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狂人理論  作者: 金椎響
第二章 不都合な事実
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誇り高き男

 アルテア市中心街(セントラル)、天に向かって屹立する高層建築物が連なる第一級の商業区画。

 そこを颯爽と歩く、ひとりの男性の姿があった。

 高級品で身を固めた、大柄な男。ただ単に背が高いだけではない。長身ゆえ一目ではわからないが腕や足が太い。皮の下にあるはずの筋組織が、ぼんやり眺めているだけでもわかる。

 手入れの行き届いた銀色の口髭と顎髭。微かに混じった皺。だが、それがまったく気にならないくらい周囲に発散されている、年齢を感じさせない若々しい雰囲気。それでいて、年相応の落ち着きや冷静さはまったく曇らない。

 鍛えに鍛え上げられた厚い胸板が白いワイシャツに黒いベスト、そして背広をこれでもかと押し上げて、武骨さと屈強さを抱かせる。年を重ねた今でもなお、端整に整った顔は異性を惹きつける不思議な魅力に溢れていた。

 彼の名は、ハーキュリーズ・ヘンリー・ヒギンズ。

 諜報軍(インテリジェンス)の前身である旧情報軍(インフォメーションズ)時代から、合衆国(ステイツ)星条旗スターズ・アンド・ストライプスに忠誠を誓い続けてきた。そして、引退した現在もなお古巣の依頼に応じて秘匿作戦(ブラック・オプス)に参加し続けてきた男だ。

 アルテア市中心街(セントラル)の、石英の尖塔が秩序だって立ち並んだ姿は、さながら闇夜に浮かび上がるようにして輝く剣山のような様相を呈していた。

 そのなかに、犯罪推測予防システム“プリクライム”を署内に置いたアルテア市警察《APD》第七分署の姿がある。

 無数の高層ビルが立ち並ぶアルテアだが、一六七階建て以上で高さが一〇〇〇メートルを超える「ハイパービルディング」は、この第七分署とアーバイン・ロボティクス・インフォメーション・システム――IRIS社アルテア本社ビルと、それに諜報軍(インテリジェンス)のアルテア戦術作戦センター《TOCA》インフォタワーの三カ所しか存在しない。

 ハーキュリーズは手を後ろにやり、ロングコートを弄る。

 そこから取り出したのは、旧型のスマート・ガンだ。

 自国民の盗聴、監視、逮捕なしの拘禁、実験尋問、暗殺などの非合法活動(ブラック・オプ)を遂行してきたこともあり、敵味方識別装置(IFF)による安全装置(セーフティ)はすでに外されていた。

 ハーキュリーズは銀縁の眼鏡にも見えるスマート・グラスで状況を改めて確認する。

 アルテア市警察《APD》が配備した拠点警備用ドロイドが軒並み打ち倒され、無残にも転がっていた。

 銃火器で壊されたものもあれば、関節部が損壊したものもある。クラリッサの一味であることは疑いようもないが、問題なのは数に勝る市警側のドロイドを制する、圧倒的な力だ。

