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24:帰ってきた勇者

 かつての王都民やヒロト派の貴族達がピエトの街に閉じ込められてから数週間後。

 教皇グレゴリーは老若男女を問わず、文字通り聖地の全員を引き連れて王都へと進軍を開始した。


 大義名分は、”本性を現し、罪無き民衆を虐げ始めた魔王カインの討伐”である。

 教皇としても”罪無き民衆”という表現に思うところがないわけではないが、それは仕方ない。


 先日の魔王討伐軍すら遥かに超える、空前の大規模となった教皇軍。

 作業の自動化が進んでことで、一ヶ月程度ならば食糧生産等々に大きな支障は起きないとはいえ、終戦後には相当に大きな負担が待っていることを覚悟しなければならない。


 ともあれ、それを気にするのは目の前の全てが上手く行ってからだ。

 彼らは手始めに、王都攻略用の足掛かりとしてピエトを制圧した。


(ピエトを包囲していた兵達はこちらの到着前に引き上げましたか……。やはり、王都で決戦ということになりそうですね)


 教皇軍の到着直前まで、ピエトを包囲して住民達の脱出を妨害していたカイン派の兵達。

 彼らは教皇軍を発見すると、即座に王都に向けて退却を開始した。

 

 その動きが事前に決められていた行動であることは明白で、つまりカイン陣営もこの事態を予想していたということだ。


(単純な戦力では明らかにこちらが上。だからこそ、逆転のために何か仕掛けてくることは間違いない。さて、どう出てくるか……) 


 カインの動きを警戒する教皇グレゴリーの視線の先では、魂移しで新たな肉体を手に入れたヒロトが、ピエトの大衆を前にして演説している。


「みんな! 僕は魔王カインを打ち倒すため、奇跡の力で蘇った。新たな体と、新たな力と共に! 僕と一緒に戦う者は、勇者の力で強くなることが出来る! さあ! 一緒に魔王カインを打ち倒し、僕達の国を取り戻そう!」


 ヒロトの言葉が終わった直後、僧兵の一人が剣で大木を真っ二つにするパフォーマンスをしてみせた。

 とても普通の人間には不可能な芸当である。


「見よ! これが真の勇者ヒロト様と共に戦う者に与えられる力だ!」


 大衆は、わかりやすい勝ち馬に乗ろうとする。

 ヒロトの持つ”勇者殺しの剣”の力で得られる超人的な力を見た人々は、今度の勝者は彼らだと判断した。

 そして彼らの側に付けば自分達は安泰だ、とも。

 その発想そのものが、敗者への第一歩だというのに。


「さあ、どうだ! 我らと共に魔王を打ち倒す者はいるか?!」


 僧兵の声と共に、樽に入った大量の剣と鎧が大衆の前に並べられた。

 つまりはこれを使えということである。


「よっしゃ! 俺はやるぜ!」


「俺もだ! 俺にも武器をくれ!」


「あいつら、絶対にぶっ殺してやる!」


 こぞって剣に群がる民衆。

 しかし鎧には誰一人として手を伸ばさない。


 その様子を見ていた教皇は溜息をついた。

 彼らは自分達が殺される側になる可能性をまるで考えていない、と。


 これはあくまでも殺し合いだ。

 互いに相手を殺し、相手に殺される可能性を持つ。


 だが彼らは既に勝利と栄光を確信し、自分達が殺し、相手が殺されるだけだと思いこんでいる。

 全てが完了した暁には、やはりヒロトやアドレナ達共々”処分”するしかないだろう。


 教皇のプランはこうだ。


 まず思い上がった愚民共を、囮と盾を兼ねて前進させる。

 敵が彼らの殺処分に手を取られている間に、教皇軍を前進させて物量で押し込む。

 あとは機動力重視の別働隊で後方をかき回しつつ、カインの居場所を確認次第、ヒロトをそこに放り込むだけだ。


 戦術研究が殆ど行われていないこの世界においては、おそらくこれが実戦で使えるほぼ上限だろう。

 指示が複雑になれば、おそらく味方の兵達がついてこれない。

 教皇も軍人としての経験が豊富というわけでもないし、この辺りが妥協ラインだ。


 剣を掲げ、気勢を上げる民衆。

 決戦の時はすぐそこまで来ている。



「諸君! ついに雌雄を決する時が近づいている!」


 辺境伯フランキアは王都で声を張り上げていた。

 周囲に地方から王都に移住し、上級国民となったばかりの人々が集まっている。


「十年! 十年だ! 我々は、泥水をすすってこの十年を耐えた! そして今! ついに我々が報われる時代が訪れようとしている!」

 

「そうだ!」


 群衆から歓声が上がる。

 

