立花薫
◎立花薫
岸田真治の執事(?)兼ボディーガード。
「おい、ダニー……てめえ、自分で何言ってんのか分かってんのか?」
低い声で言いながら、睨み付ける明智光一。しかし、ダニーは怯まなかった。
「もう一度言うよ。兄貴、俺はここを出ていく。兄貴とは、別々に生きていくよ。兄貴には、もう付いていけない」
岸田真治との会談の翌日、明智はいつも通りの時間に目覚めた。
そして、いつも通りに朝食を食べた。とはいっても、だいぶ遅い時間帯ではあったが。二人で食べている途中で小林がやって来たのも、いつもと変わらない日常風景だ。
しかし、その後にいつも通りでないことが起きる。思い詰めた様子で、ダニーが二人の前に立つ。
「兄貴、俺はここを出て行くよ。今まで、お世話になった。ありがとう」
怒りのあまり顔を歪めている明智に、ダニーはなおも語り続ける。
「今の兄貴には、俺は必要ない。でも、向坂には俺が必要だ」
「向坂だと? 誰だそいつは?」
低い声で凄む明智。彼は完全に、普段の冷静さを失っていた。怒り、悲しみ、悔しさ、嫉妬……様々な感情が、明智の胸の中で渦巻いていた。
「向坂は、俺の友だちだ。脳に障害を持ちながら、一生懸命に生きてる。向坂には、両親も友だちもいないんだ。だから、俺が助けてやりたい」
熱に浮かされたように、熱く語るダニー。明智は、こんなダニーを見るのは初めてだった。明智の横にいる小林も、目を白黒させている。この想定外の事態を前に、何も言えなかったのだ。
「兄貴には、大勢の仲間がいる。小林さんもいるし、桑原もいる。昨日会った岸田も、兄貴の仲間になるんだろ。兄貴には、仲間がいっぱいいる。俺はもう必要ない。でも、向坂にはだれもいないんだ。俺は、向坂のそばにいてあげたい」
語り続けるダニー。すると、小林が彼の前に立ち、その両肩を掴む。
「お前の言いたいことは分かった。ただ、もうちょっと落ち着いて考えてみてくれ――」
「もう、今までに充分考えた。俺は決めたんだ」
ダニーの口調は静かなものだった。だが、その顔からは決意が感じられる。これまで見たこともない、固い決意に満ちた表情が。
ダニーは、自分で進むべき道を決めたのだ。
ダニー、どうしても行くのか?
俺の所から、出て行きたいのか?
明智の口から出かかった言葉。だが、それを必死で呑み込んだ。明智は今、完全に混乱していた。自分でも、どうすればいいのか分からない。様々な感情が湧き上がり、その感情を処理できず戸惑うばかりだった……両親が死んだ時ですら、こんな風にはならなかったのに。
混乱する明智の前を、通り過ぎていくダニー。その姿を見ているうちに、押さえきれない何かが明智を突き動かす――
気がつくと、明智はあるものを手にしていた。
「待てよダニー」
明智の冷酷な声。ダニーが振り向くと、明智が何かに取り憑かれたかのような表情でこちらを見つめている。
その手には、拳銃が握られていた。
「忘れたのか。お前の雇い主は俺だ。どうしても他の所に行きたきゃ、俺を殺してから行け」
「ちょ、ちょっと明智さん!? 何考えてるんですか!?」
血相を変え、叫ぶ小林。ダニーの表情も歪んでいる。だが、明智は拳銃を下ろさない。
「おいダニー、聞いてんのか? その向坂の所に行きたいなら、俺を殺してから行け。それが出来ないなら、俺がお前を殺す」
「どうしても、駄目なのか?」
呟くように、ダニーは言った。
「当たり前だ。お前は俺に飼われたんだよ。勝手なことは許さねえ」
「ちょっと明智さん! いい加減にしてください!」
小林が、憤怒の形相で近づいて行く。だが、明智はためらいもせず拳銃のトリガーを引いた――
銃声が轟き、小林の足元に銃弾がめり込む。小林は顔をしかめ、足を止めた。
その瞬間、ダニーは動いた。床を前転し一気に間合いを詰める。明智は拳銃を向けようとするが、ダニーの動きの方が早い。ダニーの右ミドルキックが、明智の右手を打ち抜く――
