26:開戦
人は完璧にも完全にもなれない。
しかしだからだといって、それが他人の行動を止める上で何かの根拠になるかといえば、そんなことはないはずだ。
仮に子を持つ親がいたとして。
家は貧乏で学校には行かせることが出来ない、しかし子供は賢く、学校に行ければ今よりも良い生活を手に入れられる可能性が高いとしたら。
子供をなんとか学校に行かせてやりたいと、何か手段はないものかと必死に探し回る親を、無様だ無能だと嗤うのは全くのナンセンスだ。
――彼らはそれを承知の上で、それでも諦めきれずに行動しているのだから。
自分達の現状を嘆いた上で、それでも希望に手を伸ばそうとする者を嗤う正当性など、世界のどこにも存在しない。
国王カイン。
教皇グレゴリー。
彼らはこの世界のほぼ全ての人間の命を握りしめて、再び希望に手を伸ばした。
二人同時に、そして互いに相容れない方向へと。
「隊列を崩すなよ! 逃げる奴がいたら負けるぞ!」
「お前の方こそ! 一番先に逃げ出すんじゃねぇぞ?!」
「馬鹿言うな!」
王都を守るようにして外壁の前に展開した王国軍の間で、喝が飛び交う。
カインは地方貴族達に加え、地方から王都に移住して上級国民となったばかりの大衆を、国民部隊と名付けて投入した。
この十年間を地方で過ごしたことによる、旧王都民達に対する嫉妬と不満。
そして上級国民となったことで手に入れた利権を手放したくないという思いから、彼らはカインの思惑通り、ほぼ全員が志願して武器を取った。
もちろん、そこには個人的な野望を胸に秘めた辺境伯フランキアによる、必死の演説が効果を発揮したことにも触れておかねばならないだろう。
ともかくとして、教皇が聖地にいたほぼ全ての人間を戦力として投入することに成功したのと同様、カインもまた王都に集結した人間のほぼ全員を前線に投入したわけである。
教会軍よりは少ないとはいえ、この世界の常識でいえば、こちらもありえない規模の軍勢だ。
(向こうも本気……。最悪は未来も捨てる覚悟で来ましたか)
カインとグレゴリーは、どちらも本職の軍人ではない。
しかし、だからこそ彼らは気がついていた。
互いの意図に。
この戦い、たとえどちらが勝利したとしても、そしてどんな勝ち方をしたとしても、戦後処理はきっと悲惨なものとなるだろう。
後先を考えない戦い。
教皇は改めてその事実を確認してから、ついに引き返せない一線を越えた。
「……始めましょう。義勇軍、前進」
「はっ! 義勇軍前進!」
教皇が指示を出し、そして旧王都民により構成された部隊、そのまま義勇軍と名付けられた者達に前進の命令となって伝わっていく。
彼らを教会軍とはあくまでも別の軍隊として扱ってある辺りに、互いの本音が透けて見える。
「いよいよ出番か。さあ! お前達も体感するといい! 選ばれし者だけに許される……、真の勇者の力を!」
義勇軍の後方に立ったヒロト。
彼は得意げに勇者殺しの剣を抜くと、それを天に掲げた。
淡い黄色の光が異世界から来た勇者を中心に発生し、義勇軍を包み込む。
「すげぇ! 力が溢れてくるぜ!」
「これが勇者の力か!」
体の周囲を薄い光で包まれた人々は、全身から湧き上がる超常の力に歓喜した。
そして鳴り響く角笛。
それを聞いて、我先にと走り出す愚民達。
「よっしゃあ!」
「ぶっ殺してやるぜ!」
過ぎた力はただ人を溺れさせる。
ヒロトの勇者の力で強化された身体能力に酔いしれる衆愚。
それが盾も防具もなく、ただ武器の剣だけを持って、待ち構えているカイン達の方向に一団となって真っ直ぐ向かっていく。
人と人が分かり合えるなどというのは、ただの幻想だ。
彼らの胸中に、相手が同じ人間だなどという意識は微塵も存在しない。
先日までは自分達の物であったはずの王都、そして王都民手当という自分達こそが優等であることの証明。
それらを取り戻し、思い上がった下等な人間達に罰を与えるのだと息巻く者達。
自分達が囮で、しかも盾としての役割を押し付けられているというのに、彼らはそれを主役の座が回ってきたのだと本気で思っているらしい。
「捨て駒を盾に使うつもりか」
城壁の上に立ち、先駆けとして動き始めた敵を正面から見据えたカイン。
先陣を切って向かってくる愚民の群れを迎え撃つのは、彼の眼下に隊列を組んで並んでいる国民部隊だ。
最初に激突するであろう互いの部隊には軍人経験のある者は殆どおらず、つまりは民兵同士の戦いということになる。
「見ろ! 魔王がいるぞ!」
「おっしゃ! このままあいつの首も取っちまえ!」
「俺がやってやるぜ!」
王都に向かって走る義勇軍。
城壁の上にカインが立っていることに気がついた彼らは、自分こそが魔王を仕留めるのだと息巻いた。
近くの者は大きく見え、遠くの者は小さく見える。
視界の外のどこかにいるであろう魔族の脅威など、彼らは考えもしない。
自分達の敵は目の前にいる人間達。
そしてその思い上がった愚図共を叩き潰した先にある栄光は、既に約束されている。
――あいつの首を取れば、自分が英雄だ!
