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29:人徳

「台下!」


「ははははははは!」


 胸を抑えて崩れ落ちる教皇グレゴリーと、それを見下ろして狂ったように笑い声を上げる少女マリア。

 幼い子供に直接の否は無い、などという半端な良心が仇になった。 


「殺せ!」


 顔色を変えて少女に殺到する僧兵達。

 こうなってしまっては悠長に生かしておくわけにもいくまい。


 被害をこれ以上拡大させないように、ここで止めなければ。

 幼い子供を殺すのは気が引ける、などと贅沢を言っている場合ではないのだ。


「ははははははは!」


 嗤い続ける少女の体に突き立てられる無数の刃。

 しかし今の教皇には、血と臓物を撒き散らして機能停止していく幼い敵を見る余裕も無い。


(油断、しましたね……)


 体の自由を奪う痛みの中、彼はどうしてこうなったのかを考え始めた。

 直接的には自分の判断が甘かったということでいいとして、なぜ目の前の少女が熟練の暗殺者のような動きで自分を狙えたのか。

 

 目の前に手ぶらで立っていた彼女。

 それが気がついた次の瞬間には、いつの間にかナイフを自分の胸に突き立てていたのである。

 

 どう考えても暗殺者としての訓練を受けていることは間違いないが、しかしあの年齢で可能なのだろうか? 


(魂移しで誰かの魂を移したとすればあるいは……。ならばアドレナが噛んでいるのは確定。ヒロトとアシェリアはこのことを知っているのでしょうか?)


 カインに対抗するための戦力として、彼らを使うリスク。

 結局はそれを甘く見ていたということだ。

 より非道に、そして警戒して対応するべきだったということなのだろう。

 

(しかしこんな子供まで捨て石に使うとは……、外道め!)


 もちろん彼とて、幼い命を犠牲にする選択をしたことはある。

 だがそれは子供達が被害者になるということであって、彼らを加害者に仕立て上げたわけではない。

 こういうのは、あくまでも大の大人同士でやるべきことだ。

 

(まだ……。私は、こんなところで……!)


 痛みと反比例して、急激に意識が薄れていく。

 先程、辺境伯フランキアにとどめを刺すために握った杖。

 教皇は右手で抗いがたい激痛の原因となっている心臓を抑えながら、それを左手で握りしめた。


(やった……、やったわ!)


 それに対し、猿轡を噛まされ、縄で縛られたアシェリアは歓喜していた。

 理由はもちろん自分が失敗した教皇の暗殺を、娘のマリアが成功させたからだ。


 ……いや、正確には”マリアに魂を移した狂信的な暗殺者が”であるが。


(よくやったわ! これであの人がまた私の所に!)


 無数の刃を感情的に突き立てられ、ズタズタにされて血と内臓を撒き散らしていく自分の娘の体。

 それを見ながら、しかし彼女はそれでも歓喜していた。

 

(そうよ、子供なんてまた作れば良いのよ! ヒロトを”あの女”から取り戻しさえすれば!)


 アドレナを初め、ヒロトの側妃であった聖戦士三人。

 彼女達が纏めて魔王に殺されたと聞いた時、アシェリアは飛び上がって喜んだ。


 これでヒロトを独り占め出来ると思ったからだ。

 が、しかし彼女の天下は長くは続かなかった。

 アドレナが、魂移しで自分の娘の体を乗っ取ることで、生き延びることに成功していたからだ。


 彼女は教皇の力を借りることで処刑のために輸送されていたヒロト達を助け出し、さらに五体不満足になった彼に魂移しで新たな体まで用意してみせた。

 おまけに肉体的な血の繋がりが無くなったのをいいことに、幼い体で夜の相手までしてみせる献身ぶり。

 

 正妃であるはずのアシェリアを押しのけ、聖地にいる間は、まるでアドレナこそがヒロトの真の妻であるかのような空気が漂っていた。


 焦ったアシェリア。

 自分の方がヒロトの役に立つことを証明せねば、このまま立場を奪われる。

 だからこそ、彼女は教皇を殺して手柄にしようとしたのだ。

 

(あの人の横に一番ふさわしいのは私! 私に決まってるわ!)


