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13:勇者の力(食事前後は注意!)

 悪魔の赤い瞳が輝き、僅かに抜かれた聖剣からは黒紫のオーラが滲み出る。

 カインが女神に与えられた力の一端。

 ヒロトを初め、歴代の勇者達にはなぜその力が与えられなかったのか。

 今、彼の周りにいる男達の姿が、端的にそれを説明していた。 


「う、うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」


「なんだよこれぇぇぇぇぇ!」


 突如として両腕の皮膚を食い破って溢れ出した蛆の群れ。

 根源がどこにあるのかもわからぬ痒みと共に、数多の生命が雄叫びを上げる。

 それを吸い上げるかのように腐り、溶け始める肉。

 赤から黒へと色を変えていく血はその粘度を増し、しかし傷を塞ごうと固まる気配はない。


「ひぃぃぃぃぃぃっ!」


 彼らの内、篭手をしていなかった者達は各々の武器を放り投げると、慌ててそれを払い始めた。

 腕全体に無数に開いた穴。

 いくら払っても、また新たに白い幼虫達が穴の奥から生まれ、その姿を現す。

 

 そして篭手で両腕を完全に覆っていた者達もまた、自分の体の異変を前に叫んでいた。

 両腕の奥底から湧き出すような感覚の正体を確認しようと、慌ててそれを引き抜く。

 丁寧にやっている余裕はない、とにかく勢い良く、力一杯にだ。


 ――ズリュ。


 手羽先の上手い食べ方というのを知っているだろうか?

 あれは、肉から骨を綺麗に引き抜いて食すのだそうである。

 肘の辺りから千切れた彼らの肉は、まさにそれと同じ様な調子で篭手と一緒に、丸ごとごっそりと引き抜かれた。

 見事という他ないほど綺麗に肉が切り離され、標本のようになった骨が姿を現す。


「ぎゃあああああああああああ!」


 肉の支えを失った骨がだらりと垂れ下がり、篭手の入り口からは腐った肉と血、そしてそれに群がる白い虫達が零れ落ちた。

 いったい自分達の、いや、自分の身に何が起こっているのか。


 腐った肉は既に神経など無視しているようで、痛みは一切無い。

 しかし、にもかかわらずまるで脳に直接届けるかのように、幼虫達の蠢く脈動が余す所なく伝わって来ていた。

 発狂寸前。

 しかしそれでもまだ正気は保たれている。


「はぁっ、はぁっ……」


 腐った腕の肉を全て削ぎ落とし、肘から先に白い骨を垂れ下げただけになった男達は、肩で呼吸をしながら、ここでようやく落ち着きを取り戻した。

 あれほど大量に湧き出ていた蛆はいつの間にか一匹もいなくなっている。


「……幻、なのか?」


 いったい何が起こったというのか?

 互いに同じ状況に陥っていたことを今更確認した反逆者達は、呆然と地面に転がった各々の肉を見た。

 彼らはこれを、魔王による幻覚魔法ではないのかと疑ったのである。

 人は現実よりも、自分の中の妄想を優先する。

 地面には先程まで自分の一部だった肉が確かに転がっているというのに、千切れ、穴だらけになって腐り落ちたその腕もまた幻覚に違いないと、彼らは勝手に信じ込んだ。

 

 悪魔の赤い瞳が光る。


「お前達、全員腕は無くなったか?」


 やけに頭の中に響く声に、ビクリと反応した二十数名の男達。

 カインのその言葉は、不自然過ぎる説得力を持って彼らを現実に引き戻した。


 見えない壁で囲まれた密室。

 その中心に立つ悪魔へと、全ての視線が集中する。


「……へ、陛下? 陛下はどうして無事なんですか?」


 勇者カイン。

 彼は十年前の時点で”陛下”ではなくなっている。

 しかし当のカイン本人だけを除いて、この場でそれを疑問に感じる者は一人もいなかった。


 骨だけを残して両腕を失った自分達とは異なり、全くの無傷で悠然と立ったままのカイン。

 元々が王族として教育を受けているということもあり、視覚的な意味での存在の特別感は、ヒロトとはわけが違う。

 倫理や道徳ではなく、損得勘定でもなく、ただ純粋な強者と弱者の関係において、彼らは誰が王に相応しいかを本能で理解した。


「ああ、自分の身を削るような力はナンセンスだからな」


「……?」


 首を傾げる騎士団員達。

 彼らにその意図を推測するだけの知能は無い。

 カインのその言葉の意味がわかったのは、普段から忖度を仕事の一部とする文官達だけである。


「まさか……、これは陛下が……?」


 その言葉を聞いて他の者達も気がついたのか、ハッとしたように改めてカインの顔を見た。


「そうだが? それがどうかしたか?」


 当たり前のことを聞くなと言わんばかりに冷たく答えたカイン。

 その赤い瞳が再び光る。

 この勝負は既に”詰み”だ。

 見えない壁によって外部に音が漏れる心配も無く、もはやここで取り繕ってやる必要はどこにもない。

 