右手首に激痛が走り、思わず拳銃を落とす明智。さらに、ダニーの左ボディーフックが放たれた。
直後、明智は腹を押さえ、その場で悶絶した。一方、ダニーは息も切らさず、冷たい表情で見下ろしている。
「悪いけど、俺は行くよ。兄貴、今まで世話になった。本当にありがとう」
「ちょっと待てよダニー! もう少し話し合おう!」
ダニーを追おうとする小林。だが、明智が彼の足を掴んだ。
「小林、もういい。行かせてやれ」
そう言うと、明智は顔をしかめながら立ち上がる。腹へのダメージより、右手首の痛みの方が強烈だ。ひょっとしたら、骨が折れているかもしれない。
「ダニーの野郎……ふざけやがって。小林、ちょっと来てくれ」
毒づきながら、明智は自分の部屋に行った。そして机の引き出しに隠していたものを取り出し、小林に手渡す。
「ダニーのために、今まで貯めておいた貯金だ。落ち着いたら、奴に渡してやってくれ」
言いながら、明智は通帳と印鑑とカードを小林に手渡そうとした。だが、小林は受け取ろうとしない。
「駄目ですよ。これは、明智さんが直接渡すべきです。俺には出来ません」
「いや、俺はもう奴と会わない方がいい」
そう言って、明智は自嘲の笑みを浮かべる。
「ダニーの野郎、結局は本気を出さなかった。手加減してやがったよ。本当に甘い奴だぜ」
言いながら、明智は立ち上がった。
「ムカつくから、ちょっと飲みに行ってくる。すまねえが、後のことはよろしくな」
「待ってください。俺も付き合いますよ」
言いながら、追って来る小林。だが、明智はそれを左手で制した。
「いいよ。お前のツラ見てたら、酒が不味くなる。悪いが、今は一人にしてくれや」
明智は、繁華街を歩いていた。
どこの道を、どのように歩いて来たか……全く分からない。ただ、人混みの中をあてもなく歩き続けていた。家には帰りたくない。何もかも、忘れてしまいたかった。
気がつくと、ひとけの無い裏路地に入っていた。
向こう側の大通りにおでん屋の屋台が見える。そちらに向かい、歩いていく明智――
だが、不意に後ろから肩を掴まれる。その瞬間、明智は反射的に動いていた。手を振り払うと同時に、素早く飛び退いていた。
「てめえ、誰だ?」
睨み付ける明智。今のは、明らかに敵意のようなものが感じられた。少なくとも、明智に町中で出会い、ポーンと肩を叩きながら挨拶するような間柄の者はいないはずだ。
「おやおや、ずいぶんと血の気の多いことで」
すました表情で、そう言い放った男。一見すると中肉中背で特徴のない顔立ちだが、どこか獣じみた雰囲気を持つ男だ。明智は、その顔に見覚えがあった。以前、地下闘技場で出会った男のはずだ。名前は確か……。
「西村陽一、だったな? 俺に何の用だ?」
「ちょっと、来てもらえませんかね。手荒な真似はしたくないんですよ。傷を付けるな、ってのが依頼主の希望でしてね。今日は、あの凄腕のボディーガードもいないようですし」
西村は余裕の表情だ。ダニーさえいなければ、お前など恐れるに足らない……とでも言いたげな顔つきで、明智を見ている。
明智の苛立ちは、さらに増した。周囲を見れば、人通りは無い。仮に誰かに見られたとしても、都会の人間はいちいち通報などしないだろう。
つまり、この西村を叩きのめしても問題ないということだ。
「てめえ、上等じゃねえか! 遊んでやるよ!」
吠えると同時に、明智は突進し鋭い左のジャブを放つ。すると、西村は顔をガードしながらバックステップで間合いを離した。意外といい動きだ。
「ほう、暇潰しにはなりそうだな」
ニヤリと笑う明智。直後、鋭いジャブからの右ストレートを放っていく。
だが右のパンチを放った瞬間、手首に激痛が走った。先ほど、ダニーのミドルキックを食らった箇所だ。痛みのあまり、僅かではあるが動きが止まる。
