20話「押して押して」
粉屋さんまでの道を歩くこと五分、ある民家の前を通りかかったときのことです。
「ちょっとあんた! 昨日はどこに行ってたのさ!」
「昨夜は酒場で友達と飲んでて、そのまま床で寝ちまったっていってるだろ!」
「嘘だね! 若い女のところに泊まったんだろ!」
食器や鍋が家の中から飛んできて、中年の男性が転がり落ちるように玄関から出てきました。よく見ると男性の顔には殴られたときにできるような痣がありました。
ほうきを手にした中年の女性が男性を追って出てきました。
「とっとと白状しな! このぼんくら亭主!」
「母ちゃん俺はほんとに何も隠してないよ、暴力は止めてくれよ!」
道の真ん中でケンカしているお二人はご夫婦のようです。
ご夫婦のケンカをご近所の方が仲裁に入り、お二人は家の中に戻っていきました。
お二人のケンカを見て、ずっと引っかかっていたことを思い出しました。
リル様は昨日どこにお泊まりになられたのでしょうか?
「あのリル様、昨夜のことなのですが……」
「昨日の晩ならボクは修道院の屋根の上で寝てたよ」
「えっ?」
宿屋に泊まったのではなかったのですね、まさか修道院の屋根の上という、身近な場所におられたとは。
「その反応だと、さっきほうきをもって旦那さんを問い詰めていた女将さんのように、アリーゼもボクが知らない女のところに泊まったと思っていたのかな?」
「そんなことは……」ありませんと言いたかったのですが、本当は疑っていました。
「ごめんなさい、少しだけ疑っていました」
「いいよ気にしてないから、むしろ嬉しいんだ、アリーゼがいもしない誰かに焼き餅を焼いてくれたことがね」
リル様がニヤニヤと笑います。
「嫉妬なんてそんなこと……」していないと言いたいところですが、一晩中モヤモヤして眠れなくて妬心に狂いそうでした、でもそんなことリル様には言えません。
「アリーゼは何でも顔に出るね、可愛い」
顔を朱色に染めた私を見て、リル様がからかうように笑います。
「リ、リル様は酷いです」
「酷い? ボクが?」
「やたら接触してきたり、そうかと思えばそっけない態度をとったり、次の日はまた何事もなかったように振る舞ったり、私……混乱してリル様にどう接していいか分からなくて」
私だけリル様の行動に一喜一憂してバカみたいです。
「リコルヌのもふもふの感触が恋しくて!昨夜はあまり眠れなかったのに……」
「ごめんね、アリーゼの目の下のくまはボクのせいだったんだね」
チュッと音を立てて、リル様が私のまぶたに口づけを落としました。
「リル様! こっ、ここは大通りですよ! 人の目が……!
「そんなに怒らないで、目の下のくまを治してあげたんだよ、見てごらん」
リル様はアイテムボックスから手鏡を取り出して、私に手渡しました。
手鏡をのぞくと目の下のくまは綺麗に消えていました。
「ありがとうございます」
「アリーゼにちょっとだけボクのことを意識してほしかったんだ、アリーゼは押してもなびいてくれないから、引いてみた」
「では昨日の午後から、リル様の態度がそっけなかったのは?」
「恋愛の駆け引き」
「駆け引き……ですか」
「アリーゼにもっと心にかけてほしかった、でもアリーゼが眠れないほどの不安に襲われるとは思わなかった、ごめんねもうしないよ」
私はまんまとリル様の策略にはまってしまったようです。
「これからは駆け引きは止めて、押して押して押しまくることにしたから覚悟して」
リル様がニッコリと笑い目配せしました。
「お、お手柔らかにお願いします」
リル様は今までもぐいぐい来ていた気がします、その度に私は心臓がバクバクして、顔に熱が集まってどうしたらいいか分からなくなっていたのに……。
これ以上押されたら、私はどう対応したら良いのでしょう?