 彼女は信じていた。

 元々は国王ヒロトと教皇グレゴリーで世界を二分していたのだから、後者が死んだ今、この世界の頂点に立つのはヒロトで決まりだと。

 そして当然、そのお膳立てをした自分こそがヒロトの寵愛を独り占め出来るだろうと。


 なるほど、恋は盲目とはよく言ったものだ。 

 これを恋愛至上主義と呼ぶかどうかはわからないが、しかし国王カインや魔王アベルなどまるで眼中にはないことだけは、どうやら確からしい。


 ――ドスッ!


「……?」


 鈍いとも鋭いとも言えない衝撃。

 アシェリアはまるで誰かに叩かれたかのような感触につられて、自分の左胸を見た。


 ベッドの上で幾度となくヒロトに鷲掴みにされて可愛がられた、母性の象徴。

 かなりの大きさのそれがあるはずの場所には、いつの間にか太い氷の柱が突き刺さっていた。


「ん……、んんっ?!」


 戦場に不似合いな青いドレスを、戦場らしい血の赤が急速に侵食していく。

 意味がわからないと、思わず正面に戻した視界。

 その先では、上体を僅かに起こした教皇が杖を自分の方向に向けていた。

 血走った目は一切の余裕も無く大きく開かれ、ただ獲物を視界の中心に捉えている。


「んっ!」


 本来は鼓動が響くはずのタイミングで、その代わりとばかりに激痛がアシェリアを襲う。

 相応の心構えを持って望む者にすら容易には耐えきれないというのに、まさか安易さを極めたような彼女に耐えきれるわけがない。


 いや、むしろ安易だったからこそだろうか?

 とにかく、至近距離から教皇の魔法を胸に大穴を開けられて、彼女はその人生をあっさりと終えた。

 安い人生には、人の心を動かすようなドラマチックな最後などありはしない。


 力を失い、楽な運命へと落ちた女。

 呼吸すら迂闊に出来ない状態で、しかしまだ苦痛と重力に抗おうとする男。 


 アシェリアとグレゴリー。

 いったい彼らのどこで差がついたのか。

 

 瞳孔を開き呆気なく意識と命を手放したアシェリアに対し、先に傷を負ったはずのグレゴリーはまだ死の目前で踏みとどまっていた。


(摘み取らなければ……、一つでも多く……、悪意の……、芽を……。平穏な、世界を……。)


 声も出せない自分に、内心で喝を入れる。


 しかし現実は残酷だ。

 視界は霞み、そして彼の意識はついに闇の底へと引きずり込まれた。



「まさか本当にやるとはな……」


「は?」


「いや、なんでもない」


 勇者の力によって、教会軍陣営の異変を感じ取っていたカイン。

 彼は思わず呟いた。


 仕込みをしたのは誰かと言えば、それはカインで間違いない。


 ピエトで処刑するためにヒロト達と一緒に輸送されていた者達の中に、何人か含まれていた暗殺者達。

 彼らが自分を暗殺しに来た場合に備え、勇者の力で認識を妨害しておいたのだが、それが見事に嵌った格好だ。


 カインを暗殺しようとすると、強制的に勇者ヒロトか教皇グレゴリーへと対象がすり替えられる。

 さらに暗殺が成功した際には、もう一方の指示でやったと喧伝するように刷り込んでおいた。


 ここからでは声までは確認出来なかったが、きっと死に際にヒロトの命令だと言いふらしてくれたことだろう。

 作戦そのものは大成功だ。

  

 が、しかし。


 しかしである。


 確かに作戦は成功したが、しかし流石に、まだ十歳にも満たない子供を捨て石にするような方法を直接指定したりはしていない。

 奇襲そのものの成功率を考えるならば、送り込む刺客の種類は多岐に渡る方が好ましいのは事実なのだろうが……。


 今のカインの内心を言葉にするならば、『屑が……!』といったところだろうか?

