16:友愛の天使
「うおおおおおお!」
「ハッハッハ! 無能が死んだ死んだぁ―!」
「ダサすぎだろ。俺なら普通に勝ってたぜ」
聖剣を突き立てられて動かなくなった騎士団長アーカムの遺体。
しかしそれでも尚、人々の嘲笑は止まらない。
競うかのように指を指し、無様だと扱き下ろす者達。
カインは少しだけ、かつて自分を玉座から引きずり降ろした臣下に同情した。
……少しだけだ。
賢明だったとはお世辞にすら言えないが、しかし彼が自分の望む未来を掴もうと、”自分自身”で行動したのは事実だ。
それが他人の成果にただ乗りすることしか考えないような者達から馬鹿にされるとは。
例え能力が高かろうが低かろうが、自分の限界に挑むことを下策とは思わないし、それで失敗して転んだ者を嗤う気にもなれない。
有能の定義が失敗の少なさを意味するのであれば、やはり永遠に彼らとわかり合うことは出来ないだろう。
正しいという言葉の意味が、多数派であることだったとしても同じことだ。
まったくもって味方にする利点を見いだせない。
兜の奥の赤い瞳が、自分達だけは安全地帯にいるつもりになっている者達に向けられた。
失敗の中から成功の種を掴み取れることを有能と定義するのなら、視線の先にいるのはまさに無能の極北だ。
そんな魔王の背後では、熱狂する人間達を見た魔族達がただ戸惑っていた。
「なんなんだよ、あいつら……」
仮に騎士団長が魔王に勝利したというのであれば、彼らが喜ぶのはまだわかる
味方が敵の大将首を取ったわけだから、別に不思議はないだろう。
しかし実際はその逆だ。
魔王が勝ったのだから魔族達が喜ぶのは良いとして、彼らの歓喜する理由がいったいどこにあるというのか?
「理解できねぇ……」
民兵に続いて主力であるはずの騎士団が壊滅し、さらに大将と見られる男が一騎打ちで敗北したのである。
魔族達にはその感覚が全く理解できなかった。
”肉の鞘”から、改めて剣を引き抜いた魔王。
「よくやったぞ魔王!」
「あっさり殺しすぎだろ! もっと苦しませろよ!」
人は自分が多数派に属している際、それこそが自分の判断の正しさの証明だと思いたがる。
剣を抜いて自分達の方を向いた魔王を見て、討伐軍の人間達はまるで見世物を終えた後の役者にでも送るような声援を上げた。
ここは戦場だというのに。
殺し合うことこそが仁義であり礼儀、ここはそういう場所だというのに。
平民達はこれを自分達のための娯楽か何かと勘違いし、多少はマシだったはずの貴族や騎士達もその雰囲気に流された。
そんな衆愚を、これまでのように首や頭を纏めて握り潰すことで殺そうと考えた魔王。
しかしその直後、彼はこれが自分の力を試しのに丁度いい機会であることに気がついた。
民兵と騎士団を合わせて既に一万人以上が死んでいるとはいえ、しかしそれでもまだ万単位の人間が残っている。
正確な数はわからないが、しかし五万以上は確実にいるだろう。
これだけ大規模な戦場に出会う機会などそうそう無いはずだ。
彼が女神から与えられた力。
彼女の言葉を要約すれば、つまりはこの世界で最強の力。
それがいったいどこまでやれるものなのか、それを試す絶好の機会である。
使える能力は一応全ての種類を試しはしたので、問題は出力だ。
そこで魔王は、思いつく中で最も難易度が高く、そして体力の消耗が大きい方法で彼らを処分することにした。
いったい自分には、どれだけの大破壊を起こすことが出来るのか。
彼は剣の先端を上に構えると、討伐軍の左右と背後、そして上の四方向に鏡面の壁を出現させた。
「なんだ?」
「おいおい、今度はなんだよ?」
新たな余興が始まるとでも思ったのか、呑気な声を上げ始めた平民達。
「おい、これホントに鏡だぜ。魔法かよ?」
面白がってさっそく鏡に触れる者達。
しかしこの世界の一般的な魔法の中には、この現象を実現できるものは存在しない。
試しにドンドンと叩いてみるが、壁が割れる気配は全く無かった。
「本気かよ……」
「魔王様……。一応は同族だぜ?」
いったいこれから何が始まるのか。
後ろで見ていた魔族達はそれを一足早く理解して戦慄した。
