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27:木と森の違い

「……左翼の民兵隊の一部を、一歩分だけ後退させてください」


 教皇グレゴリーは押し潰されようとしている旧王都民達を見ながら指示を出した。

 左翼には聖地から連れてきた民兵と僧兵の部隊が配置されている。


「一歩だけ……、ですか?」


 その言葉の意図を理解出来なかった副官が思わず聞き返した。

 今が戦いの真っ最中である以上、ここは何も言わずに従うべきだとわかってはいるのだが、しかしあまりにも不可解な指示だったからだ。


「念の為ですよ。それから伏せていた騎馬隊に合図を」


「はっ!」


 識文率は識字率の半分以下しかない、という話がある。

 書いてある文字を読むことは出来ても、文章の意味を適切に汲み取れる者は、その内の半分もいないのだそうだ。

 多くの者達は誤解と偏見、そして思い込みによって、その意味を自分の都合の良い形に改変して解釈する。


 今、教皇の視界の先にいる彼らのように。


「ぎゃああああ! 腕がっ! 腕がぁぁぁぁぁ!」


「助けてっ! お願いだからぁぁぁ!」


 阿鼻叫喚というのは、まさにこういうことを言うのだろう。

 砲弾と魔法の嵐で退路を断たれ、カイン陣営の民兵達に蹂躙される、かつての王都民達。

 彼らは今、長年に渡って目先の都合を優先し続けてきたツケを払わされていた。


 血肉が絶え間なく飛び、さらにそれ以上の勢いで悲鳴と命乞いの声が飛び交う。


 なるほど、戦いを生業とする者達が、どうして強い敵や名誉の死を求めるのかが、彼らを見ているとよくわかる。

 格好がつかないのだ、つまりは。


 これが絶対的な存在を相手にした結果であるのならば、あるいはまだいいのだ。

 元より勝ち目など無かった、それなのに自分達は勇敢に戦ったと慰めることが出来る。

 しかし彼らを蹂躙しているのは、自分達が長年に渡って見下してきた地方民達である。


「なんでっ?! どうなってんだよぉぉぉぉ!」


 ……わかるだろうか?

 いくらカインによる身体能力の強化や魔法隊による火力支援があるとはいえ、格下と思っていた相手に一方的に叩きのめされる屈辱が。


 肉体的な面で言えば、先日の魔王討伐で殺された者達の方が遥かに悲惨だ。

 だが、彼らには絶対的な強者に負けたという言い訳ができる分だけ、僅かながら名誉を守れる救いがある。 


 では、今蹂躙されている彼らはどうだ?


 カインや魔法隊の支援が無かったとしても、おそらくこの結果は大して変わらないだろう。

 逆に普通の殺され方をしたという事実が、その程度の相手にすら手も足も出なかった彼らの名誉を、文字通り根こそぎ奪い取っていた。 


 もしも彼らが、死後の世界で自分達の最後を自己紹介するとしたら……。

 きっと存分に惨めな気分を満喫できるに違いない。


(しかし、”魔王”の言葉だけでこうもあっさりと食いつくとは……)


 教皇は小さく溜息をついた。


 この世界の人間にとって、”勇者”と”魔王”の単語は特別だ。

 ヒロトが二人目の魔王に敗北したのを例外として、この世界における勇者の魔王の戦いは、全て勇者の圧勝に終わっている。


 今回の戦いにおいて教会軍が”魔王カイン”の討伐を大義名分に掲げ、そして”勇者ヒロト”が新たな力と共に復活したことを喧伝したことにより、義勇軍、つまり旧王都民達は、この戦いを”勇者”対”魔王”の構図に当て嵌めて捉えた。


 人はわかりやすい勝馬に乘りたがる。


 この世界の人々の大半にとって、”勇者”対”魔王”の結末は勇者の圧勝以外に存在しない。

 故に、彼らはこの戦いがヒロトのいる教会軍の圧勝になると思い込んだのである。

 それが防具も身に着けずに正面から敵陣に突っ込むという、冷静に考えれば正気を疑う行動へとつながったわけだ。


 が、しかし。


 しかしである。


 文字が読めるからといって、それで直ちに文章がわかるわけではない。

 彼らは”勇者ヒロト”と”魔王カイン”という単語から勝手にその構図を連想したが、この戦いはあくまでも”国王カイン対教皇グレゴリー”だ。


 勇者と魔王という単語から、彼らが”自分勝手に”ストーリーを組み立てていたというだけの話でしかない。

 言葉を曲解し、拡大解釈し、言及していない部分を都合よく補完しただけだ。

 ならば、その結果は自分達で受け止めるべきだろう。


(おそらく、その点に関しては相手も考えは同じ……。しかし気になりますね)


 この戦いにおいて、グレゴリーが教会軍のトップであるのと同様に、王国軍のトップはもちろんカインであるはずだ。

 その彼が、どうしてずっと最前線近くの外壁の上に立ち続けているのか。

 戦場の様子を確認するだけなら、外壁の内側にある塔からでいい。


 まさか十年前に自分の処刑に熱狂していた者達の最後を、特等席で楽しみたいわけではないだろう。

 カインがそんな”呑気な”性格の人物であるのなら、そもそもこんな事態にはなっていない。

 