……彼らの頭の中にあるのは、それで全てだ。
「大砲発射準備! 魔法隊構え!」
国民部隊の指揮を任された貴族が、火力支援を担当する者達に合図を出す。
舞い上がる旧王都民に対し、それを迎え撃つ新王都民は、少なくとも彼らほどには自惚れていない。
敵を受け止めるために王都の外で陣形を組んだ者達は、支給された軽鎧をしっかりと着込み、人間と同じぐらいの大きさの盾を地面に立てて構えていた。
もちろんそこにはカインの思惑が反映されている。
国王カインも教皇グレゴリーも、双方の民兵を完全に磨り潰すつもりでいる点では同じだ。
特に旧王都民をこのタイミングで処分するという狙いに関しては、一切の違いがない。
しかし、国王軍の一部として組み込まれた国民部隊を処分するタイミングに関しては別である。
旧王都民と共に、新王都民もここで潰してしまいたい教皇。
それに対し、カインは彼らをもう少し戦力として利用するつもりでいた。
故に、安価ながらもそれなりの装備を彼らに支給し、短い期間ながらも実戦を想定した訓練まで行ったのである。
さらに、乏しい人材の中から軍人経験のある貴族を選んで指揮官に任命し、背後の外壁には大砲に加えて少数ながらも魔法隊を支援火力として配置した。
最前線に出すには適さない者達は労働力として砲兵隊に加えてあるので、大砲の稼働数もその分だけ増えている。
「大砲、魔法隊、両方放てぇぇぇぇぇぇぇ!」
射程圏内に先駆けとして飛び込んできた敵の軍勢に対し、外壁の上と側面に空いた穴から支援射撃が開始された。
大地を埋め尽くす敵。
撃てば必ず誰かに当たる。
わざわざ狙いを付ける必要など、どこにもない。
「ぎゃっ……!」
「足がっ、足がぁぁぁぁぁ!」
砲弾や火炎玉で次々と吹き飛んでいく旧王都民達。
しかし義勇軍全体としては、その歩みが遅くなることはない。
一切怯むことなく突き進む者達。
当然だ。
まだ傷を負っていない彼らはこう思っている。
倒れた連中は無能、そして自己責任。
自分は特別、あんな奴らとは違うのだ、と。
この瞬間ばかりは、彼らの傲慢さがポジティブに機能したと言っていいかもしれない。
勇者の力で強化された身体能力で大地を揺らし、彼らは盾を構えて待ち構える国民部隊に牙を向いた。
「どれ、そろそろいいか」
未だ外壁の上に立ったまま、まさに衝突しようとしている新旧の王都民達を冷めた目で見下ろしたカイン。
彼は退屈そうに腰の聖剣を抜くと、”ヒロトと同じ”特殊能力を発動した。
ヴゥゥゥゥゥゥンッ!
鈍い駆動音と共に、視覚的には一切見えないフィールドが一瞬で戦場を包み込んだ。
突進する旧王都民の体を薄く包み込んでいたオーラが一瞬で消え、”ヒロトから得た力を打ち消された”義勇軍の進行速度が明らかに落ちる。
「力が湧き上がってくるぞ!」
「これが……、勇者の力か!」
それに対し、今度は国王軍側の民兵達が、カインによって身体能力を強化された。
ヒロトの使用した勇者の力はSランク。
カインが使ったのもそれと同じ能力ではあるが、しかし使用者の適性が全く違う。
本来はBランクの適性しかないヒロトとSSSランクの適性を持つカイン。
歴代最強の勇者による桁違いの強化を得た国民部隊は、この瞬間、神話の英雄に匹敵する戦力となった。
「ウォぉぉぉぉぉぉりゃぁぁぁっ!」
人は自分にとって都合の悪い事実を、そう簡単には直視できない。
過度の興奮状態により、自分達が力を失ったことにも気が付かないまま、義勇軍、つまり旧王都民達は敵へと突っ込んだ。
「死ねぇぇぇ――おぶっ!」
思い描いた未来。
自分達が華麗に敵を蹴散らすという願望が現実となることはなく、彼らは盾の壁によって呆気なく跳ね返された。
「???????」
「ど、どうなってんだよ?」
予想外の事態に直面した時、速やかに対処出来るかどうかというのも、その者の有能さを見極める上で一つの指針となる。
これが自分達の武勇伝になることを確信していた者達は、隊列を組んだ敵に止められたという現実を前に、どうしたらいいかわからずに立ち尽くした。
「よーし、行くぞ! 三! 二! 一! 進め!」
掛け声と共に、敵を受け止めた国民部隊が一斉に一歩前進した。
これは教会軍が到着するまでの間に訓練していた動きである。
正規の軍人達と比べれば話にならないほど粗末な足並みではあるが、しかし相手が相手なだけに、ここで優位性を奪い取るには十分だ。
「三! 二! 一! 進め!」
ようやく。
ようやくだ。
一歩、また一歩と前進する王国軍の国民部隊。
退路を塞ぐように撃ち込まれ続ける砲弾と魔法。
友軍の救出に動く素振りもなく、後方から冷めた視線を向けてくるだけの教会軍。
「え? ……え?」
前後を挟まれ、その威圧感が自分達に向けられていることを確認した時、行き場を見失った彼らはようやく理解した。
今ここで死に怯えなければならないのは、自分達だということを。