 それに一番共感してくれそうなのが敵軍のトップである教皇グレゴリーだというのは、なんとも皮肉なものだ。


(ここまであっさり決まるとは……。いや、そう見せかけて罠の可能性もある。警戒はしておこう)


「……陛下! 敵本隊に動きのようです!」


「ああ、わかっている」


 これまでは牽制のためか動かなかった、教会軍主力。

 辺境伯フランキアに突かせたからか、あるいは教皇という頂点を失ったからか。

 理由はともかくとして、彼らがいよいよ動き始めた。


 だが――。


(この動きは……)


 カインは即座に理解した。

 自分の狙いが予想以上に上手くいったことを。


「てっ、敵の本隊っ、教会軍の味方を攻撃し始めました!」


 敵本陣で起こった異変を知らないカインの周辺が騒がしくなった。


 国王軍から見て、現在残っている教会軍の戦力は、教皇グレゴリーが率いる後方の軍勢と、勇者ヒロトが率いる前方の軍勢とに大きく分かれている。

 そしてなんと、前者が後者を背後から攻撃し始めたのである。


「待てっ! こっちは味方だ!」


「煩いっ! 反教皇派めぇぇぇぇぇっ!」


「逆賊ヒロトの首を取れぇぇぇっ!」


 人は物事を理屈ではなく感情で判断する。

 他人事であれば鼻で笑うような愚かな判断であっても、いざ自分の番となれば同じように愚鈍な選択をする者も多い。


 国王軍という共通の敵と戦っている現状において、同じ教会軍という味方陣営内での争いは決して賢いとは言えないが、しかし彼らはそれを選択した。

 彼らの目には、次の勇者さえ現れればどうにでもなる魔王カインよりも、教皇暗殺を指示した勇者ヒロトの方が優先順位がより高く映ったらしい。


「よくも台下を!」


「やめろ! ぎゃああああ!」


 この時点を持ってヒロト軍となった人間達が、背後からの教会軍の攻撃で次々と倒れていく。

 これは果たして教皇の人徳を喜ぶべきなのかどうか。 

 もしもグレゴリーが人気のない教皇であったなら、彼らもこんな行動は取らなかっただろうに。


「なんだ? どうなってるんだ?」


「仲間割れ……?」


 困惑する国王軍。

 それはそうだ。

 大半の人間は物事を目先の事実だけで判断する。

 詳しい事情がわからない彼らに、何が起こっているのか即座に理解しろと言う方が無理がある。


(そうか、反教皇派を前線に固めていたのか)


 カインはそう結論づけた。

 人が集まれば、必ず派閥ができる。

 押さえつけていたとはいえ、教会系の中にも、内心では教皇に従いたくない者達もいたはずだ。

 特に教皇の椅子を争って敗れた者達などは、その筆頭だろう。


 教会軍を展開するために旧王都民達を捨て石として使ったことから推測するに、教皇は処分の優先度が高い者達を、より前線に近い部隊に入れたのではないだろうか?

 解せない点はあるが、しかし物事は全てが理想的に運んでくれるわけでもないし、旧王都民の扱いを踏まえてみても、その推測に一定の説得力はある。


「ふん! 真の勇者である僕に刃向かうとは……。愚か者め!」


「全くですね」


 逆賊と名指しされたヒロト。

 彼はカイン達のいる王都に背を向けた。

 自分の首を取ろうとする者達、つまりは教皇グレゴリーの仇を取ろうをする者達を粛清しようというわけだ。


 新たな力を得た自分が負けるわけなどないと、”敵陣”に向かって勢いよく飛び出していく。

 彼の横に付き従うのは、当然アドレナだ。


 赤い瞳が光る。


 年を取っただけで上等な人間になれるというのは、全くの誤解である。

 自分の限界を知り、それを自分自身の力で越えようと歯を食いしばらない限り、そこには進歩も成長もない。


(どれ、しっかりと見せてもらおうか。”勇者殺しの剣”の力をな)


 かつて歴史の表舞台に一度だけ姿を表した”勇者殺しの剣”。

 それは魔王の思想に同調して手を組んだ勇者を、駆逐するための剣だ。


 当然のことながら、まさかカインの先祖たる赤い瞳の一族達が、その存在を見逃すはずなどない。

 

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