「生きるための作物を育てて来たのは誰だ! 畑を耕してきたのは誰だ! 狩りをし、戦って来たのは誰だ!」


「俺たちだ!」


「そうだ! 我々だ!」


 これまで地方に身を置いてきた人々。

 彼らは生産物のかなりの割合を、税として王都に吸い上げられていた。


「なぜ我らが苦しまねばならない! なぜ我らが恩恵を受けられない!」


 自分達が作った作物を、どうして何もしていない王都民が口にするのか。   

 作物が作った自分達が苦しみ、どうして何もしない王都民が良い思いをするのか。


「答えはわかりきっている! 奴らがいるからだ!」


 大きく腕を振り、そしてピエトの方向を指差した辺境伯。

 その向こう側に誰がいるのか、ここにいる全員が知っている。


「なぜ奴らが楽をするのか! なぜ奴らが全てを手にするのか!」


 この十年で醸成された不平と不満。

 それは超えがたいほど大きな溝となって、王都民と地方民の間に存在していた。


「諸君は知ったはずだ! この王都にいた者達が、いかに不当な利益を得ていたのかを! 我らが手にするはずだった利益を横取りしていたのかを!」


 大衆は容易に扇動される。

 例え目の前で誰かが扇動される所を見ていたのだとしても。

 自分は違う、自分だけは物事をわかっているのだと信じ、そしてやはり扇動される。 


 自分達の生活の分は自分達で賄っていたとはいえ、教育も満足に受けておらず、世の中のことも大して知ろうとしない者達が、まさか賢いわけがないのである。


 現在はピエトにいる旧王都民がそうであったように、王都に集結し上級国民となった彼らもまた、自分の知る世界が世の中の全てだと信じて物事を判断した。


「駆逐するのだ! 世界の悪を! 我らの敵を!」


「ウオォォぉぉぉぉぉぉぉぉ!」


 群衆が猛る。

 世界は誰の物かと。

 誰がこの世界の主人公であるかと。


 そしてその問いに対し、辺境伯は心の中でだけ答えた。

 それは自分だと。


 異世界から来て持ち上げられるだけの脳みその足りない勇者ではなく。

 あっさりと玉座を奪われるような無能の国王でもない。


 教皇という地位以外に取り柄が無い棺桶に片足を突っ込んだ痴呆老人でもなければ、世界の隅で少数の魔族を集めていい気になっているだけの魔王でもない。

 全てが終わった後、この世界を我が物とするのは自分、即ちフランキアなのだと。


(ふん。あんな連中に一体何が出来る)


 人は最初に嵌まり込んだ価値観の沼から抜け出せない。

 彼の思い描いた青写真はこうだ。


 まずはこの戦いを利用して、カイン陣営以外を全滅させる。

 聖地にいた平民達は利用価値が高そうだから生かしておいてもいいが、有力者達には全員死んで貰わなければならない。


 もちろん教皇グレゴリーと勇者ヒロトの死は必須だ。

 そしてそれが終わったら同じようにして魔王達を全滅させる。


 そこまで上手く行けば、もうこちらのもの。

 後はカインを上手く操って、裏から世の中を牛耳れば良い。


 ヒロト如き低能によって追放されるような無能を操ることなど、そう難しいことではないはずだと、辺境伯は考えていた。


(ここを乗り切れば……、世界は私の物だ!)


 もちろん、そこには大きな判断ミスが含まれている。


 人は容易には変わらないし、変われない。

 しかし絶対に変わらないわけではないし、変われないわけでもない。


 ただ脚本通りに踊るだけの勇者ヒロトはまだいいとして、他の三者は既に人生最大の転換点を迎えた。


 国王カインは玉座から落とされた後、腐った林檎に配慮することはなくなった。


 教皇グレゴリーは人間の醜さに直面した後、腐った林檎を切り捨てることに躊躇しなくなった。


 魔王アベルは世界を知った後、腐った林檎を喰らおうとは思わなくなった。


 彼らの誰一人とて、今の社会の継続を望んでいる者はいない。

 辛いことがあっても我慢するのが上等な人間だとか、理解して貰えるまで根気強く訴えかけるべきだとか、そういう退廃的な時代はもう終わりでいい。

 決まり事が守れない奴は忍耐力が無いだとか、上下関係に従えない奴は幼稚だとか、そういう独善的な思想はもう消えていい。


 権利や義務という概念は、別に世界の始まりから存在しているわけではない。

 にもかかわらず、それをさも当たり前であるかのように後生大事に持って歩いては、他人にまで押し付ける無責任。

 高みの見物を決め込んで、挑戦する者達をただ扱き下ろすだけの傲慢。

 自分は完璧にも完全にもなれないというのに、他人にはそれが可能だと信じて疑わない人々。


 そんなものに付き合ってやる理由は、元来どこにもない。


 独善はさらなる独善で潰し、傲慢はさらなる傲慢で潰す。

 そしてその後でやり直せば良いのだ


 彼らは学んだ。

 

 敗北から。

 挫折から。

 孤独から。


 彼らは学んだ。


 邪魔になる者は殺すべきだ。

 良心のない者は殺すべきだ。

 不利益となる者は殺すべきだ。


 彼らは学んだ。


 書かれた本は一度も読まれず捨てられる。

 掲げた理想は誰にも響かず嗤われる

 夢見た世界はどこにも見えず踏みにじられる


 そうだ、彼らは学んだのだ。

 大声で叫んだところで何も変わりはしない。

 ただ勝者となることだけが必要なのだと。


 この世界では、それが現実なのだと。


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