 ハーキュリーズは失笑を禁じ得ない。

 今まで国に忠を尽くしてきたはずの自分が今、こうして死地へ赴くなど悪い冗談のように思える。


「久しぶりだな、ハーキュリーズ」


 どこかに設置されたスピーカーから若い女性の声が発せられる。

 その声の主を、ハーキュリーズはすでに知っている。聞き間違えるはずなどなかった。

 クラリッサ・カロッサの声だ。


「また会うことができて、おれは嬉しいよ。もう、五年も前になるのか」


 驚くべきことに、クラリッサはハーキュリーズとの再会を素直に――そしてどこか無邪気に喜んでいるように聞こえた。

 少なくとも、彼女の声音から深い憎悪や嫌悪を見出すことができない。

 それも、クラリッサにとってハーキュリーズは自らの命を奪った憎き仇であるはずなのに、である。


「……感慨深いか?」


 だが、ハーキュリーズはさして動ずることもなく、端的に訊く。


「そう……だな。やはり、これも運命なんだろう。そういう意味では、実に興味深いし、因果……いや因縁を感じる」


 クラリッサの笑い声と息遣いが聞こえてくる。

 その笑みさえも、嘲笑ではなく微笑だった。ハーキュリーズを油断させようと演技している風には聞こえない。その態度にハーキュリーズは若干の疑念を抱く。

 だが、あえて訊こうとはしない。これからハーキュリーズがクラリッサに対して行うことを思えば、なおさらだ。


「なあ、ハーキュリーズ。また、おれを殺してくれるか?」


 彼女は真剣な口調で訊く。

 そこに感情的な揺らぎはなく、ただ落ち着きだけがあった。


「もちろんだ。そのために、おれはここに来た」


 ハーキュリーズもまた、躊躇うことなく即答した。


「それはありがたいな。では、その前におれが成すべきことを成そう」

「……成すべきこと、だと?」


 ハーキュリーズの問いに、クラリッサは意味深長な溜息で答えた。


「だから、ハーキュリーズ。おまえがおれを殺してくれ。どうか、おれを終わりに導いてくれ。ただ生きているだけの無意味な生から、おれを解き放ってくれよ」


 話す内容の(おぞ)ましさに反して、クラリッサの声には微かな温かみすら感じていた。



「くそっ、サーティンの野郎……」


 ジョリオンが毒づきながら、携帯端末(モブ)を握り締める。

 そこに表示されているのは、四肢を拘束されてとらわれている下着姿の教授(プロフェッサー)の姿。平生(へいぜい)の冷静さからは想像もつかないジョリオンの感情の発露に、傍に控えていたツクシの表情が曇る。


<ジョリー、そしてツクシ。おふたりは先に向かってください。わたしは後から合流します>

「どういうことだ?」

<サーティン用に考案した兵装を装備するのに、少々時間がかかります>


 ハルートはそう言うと、3Dプリンターで出力したパーツを指差す。

 いくつかの部品はバリが取られて、丁寧な研磨が施されており、あとは身に着けるだけだ。しかし、大部分のパーツは3Dプリンターで出力されただけだ。到底、完成形とは程遠い状態にある、と形容してもいいだろう。


「……おい、間に合うのか?」

<全ての兵装を組み上げ、身に着ける時間はないでしょう。ですが、大丈夫ですよ>


 ハルートは会話しながらも、作業する手を休めてはいない。その所作は機械ならではの、目にも止まらぬ速さだ。

 ハルートの口振りの通り、彼には目指すべき姿がすでに見えていて、それに向かって驀進(ばくしん)しているようにジョリオンには見えた。


<必ず、間に合わせます>


 ハルートの声は、若い男性を模した電子音声でしかないというのに、この時のジョリオンにとっては心強く聞こえた。こんな状況だというのに、ジョリオンはふっと噴き出すと、強張った表情を緩める。

 こうしている間にも忙しなく動き回るハルートの背中を見つめながら、独り言のように呟く。


「遅刻厳禁だぞ」


 返事は期待していなかった。それなのに、ハルートは振り返るとジョリオンの目を見つめながら言う。


<その分の埋め合わせは、必ず>


 ジョリオンは壁にかけておいたタクティカル・スキンを手に取った。

 着衣を脱ぎ、代わりにそれを着込むと、胸や肩、それに下半身の大部分を守るボディアーマーを装着していく。胸に様々な便利道具をしまうための、コンバット・チェスト・ハーネスや、腰のポーチにスマートガン用の予備バッテリーを入れておく。

 目を保護するだけでなく、情報を投影することが可能な破片用保護眼鏡バリスティック・グラスを点検していると、背後から声がかけられる。


「あの、ジョンストンさん……」


 ジョリオンが顔を上げると、タクティカル・スキン姿のツクシがおずおずとやって来る。


「本来ならば、人質救出という高度なミッションに、素人のきみを連れて行くことはできない」


 その言葉に、ツクシの身体が反応して心なしか猫背になるのを見て、ジョリオンは慌てて言葉を紡ぐ。


「だが、主戦力のハルートが後から駆けつける以上、おれはきみを頼らざるをえない」


 ジョリオンの言葉に励まされ、曇っていたツクシの表情が次第に晴れていく。


「頼むぞ、ツクシ」

「は、はい!」


 ジョリオンは携帯端末(モブ)でインフォタワーにある諜報軍(インテリジェンス)戦術作戦センター《TOCA》を呼び出そうとした。だが、帰ってきた反応は「通信エラー」という素っ気ない文言(もんごん)だった。

 不審に思ったジョリオンは、再度呼び出しコマンドを入力するも、戦術作戦センターに繋がらない。

 これでは埒が明かない。

 ジョリオンは左手に装備した戦闘時に使用する専用端末を操作する。諜報軍(インテリジェンス)の特殊作戦専用のドロイドや無人機(UAV)に対して、通常のルーティンに割り込んで発進を下すコマンドを入力した。

