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No.10 夜を泳ぐ

 窓を開けベランダに出て、雨が降っていることにはじめて気づく。

 それほど静かで穏やかな霧雨だった。


 腕にふれるそよ風は湿り気を帯び、ふんわりと甘露のにおいが鼻をかすめる。真下に見える夜の公園は、しらじらと光る街灯であらわにされ、身の置き所がないようにくたびれてみえた。


 ふいに押しあげる苛立ちを持てあまして、私はあせるようにライターを擦る。しゅ、と軽い音を立てて一時だけ、雨に閉ざされた世界に明かりが灯った。とてもかすかで、ふるえるほど小さな黄色の明かり。それは儚い希望のようであったし、だれかの祈りでもあり、やはりただの炎でしかないような気もした。


 煙草をおぼえたのはいつからだったろうか。

 闇のただなかで、白煙がゆるやかに消えてゆく。霧雨が身体を湿らせていくのは、予想以上に心地よかった。どこか遠くで響いた車のクラクションや、渦を巻く風のうなりは現実をつれさっていく。こうしてただ煙を吐いていると、まるで海の底であぶくを放つ魚のような気分になった。


 目を閉じる。すると波の音があふれだす。魚のあたしは、青みがかった世界を見回す。海底にたまる砂を蹴散らし、さまよい、いちばん穏やかでまっすぐな海流を見つけだす。ためらいもなく流れにのって、ただ進む。

 周遊する小魚たちを器用に避けて、ただただまっすぐ。


 目を開く。いつもと変わらない公園、ビル。変わらない狭苦しい道路、桜並木、統一感のない民家。おなじみの街並みが、夜の底で深く腰を落ち着けている。


 体内全ての空気を押しだすように、あたしはひときわ大きな煙を吐いた。

 煙草を揉み消して、空をみあげる。黒々と濃密な暗闇に、ぽつぽつと穴が空いたように、星。

 不意に泣きたくなったけれど、面倒だから明日にしようと思った。

 欠伸をひとつすると、ようやく睡魔がやって来る。大きく伸びをして、夜に背を向けた。


 数時間後にやってくる、輝く朝日を期待しながら。


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