「ど、どうしてですか?! なぜ味方の我々を!」


「味方? はて、俺の味方なら全員ギロチンで首を飛ばされたがな?」


 言った直後、そういえばギロチンで処刑された以外にも、カイン達を助けようとして返り討ちにあった者達がいたことを思い出した。

 次に似たような台詞を吐く時は、しっかりと彼らのことにも言及してやらないとならないだろう。

 大丈夫、その機会はきっとすぐに訪れる。


「それじゃあ、やっぱりお前は俺達のことを……!」


 ――殺すつもりなのか。

 最後まで言わずとも意図は通じる。


「当たり前だ。敵を殺さなくて誰を殺す?」


 途中で途切れた”敵”の言葉に被せるようにして、カインは答えた。

 もう味方の振りをする理由はない。

 

「裏切ったのか屑め!」


「勇者の力を与えられておきながら! 卑怯者め! 恥を知れ!」


 先程までは”カイン様”だの”陛下”だのと言っていた者達が、腕を失った恨みを込めて罵声を吐き始めた。

 自分の裏切りは良い裏切り、他人の裏切りは悪い裏切り。

 なるほど、その思想を採用するのであれば、確かにその言い分は”正しい”。

 正しいことをしているのだから、クーデターでカインを引きずり降ろした彼らが非難される筋合いは無いはずだ。


 が、しかしである。


 ここで彼らと同じ土俵に立って、『黙れ、裏切ったのはお前達の方だろう!』などと言い返してやるほど、今のカインはお人好しではない。

 そういうのは”話せばわかりあえる者同士”でやることだ。

 まさか他の獣を狩って生きる肉食獣に、”獲物の側の事情も考慮しろ”などというわけではあるまい?

 

(……いや、現実には本気でそう言い出す者もかなりいるのだったか)


 そんなことを考えつつ、カインは聖剣を完全に抜いた。

 黒紫のオーラを纏った剣を、最も近くにいた一人に向けると、そのまま躊躇うこと無く特殊能力を起動する。

 

「え? ……あ、え? ……あ?」


 本人の疑問を解消すること無く歪んでいく視界。

 メキメキと音を立て、あるいはミシミシと軋みながら、男の体が醜悪に膨れ上がった。

 偉業を求めた者に与えられた異形。 


「ひぃぃぃぃ!」


 周囲から悲鳴が上がる。

 彼は望んでいた前人未到の領域へと、ここで一番乗りを果たした。


 そして――


 ――ボンッ!


 弾け飛んだ肉塊。

 まだ赤い血と新鮮な肉が示し合わせたかのようにカインを避けて、それはこの密閉された空間に散らばった。


「ひっ!」


 頬に掛かった肉片。

 他の者達から一斉に短い悲鳴が上がる。


(なんだこいつらは?)


 戦場で魔法が飛び交うこの世界では、こういう死に方をする者もそれなりにいるはずだ。

 文官はともかくとして、武官の反応はどういうことなのかと思ったカイン。


 しかし彼は直後に自分の考えを撤回した。


 よくよく考えてみれば、こいつらは戦場でまともに強者と戦ったことが無いのである。

 勝てる相手か、命のやり取りのない訓練か、経験があるのはそのどちらかだ。

 

「あ……、あ……」


 仄かに上がる湯気。

 どうやら今ので戦力の違いを理解したと同時に、何人かは失禁したらしい。 

 先程までの勇ましい言葉はいったいどこへ行ってしまったのか。


「嫌だ……、嫌だあああああああああ!」


 次は誰にしようかとカインが周囲を見渡した時、閾値を超えてついに発狂した一人が、骨だけになった両手を振り回して走り出した。

 方向はもちろんカインの反対、つまり見えない壁に向かってだ。


 ドンッ! ドンッ!


