達を生かすも殺すも彼の自由。
それを邪魔する理由はない。
そして弟が世界を放棄するというのなら、その時は自分が残った分を好きにさせてもらうとしよう。
「……」
もしも自分に双子の兄弟がいたらどうしようかと、子供の頃には良く考えたものだ。
実際に双子の弟が実在し、そして近くまで来ている今、できれば兄の威厳を多少は示しておきたいところだったが、それはまあいいだろう。
自分の方が兄だ。
あいつは弟だ。
――だからこれでいい。
自分の分は取った。
だから残りは弟の分だ。
(……ああ、まだ少し残っていたな)
倒れた教皇の周囲に、まだ数人が残っていることを思い出したカイン。
最後にそれを処分してからこの地を去ろうと思った矢先、”それ”は天頂から降ってきた。
シュン――。
――ドンッッッッッッッッッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
青白い光を纏った”それ”が大地を踏みつけ、世界を大きく揺らす。
叩かれた空気を通して伝わる残響。
突然の衝撃に目を見開いて固まったカイン。
彼は一瞬遅れて、何事かと背後を振り返った。
”それ”が落ちたのは兄と弟の間、ちょうど真ん中ぐらいの位置だ。
落下地点の反対側では、アベルもまた同じように何が起こったのかを見定めようとしていた。
「もう……、いいわ」
大きく巻き上がった土煙。
その中から、苛立ちで満たされた投げやりな女の声が、生者の殆どいなくなった空間に響き渡る。
輝くような青い髪、白いワンピース。
緩やかな風に吹かれて姿を表したのは、人間と言うにはやけに綺麗な肌をした女だった。
「これがシステムに対応できないイレギュラーだっていうなら……、もう特例で直接処分したっていいわよねぇ? もちろん全部」
この世界の管理者、女神アクシル。
彼女の怒りに染まったヒステリックな瞳が、双子の兄弟を交互に睨みつけた。