普段は、彼らの方が人間よりも粗雑で残虐だと馬鹿にされることが多いというのにだ。
そしてゆっくりと。
天井の銀色が下がり始めた。
「おいおい何やってんだよ、早くやれよ!」
「俺が変わりにやってやろうか?! ちょうど新作の一発芸を考えたんだ!」
「お! いいな! やれやれ!」
どんな業界、どんな立場においても、今いる場所よりも上に行こうと思えば、それ相応の忍耐力を発揮しなければならない。
成功よりも失敗の方が多い状況の中で、千載一遇の好機を逃さないように集中と警戒を保ち続ける必要がある。
しかし彼らにはそれがない。
だからこそ彼らは平民なのであり、この戦いを死地と見抜けない騎士や貴族なのである。
そんな彼らが天井の変化にすぐ気がつくはずもない。
動かない魔王に気を取られた彼らがそのことに気がついたのは、それがもうかなり下がってしまってからだ。
「……。おい、なんか上のやつが下がってきてねぇか?」
「そうか? 最初からこんなもんじゃなかったっけ?」
”下がったかどうか”というのは、当然”下がる前はどうだったのか”を知っていなければ判断できない。
直接的であろうが間接的であろうが、とにかく比較対象が必要だ。
そして、果たして彼らにそれを確認しておくような注意深さがあったかといえば、そこに議論は必要はないだろう。
「これは……、まさか……」
とはいえ、全ての者の能力や性質が均一なわけはない。
貴族を初め、彼らの中ではインテリ層に分類される者達が、事態の深刻さにとうとう気がついた。
鏡面の壁は実体があり、通り抜けることが出来ない。
そんな壁が上から降りて来ればどうなるか。
「魔法隊! 上の壁を破壊しろ!」
「はっ!」
慌てて指示を出す副団長。
「魔法隊! 目標、銀の天井! 全員構え! 三! 二! 一! 放てぇー!」
一斉に放たれた火の玉が天井の鏡面へと殺到する。
「なんだ?」
群となった魔法が立て続けに連続で弾け、その爆音によって平民達もようやく天から迫った危機に気がついた。
「駄目です! びくともしません!」
「己……。仕方ない! 外に出るぞ! 前進!」
慌てて自分達だけ前進を始めた騎士や貴族達。
その様子を見ていた平民の中からも、ようやく状況を理解する者が現れだした。
「おいやべぇぞ! このままだと押し潰されちまう!」
「何? 何だ?!」
「上だ! 潰されるぞ!」
ここになって初めて、討伐軍の全員が命の危機を理解した。
側面の壁付近にいた者達は壁を叩き割ろうとしたが、全く壊れる気配がないこと理解すると、諦めて走り始めた。
それを見た者達も、逃げ道は正面しかないと判断し、戦闘を走る貴族や騎士達の後を追う。
しかし現実は残酷だ。
「ぐぁ!」
先頭を走っていた騎士。
馬に乘り、一番最初に銀の屋根の下から抜け出そうとした男は、見えない何かにぶつかって落馬した。
「今度はなんだ?!」
「壁です! ここにも見えない壁が!」
「何だと!」
人は一つしかない希望を否定された時、その言葉を素直に信じようとはしない。
最初の一人が派手な落馬を披露したというのに、それを見ていたはずの誰もがその横まで走っていって、自分の手で触れて確かめた。
「急げ急げ!」
先頭集団のやり取りを詳細に観察するだけの余裕も意志もない者達。
彼らは”こいつらはこんな時に何をやっているのか”と内心で小馬鹿にしながら横を通り過ぎようとして、そして次々と見えない壁にぶつかっていった。
そんな調子で”境界線”のところに人が溜まっていく。
「何やってんだよ! 早く行けよ!」
「うるせぇ! 通れねぇんだよ!」
赤い瞳が兜の奥で輝く。
この時点で、天井の鏡面は彼らの頭のすぐ上まで来ていた。
「駄目だ! やっぱり壊れない!」
馬に乗っていた者達が最初に立っていられなくなった。
彼らは馬から降りて武器で天井を突き始めたが、もちろんそれではヒビの一つも入りはしない。
「どうすんだよこれ!」
「壊れろ! 壊れろよ!」
やがて天井は人々の頭部に達し、誰も真っ直ぐに立ってはいられなくなった。
「い、嫌だ! 死にたくない!」
「助けて! 誰か!」
「どけよお前!」