「壊れろっ! 壊れろぉぉぉぉぉっ!」


 なんとかして壁を破ろうと、何度も体当たりを繰り返す。

 しかし道が開かれる気配は微塵も無い。


「まあ落ち着けよ」


 カインがそういった瞬間、それまで見えなかった壁が突如として銀色の鏡面へと変わった。

 はっきりと映り込む自分の顔。

 そして自分の後方にいるカインの姿を見た男は、その赤い瞳を見て再び固まった。


「次の”舞台”が近いんでな。”他の役者達”も待ちくたびれている頃だろう。正直言うと、あまり時間に余裕が無いんだ。しかし、だ。俺個人としても、お前達には特別な思い入れがある。そこで、だ。代わりにお前達は”記憶に残るような”最後にしてやろう」


「へ、陛下、お許しください……」


 震える声。

 男は混乱したまま、背後のカイン本人ではなく正面の鏡に映り込んだ彼の前に膝をついた。 

 しかし救いを求める祈りを捧げようにも、骨だけになった腕では手を組むことは出来ない。


 悪魔の赤い瞳が輝く。


 相手が好ましい人物で、しかも自分に利益をもたらすというのなら、殺す必要はどこにもない。


 相手が好ましくない人物で、だが自分に利益をもたらすというのなら、殺すのは我慢すべきだ。


 相手が好ましい人物で、しかし自分に不利益をもたらすというのなら、残念だが殺すべきだろう。


 相手が好ましくない人物で、そして自分に不利益をもたらすというのなら――。


 

 ――喜んで殺すに決まっている!



「まあ……、楽しんで逝けよ」


 カインのその言葉の直後、男の全身に、再び先程と同じ痒みが湧き出した。


「うっ、あっ、あっ、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」


 人は自分の老いに初めて直面した時、そこに恐怖を感じる。

 皺が増え、肌が弛んでいるのを見ただけでだ。

 今の彼の気分は、まさにその極北ではないだろうか?


 鏡に映った自分。

 肌は生気を失い、青と茶色へと代わり、垂れ下がるのを通り越して、腐り、溶け落ちる。

 開いた毛穴からは白い幼虫が我先にとうねりながら湧き出して来る。

 

「お、おぇぇぇぇぇぇぇぇ!」


 口の中、そして喉の奥からも溢れ出す蛆の群れ。

 飲みすぎた酒を吐き戻すかの勢いで、胃の奥底から数多の生命が体の外へと飛び出していく。

 足が、腹が、背が、胸が、首が、顔が、全てが容赦無く白い虫達に蹂躙される。


 腐った皮膚が溶けて落ちる。

 支えを失い、腹から下に零れ落ちる内臓にもまた、白く蠢く者達が群がっていた。


「あ、あ、あっ、あ……」


 人間と呼べるような特徴はもうどこにも残っていない。

 醜悪以外の何物でもない自分の姿を鏡で見ながら、そして最後に感じたのは目の周囲に群がる痒み。

 自分の眼球が白い悪魔達に突き破られるのを最後に確認した後、彼はしばらくの蹂躙の後に人生を終えた。


「うっ……、オェェェェェ!」


 意識を永遠に失い、全身を白で覆われたまま無制御で倒れる体。

 自分の番はまだだというのに、かつてのクーデター仲間の最後を見ていた他の者達は、次々と胃の中身を外に吐き出し始めた。


「はぁっ、はぁっ……」


 盛大に全てを吐き出した後、残された二の腕で口を拭いながら、吐いた苦しみと僅かな開放感を得た彼ら。

 少しだけ冷静さを取り戻した反逆者達は自分達に迫った運命を感じ取った。

 

 ――このままでは、自分達も同じように殺される!


「お、お許しください陛下! 言われたことは何でもします! ですから命だけは! 命だけは」


「そ、そうです! ご所望ならば、騎士団長の首を差し出します!」


 我先にと這いつくばり、口々に救いを求める反逆者達。

 薄情者は都合の良い可能性だけを過剰に評価する。


「……」


 そんな者達をしばし眺めた後、カインが返した言葉はこうだ。


「ああ、良いぞ。お前達を許そう」

 

 安堵の溜息を漏らす男達。

 鏡面で囲まれた空間内の空気が弛緩する。


「ありがとうございます……!」


「助かった……」


 まさかあっさり許されるとは思っていなかったのか、男達は腰が抜けて完全にへたりこんだ。

 これで脅威は去った。

 後は魔王を倒し、そして騎士団長の首でも捧げて機嫌を取れば良い。

 反逆者達に広がる希望と楽観主義。


 そして――。


 次の瞬間、彼らの全身からも、一斉に蛆が湧き出した。

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