 これで、アルテア内の空軍基地で待機状態のステータスにあったドロイドを、ジョリオンの権限で作戦に使うことができる。

 だが、ここでの最適な選択は、対ドロイド戦に特化した特殊作戦コマンドの投入だ。いくら特殊戦に特化しているとはいえ、ドロイドの使用はジョリオンの本意ではない。


「今、諜報軍(インテリジェンス)の武装ドロイドに援軍を申請したが、対ドロイド戦に特化したサーティン相手じゃ、苦戦を強いられるのは必至だ。頼りのハルートは緒戦には間に合わない。おれが張り切るつもりだが……」


 ジョリオンはそこまで言うと、不意に言葉を切る。

 そして、先程までの朗らかな笑みを消し、真剣な表情をして押し黙っているツクシの目を見つめる。


「万が一というときにはツクシ、きみが教授(プロフェッサー)を救い出してくれ」

「もちろんです」



 青白い閃光が、闇を切り裂いた。

 陸軍(アーミー)仕様のオリーブドラブに塗装された戦闘用ドロイドWBDN六、ウォーカー・バトル・ドロイド・ネクストシックスが次々と高エネルギーレーザー《HEL》に撃ち抜かれ、床に倒されていく。

 ハーキュリーズは眼鏡型のスマート・グラスで敵の位置情報を把握すると、間髪入れずに引き金(トリガー)を引いていく。人間の反応速度を大きく上回る速さで動くドロイド相手に、ハーキュリーズもまた人間離れした判断と反射で動いていた。

 現代の戦闘は、民間軍事請負会社(PMSCs)による民営化と遠隔操作型ロボットによる無人化が高度に進んでいた。だが、軍人の戦場が狭まったりなくなったりはしない。むしろ、軍人たちは、高度に発達し変化する戦場に対応しなければならなかった。

 市場経済が働かない――つまりリスクとコストがあまりにも高すぎて、経済性の低い戦場や、無人機(UAV)や遠隔操縦ロボットという従来ならば考えられない存在が跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)する戦場(いくさば)

 そのなかで、軍人たちは自らの存在意義を問いただし、変容することで生き残りを図ってきた。

 たとえば、ドロイドは僚機(りょうき)を誤射する友軍誤射フレンドリー・ファイアを避けるために、攻撃をキャンセルすることがある。そのプログラムを逆手にとって、わざと背後をガラ空きにしてドロイドを誘い込むことによって、対峙したドロイド側の攻撃を躊躇させることもできる。

 また、ドロイドの数が減ることで、作戦プランを再考する際に生じるほんの僅かなタイムラグも、絶好の機会だ。全てのドロイドが効果的に連携するために費やす一瞬が、ハーキュリーズにとっては起死回生の切り札になりうる。

 ネクストシックスの鉄拳が、ハーキュリーズの背をとらえようとしたまさにその時。彼は瞬時にその場にしゃがみ込み、目の前のドロイドの脚を撃ち抜く。

 姿勢を崩したドロイドの顔に、攻撃目標の背中を見失ったドロイドの拳がめり込む。

 すぐに体勢を整えようにも、手にめり込んだ仲間の顔を引き抜くことができない。そんな相手に、ハーキュリーズはスマート・ガンの銃口を向け、目にも止まらぬ速さで引き金(トリガー)を引き、蜂の巣にしていく。

 洗練され、無駄のない動きに翻弄されて、打ち倒されていく敵性ドロイドたち。ハーキュリーズは見る影もないドロイドの残骸を見下ろしながら、ひとり愚痴る。


「しかし、これではキリがないな」


 三日前にIRIS社から奪取されたネクストシックスがここには二二機配備されていた。奪取された数は三五機のはずなので、その全てをアルテア市警察《APD》第七分署に投入していることになる。

 気になるのは、クラリッサの懐刀であるトゥエルヴやサーティンといったウォーカーシリーズのロストナンバーたちの姿が見えない。


<ハーク、第七分署建設時に使われていた資材搬入用のエレベーターを動かせるようにしたわ>


 スマート・グラスの耳当て部が振動し、それが骨伝導でノリーンの声を生み出した。


「……まったく、困った子だな」

<ごめんなさい>

「謝らなくていい。困ったちゃんなのは、お互い様だからな」

<そうね>


 こんな状況だというのに、ハーキュリーズとノリーンは互いに苦笑し合う。


<今、そちらに向かっているところ。わたしたちが到着するまで、待っててほしいところだけど、あなたはそういうの……嫌でしょう?>

「ほう、よくわかってるじゃないか」

<上階にいるドロイドは、欺瞞情報で移動させるけれど……。ねえ、ハーク。あなたの目的地は?>


 ノリーンの問いに、ハーキュリーズは不敵な笑みを浮かべながら答えた。


「そんなものは決まってるだろう。早期犯罪予知システム“プリクライム”のコントロール・ルーム。そここそが、まさにクラリッサの狙いだ」

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