西村は、その隙を逃さなかった。まるで蛇のような動きで明智に組み付き、背後に回る。
必死でもがき、西村を突き離そうとする明智。だが、西村の腕力は想像以上であった。背後に回られ、両足を明智の腹に巻き付けてくる。
と同時に、西村の腕が首に巻き付いてきた。
「ゆっくりおねんねしな、明智さん。あんたは嫌いじゃなかったが、これも仕事でね」
明智の意識が途切れる寸前、西村が明智に囁いた……。
霞がかかっているような意識と、ぼんやりしている視界。明智は朦朧としながらも、何とか顔を上げる。
まず彼の目に飛び込んできたもの、それは鉄格子であった。まるで、一昔前の映画に登場しそうな感じの鉄格子である。しかも、壁に使われている材質もまた、中世ヨーロッパのごときものであった。
さらに鉄格子の向こう側には、数人の男と一人の女がいる。明智の方を見ようともせず、何やら話をしている。何者であるのか、ぼんやりした視界ではよく分からない。
だが、女と話している男の顔には見覚えがある。先ほど殴り合い、絞め落とされた西村陽一だ。
「ふざけやがって……」
立ち上がろうとする明智。だが、動くことが出来ない。今になってやっと気づいたが、明智はロープで縛られ、椅子に座らせられていたのだ。
「あら、お目覚め?」
目を開けている明智に真っ先に気づいたのは、西村と話していた女だった。顔は美しいが、どことなく表情がいびつに歪んでいる。まるで作り物のようだ。確実に、整形手術を受けている顔だ。それも一ヶ所ではない。恐らく、複数の部位を手術しているだろう。
「久しぶりね、明智光一」
笑みを浮かべ、こちらを見ている女。だが、明智には全く見覚えがない。
「お前、誰だよ」
呟くように言った明智。彼はもはや、観念するしかなかった。この状況では、確実に助からないだろう。この状況で助けが来るのは、御都合主義のハリウッド映画の世界だけだ。
「あたしのこと、覚えている?」
顔を近づけ、聞いてきた女。言うまでもなく、明智はこんな女に見覚えなどない。
「いや、あんたなんか知らないぜ。そんな整形ヅラ、一度見たら忘れるはずないんだがな」
明智は軽口を叩いた。どうせ、命は助からない。ならば、せめてじたばた命乞いをせず軽口を叩いて死んでいく……それだけが、明智に残された最後のプライドであった。
一方、女は笑った……ように見えたのだが、顔の半分はおかしな動きだった。左半分だけは、引きつったような表情になっている。
だが明智には、そんなことを気にしている余裕などなかった。女はいきなり、ナイフを振り上げたのだ。
次の瞬間、明智の左太ももにナイフが刺さる――
うめき声を上げる明智。すると女は、ゲラゲラ笑い出した。あまりにも、不気味な笑い声だ。
その時、西村が進み出て来た。女に向かい、口を開く。
「白井さん、俺はそろそろ失礼しますよ」
「えっ? もう行っちゃうの? もう少し居なよ。この明智がどうなるか、最後まで見届けて――」
「いいえ、俺はあなたの悪趣味に付き合う気はありませんので。俺の仕事はここまでです」
そう言うと、西村は明智に視線を移す。
「明智さん、あんたの強運も尽きてしまったようだな。俺はあんたみたいな人、嫌いじゃなかったんだがな……これも仕事でね。今度は地獄で会おうぜ」
「あたしの名は白井雪。覚えてない?」
西村が引き上げた後、女は明智に顔を近づけ囁いた。無論、明智の記憶にそんな名前など無い。
「知らねえよ……」
痛みをこらえ、声を絞りだす明智。すると、女はまたしてもナイフを振り上げた。
「あたしの顔を滅茶苦茶にしといて、よくそんなことが言えるね。ま、イキがっていられるのも今のうちだよ」
白井はニヤリと笑った。
「そのうち、あんたはあたしに泣いて懇願するよ……殺してください、ってね」




