28:世界の王
世の中には、誰もが自己顕示欲と承認欲求を根底に持っていると無条件に信じて疑わない者達がいる。
自分は誰かに認められたいし、称賛されたい。
だから他の人間もきっとそうに違いないと、どういうわけか本気で思い込んでいる。
己の持つ価値観が普遍だとするならば、確かにその通りだ。
故に読み違える。
世の中には、普遍なものも不変なものも、そう簡単には存在してくれない。
「なんと他愛の無いっ!」
大地を踏み鳴らす数千の蹄達。
民兵によって構成された歩兵部隊を、辺境伯フランキア率いる騎馬部隊はほぼ無傷で突破することに成功した。
いくら戦力で上回っているとは言え、普通の戦いであれば彼らが損害を殆ど受けずにここまで来れることはまずないことを踏まえると、まさに奇跡の存在を信じるに足る内容だ。。
それがカインの使った勇者の力によるものであることは疑いようがなく、辺境伯達が民兵を蹂躙している間に全滅していた旧王都民達がそうであったように、彼らもまた、自分達の勝利が約束されたものだと錯覚したのである。
「よしっ! このまま教皇の首を取るぞ!」
馬で敵を跳ね飛ばす快感を知ってしまった者達。
彼らは視線の先に教皇グレゴリーがいることを確認すると、そのまま僧兵によって構成される部隊を突破しようとした。
敵の大将への道のりを遮っている部隊は全部で三つ。
最初の民兵で構成された歩兵隊は既に乗り越えたので、残るは武僧で構成された重装歩兵隊と、教皇の護衛を担当する近衛隊だ。
(敵陣を一気に駆け抜け、大将首をもぎ取る。武功としては申し分ない!)
成功体験と失敗体験は、人の判断を容易に変えてしまう。
弱気になった者は些細なことでも慌てふためき、逆に強気になった者は物事の危機的な側面を過小評価するようになる。
「放てぇぇぇぇぇっ!」
ある物は放物線を描き、またある物は地面に対してほぼ水平に。
教会軍から放たれた魔法が、弓が、砲弾が、この戦場で最速の部隊に襲いかかった。
ドドドドドドドッ!
「ぎゃっ!」
「ぐわぁっ!」
カインによってもたらされた高い身体能力。
だがそれは主に筋力の強化として作用するもので、別に無敵の防御力を与えてくれるわけではない。
集中砲火を浴びた騎馬隊は、急速にその数を減らしていく。
しかしその強化された機動力によって、両者の距離もまた急速に縮まっていく。
(あと少し! あと少しだ!)
勝利が、栄光が、フランキアの視界の先に広がっている。
まだ届かない、しかし目の前だ。
人参がぶら下がっている。
「撃て撃て撃て! 撃ちまくれ!」
圧倒的な火力を、向かってくる辺境伯達に集中させた教会軍。
一方的に攻撃できるとはいえ、ここで近づくことを許してしまえば、即座に形成が逆転しうる。
敵を殲滅するという意味での攻撃力ならば、向こうの方が遥かに上だからだ。
「駄目だ! 止めきれない!」
「来るぞ! 盾を構えろ!」
「うわぁぁぁぁぁぁぁ!」
鎧で固めた馬に弾き飛ばされる、重装備の僧兵達。
いくら普段から鍛えているとはいっても、出来ないことというものがある。
「正面は無理だ! 横から攻めろ!」
しかし、そこはやはり民兵達のような素人とは違った。
真っ向から受け止めることが出来ないと理解すると、側面からの攻撃へと切り替えていく。
「ごふっ! くそ……」
横から槍で胴体を貫かれた騎馬兵が、痛みに抗えず体を硬直させて落馬した。
そこに複数の僧兵が容赦無く襲いかかる。
ガスッ! グシュ!
「ぎゃぁぁぁァァァ!」
響く断末魔。
そうだ、これが正常な戦場だ。
「馬だ! 馬を狙っていけ!」
後方にいる教皇に向かって駆け抜けていく騎馬達。
それを両脇から挟み込むように僧兵達が向かっていく。
「小賢しい!」
襲いかかってくる者達を逆に弾き飛ばし、教皇の首を取るべく敵の密集地帯を再び突破した辺境伯。
(残りは一つ!)
最初に飛び出した彼は改めて教皇の位置を確認し――。
「……え?」
そして見た。
人間の脚よりも太い氷の矢が、自分の眼前に迫っているのを。
――ドスッ!