(何かあるはず……。好悪は別にして、彼があの場所に立つ理由が)


 視界の中で吹き飛ばされ、現在進行系で肉塊へと変わっていく愚者の群れ。

 しかし、グレゴリーはもうそんな物には微塵の関心も持ってはいなかった。



(ふん、馬鹿者共め)

 

 王国軍の右翼に騎馬隊を全て率いて展開していた辺境伯フランキア。

 彼は蹂躙される旧王都民の群れを横目で見て鼻で笑った。


 勇者の力で強化されて舞い上がり、盾も鎧も無しで待ち構えている敵に正面から突っ込む。

 彼ら王国軍から見ても、あるいは敵の教会軍から見ても、それは賢い行動には到底見えない。


 いくらこの世界で戦術研究が進んでいないとはいえ、あるいはいくら思慮深さの平均が低いとはいえ、彼らほど堕落しきった者はそうそういないということだ。

 元々の素養と王都での怠惰な生活、そこにヒロトの治世が加わったことで誕生した、ある意味では奇跡の存在なのである。


「辺境伯! 陛下から合図です!」


「よし、出番だ! 角笛を鳴らせ!」


 辺境伯の合図で鳴り響く角笛と、前進を開始する騎馬隊。

 カインの力によって身体能力を強化された馬達が大地を蹴り、人間によるそれとは明らかに異なる地響きを起こした。

 軽快なリズムに乘り、数千の軍勢が圧倒的な速度で敵の左翼に襲いかかる。

 

「こっちに来るぞ!」


 迎え撃つのは教会軍の民兵達だ。

 旧王都民達とは違い、現在は聖地に住んている彼らは支給された鎧と盾をしっかりと身に着けている。

 

 当然だ。

 自分達の命が掛かっているのだから。


 彼らとて、この戦いに勝機があると信じてはいるが、しかしそれが自分達の勝利や生命を保証するわけではないことぐらいは理解している。

 油断すれば、勝てる勝負も勝てなくなるのだ。


「槍を構えろ! 出来るだけ体勢を低くするんだ!」


 彼らの後方には後詰めの僧兵達が控えている。

 しかしそれを当てにする気はない。


 僧兵達で構成された正規の重装歩兵部隊は、教会軍にとって主力の一つだ。

 彼らの損害を小さくして打撃力のある部隊を温存できれば、それだけこの勝負は有利になる。


 この世界において、エリートの代名詞である騎馬兵。

 それは馬の維持費による部分が大きいが、しかし彼らが最も機動力の高い戦力であることもまた事実だ。

 これを民兵だけで削ることができれば、形成はさらに大きく教会軍へと傾くだろう。


「ふんっ! 小賢しい!」  


 識文率は識字率の半分以下しかない、という話がある。

 それは、木は見れても森までは見れない者の割合が高い、という表現に置き換えてもいいのかもしれない。


 今後のために見栄えの良い武勇伝を作ろうと焦った辺境伯を初め、騎馬隊を構成する者達は、敵が極めて与し易い相手であると認識した。

 細かいことにも妥協しないというのが優秀さの証明と考えられることは多いが、しかし実際には大局が見えないだけということも往々にしてある。


「そこだっ!」


 辺境伯は敵の隊列が”一歩分だけ”後ろに下がっている所を見つけると、そこに向けて進路を変更した。


(どうだ! この判断は他の者にはできまい!)


 敵の守りが僅かに手薄くなっていることも見逃さない自分を、彼は内心で褒め称えた。

 息を呑んで安物の槍と盾を構えて並ぶ者達に、先陣を切って突っ込んでいく。

 この戦いが終わった後、勇敢な貴族として称えられる自分を想像しながら、辺境伯は右手に持った剣を振り回した。


「うわぁぁぁぁ!」


「駄目だ! 止まらない!」


 ズタズタにされていく戦線。

 本職の軍人ではない民兵達にとっては、普通の騎馬ですら止めるのは容易ではない。


 おまけに今回はカインの力で大幅に強化されているのである。

 いくら彼らが自分の子供達や、それ以降の子孫のために平穏な世界を作るのだと気合を入れたところで、どうにかなるわけがなかった。 


「辺境伯に続け!」


「このまま教皇の首を取るぞ!」


 弱者を一方的に蹴散らした騎馬隊の士気が、さらに一段上昇する。


 この勝負はもう勝ったも同然だ。

 まあ、彼らの心情はそんなところだろう。


 その様子を、教皇は冷めた目で眺めていた。


「民兵隊を抜けてきたところに集中砲火を浴びせなさい。 出し惜しみは不要、ここで敵の機動戦力を消し去るのです」


「はっ! 魔法隊! 弓兵隊! 撃ち方用意! 砲兵隊も砲撃準備! 目標、左翼より迫る敵騎馬隊!」


 教皇周辺の遠距離火力の全てが、もうじき民兵隊を突破して来るであろう辺境伯達へと向けられた。


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