「うるせぇ! お前が邪魔なんだよ!」
「駄目だ……、下にも壁がある……」
泣き叫ぶ者。
自分を助けてくれる英雄の登場を懇願する者。
脱出する道も求める者
他の者達を押しのけて自分の体勢を少しでも低くしようとする者。
逃げ場を作ろうと土を掘り絶望する者。
なるほど、絶望的な状況を前にしてその反応は様々だ。
そして誰もが膝立ちしか出来なくなった段階になって、一人の男がついに希望を見つけ出した。
「魔王! いや、魔王様! これは魔王様がやってるんですよね?! 助けてください! お願いします!」
その声を聞いた者達が、はっとした顔で一斉に魔王の方向を向いた。
彼はまだ天に剣先を向けた体勢のままだ。
「そ、そうだ! 助けてくれ! 助けてくれたらなんでもする! 勇者も国王も好きにしていい!」
「私もだ! 金でも女でも、なんでも用意する! 他のやつはどうなってもいい!」
「ずるいぞお前! 俺だ! 俺を助けてくれ!」
「テメェ! 自分だけ助かろうとしてんじゃねぇよ!」
「うるせぇ!」
魔王に殺到する命乞い。
そして狭い空間での醜い争い。
それはあまりにも見苦しく、後方で見ていた魔族の中には、耳を塞いで後ろを向いた者まで出始めた。
「……」
しかし魔王はそれに一切の反応を返さず、微動だにしない。
ただ彼らに対して、兜の奥から赤い瞳を向けるだけだ。
その内に天井は人間の膝ぐらいの高さまで降りてきた。
人々が地面に這いつくばって必死に生にしがみつく。
彼らに先行して、横向きに倒れた馬達の胴体が、天井と地面に挟まれて潰された。
飛び散る血と肉。
飛び出る内臓と骨。
近くでそれを見ていた者達は、同じことがもうすぐ自分達にも起こるのだと、嫌でも理解させられた。
「嫌だ……。嫌だァァァァァァァァァァ!」
「頼む! 助けてっ……! 助けてくれぇぇぇぇ!」
彼らの叫び声など意に介することも無く下がり続ける鏡面。
仰向けになった者達はそこに映り込んだ自分と隣接距離で目を合わせた。
「誰かッ! 誰かぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
「助けてぇぇぇ!」
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
いよいよ寝返りを打つことも出来ない位置まで降りてきた天井。
しかし万を超える彼らの断末魔に引き寄せられるかのように、全く止まる気配は無い。
そして――。
――グキョッ!
ゴギョ、ガギョッ、グギョ!
メキョ、バキョグキョグチョメチョガキョ、ゴキョメキュメキバキュグチュグギョボギガキョゴキョゴキョゴキョ、メキョベキョ、ガキョドキョグチョドチュバキョバキメキボギョゴキョメキュメキバキュ、グチュグギョボギガキョゴキョゴキョグギョ、ガギョッ、メチョガキョ、ゴキョメキュ、メキメキ、ガキョゴキョボキボキボキグチョ、ガガガギョグチャビチャ!
骨の折れる音。
肉の爆ぜる音。
最初の一つ目は控えめに。
そして二つ、三つと続き、彼ら自身の性根を示すかのように、一斉に後に続いた。
武器も、防具も、耐えきれずにその形を変えていく。
頭蓋が砕け、脳髄が飛び出る。
眼球が割れ、血が吹き出す。
内臓はすり潰され、関節は押しつぶされた。
彼らの信念によれば、多数派は正義だそうだ。
なるほど、ではこれが正しい結果ということか。
彼らは一人残らず、全員がこの結果を選び取ったのだから。
一人はみんなのために。
みんなは一人のために。
しかしもうそんな小さなことを気にする必要はない。
もはや元々が何の生物であったかも判別出来無いほどに細かくなった血肉は、時間と共に狭くなっていく空間の中で行き場を求めて混ざりあい、そして一つになった。
かつて思想家達が夢見た理想。
”それを実現するために人は如何にして一つになれば良いのか”というその問いに対し、彼らはここに一つの明確な答えを提示したのである。
無表情で大地へと到達した銀色の天井。
それは、もしかすると魔王が呼び出した”友愛の天使”がこの世界に降臨した姿だったのかもしれない。