人生の終わりが、ドラマチックなものだと思っている者は案外多い。
しかし現実は残酷だ。
世界の主人公でもない男を、運命はわざわざもったいつけて殺すようなことはしない。
遠方より飛来した超速の攻撃が一瞬で頭部を貫き、そして辺境伯フランキアの人生は呆気なく終わった。
頭部に氷の柱を突き立てたまま、走り続ける馬から何の感慨も無く落ちて地面に転がる。
そこに彼が欲しがっていた名誉は一切無く、後世にはただ”敵陣に真っ向から突っ込んだ無能”という評価が残るのみ。
そう、あのかつての王都民達と同じように、だ。
なるほど、戦いを生業とする者達がどうして名誉の死を求めるのかが、彼を見ているとよくわかる。
この上ない最高の屈辱。
運命はただ、彼にそれだけを残した。
★
「お見事です、台下」
副官として教皇の横に立っていた男は、手放しで彼を褒め称えた。
辺境伯を仕留めたのは、他でもない教皇グレゴリーである。
かなり近づかれたとはいえ、魔法で狙撃するにはまだかなり遠い位置を高速移動していた敵。
その頭部をピンポイントで狙って撃ち抜くなど、尋常な技量ではない。
周囲にいた魔道士達は、久々に見た教皇の神業に溜息をついた。
そうだ。
仮にも教皇なのだ、この男は。
その椅子に座る上で、英雄的な逸話の一つや二つ、無いわけがないではないか。
魔道士としても超一流と言って差し支えない実力を持つグレゴリー。
単純な力比べでは聖戦士となったヒロトの妻エヴァに劣るとはいえ、総合力で見れば、依然として彼はそれを上回る水準にある。
「ふう。やはり老体には堪えますね」
教皇は深く息をついてから、構えた杖を下ろした。
別に遠距離を狙い撃つぐらいはどうということもないのだが、やはり生成した氷の矢を高速射出するというのが、非常に体力を使う。
指揮官を失ったことに動揺したのか、これまでの勢いを失って飲み込まれていく国王軍の騎馬隊。
各個撃破されていく者達を横目で見ながら、椅子に座り直した。
これでひとまずは敵の起動戦力を潰したと安心した、その時だ。
「やぁぁぁぁぁぁっ!」
「ん?」
空気を切り裂くような女の声。
辺境伯が向かってきていたのとは反対方向から、ヒロトの正妻であるアシェリアがナイフを持って走り込んできた。
「台下!」
教皇の後ろにいた護衛が、慌てて彼女を止めて押さえつけた。
アシェリア自身が声を出さなければ、もしかすると刃が教皇まで届いていたかもしれない。
「あなたさえ! あなたさえ殺せば!」
「お母様! 落ち着いてください!」
押さえつけられてもまだ暴れ続けるアシェリアと、それを宥めようと駆け寄った彼女の娘。
ヒステリックに叫ぶ女を冷めた目で見ながら、教皇はこれが誰の差金であるかを考えた。
(素直に考えればヒロトですが……?)
だが、果たしてヒロトが彼女に自分の暗殺を依頼することなど、あるのだろうか?
戦闘力は皆無と言っていいほどに低く、そして肝心なところで冷静さを保つだけの能力すら無い彼女に。
これが例えばアドレナにやらせるのであれば、まだわかるのだが……。
「いかがしましょう? 殺しますか?」
アシェリアを押さえつけた男達がグレゴリーの顔色を伺う。
当然だ。
教会軍のトップである教皇の命を狙ったのだから。
しかも、よりにもよって戦いの真っ最中にである。
ヒロトを助けるついでだったとはいえ、本来ならばとっくに処刑されているはず所を助けて貰った身で反旗を翻すなど、もはや言語道断だ。
「……いえ、捕まえておきなさい。後で詳しく話を聞くことにしましょう」
教皇は彼女をひとまず生かしておくことにした。
勇者ヒロトはお世辞にも賢いとはいい難く、しかしだからこそ、非力な彼女に暗殺という大任を任せるとは思えない。
叫びながら猿轡をされてもまだ暴れ続けようとするアシェリア。
まさに狂人と呼ぶにふさわしいその振る舞いに、周囲の視線が集まった。
「あの、教皇様……」
「ん?」
いったい、いつの間に接近を許したのか。
気がつけば、アシェリアの娘が教皇の目の前に立っていた。
(名前は確かマリアでしたか……。ヒロトとアシェリアの子供の割には落ちついていますね……?)
年齢はまだ五歳か六歳ぐらいだったはず。
いくらアシェリアの娘とはいえ、流石にこれぐらいの子供を積極的に処分するほどグレゴリーは外道ではない。
「どうしました?」
「お母様は、これからどうなるのでしょうか?」
年齢不相応に賢そうな瞳。
上目遣いのそれが潤んで同情を誘う。
「……心配は不要ですよ。落ち着きを取り戻してから、少しお話を聞くだけです」
「本当ですか?」
「ええ、もちろん」
こんな子供に敵意を向ける必要はない。
教皇はマリアに柔和な笑みを向けた。
国王軍のいる正面を見つつ、そのやり取りを伺っていた周囲の雰囲気が少し和らぐ。
「よかった……。これで……」
安堵の表情を浮かべたマリア。
そして――。
――ドスッ!
直後、何かが肉に突き刺さる音が周囲に響き渡った。
「――!」
周囲の視線が、今度は教皇と少女のいる方向へと一斉に集まる。
いったいどこに隠していたというのか。
人々は見た、マリアがグレゴリーの心臓へとナイフを突き立てているのを。
「これで! ヒロト様が世界の王だ!」
狂気と呼べるほど、年齢不相応に歪んだ表情。
甲高い少女の声が、戦場に響き渡った。




