・少年ユリウスとマリウス
その晩、幼い頃の夢を見た。
それは工房の長マリウスと、同じ孤児院で暮らしていた頃の夢だ。
あの頃はまだ9歳くらいだっただろうか。
俺たちは少しでも稼いで、孤児院の生活をマシにするために、その日も靴磨きや煙突掃除の仕事を請け負っていた。
「ようガキども。ほら財布出せ、ポケットの中も見せな」
中には俺たちを哀れんで、多めに金を払ってくれる金持ちもいた。
だが、その善意は全額俺たちに渡らない。
子供が必死で稼いだわずかな儲けも、町のギャングに半分以上をむしり取られてしまうのが日常だった。
「へへへ、今日はだいぶ稼いだみたいだなぁ。明日もせいぜいがんばれよ」
金を巻き上げられようとも、俺たちはギャングに従うしかなかった。
王都のどこもかしこもギャングの縄張りで、そこで商売をするには上納金が必要だった。
「悔しいな……。もっともっと、院のみんなのために稼げたらいいのにな……」
「俺はあんなふうにはならねぇ。マリウス、俺たちだけでも助け合っていこうぜ……」
「うん、もちろんだよ。君とボクは親友だからな、ユリウス! お前がピンチになったら、俺が助けるからな!」
「だったらお前のピンチは俺が助ける。俺たちは絶対にギャングに入らない、約束だぞ!」
将来、片方が窮地に陥ったらそれを助ける。ギャングには入らない。
そう約束したことを今さらになって俺は思い出した。
なのに俺は、ツワイクに戻ったあのとき、金だけ渡してアイツの前から去った。
マリウスにとってその行いは、裏切りに映っただろうか。
・
それからまた別のある日、俺たちがいつものように大通りぞいの裏路地で商売をしていると、そこに酒臭いローブ男が現れた。
「よう、そこの小僧!」
「あ、はい、煙突掃除ですか、靴磨きですか? 人への伝言や配達の類もやっています、どうぞなんなりと――」
「いや、俺ぁ客じゃねぇよ」
「なんだ、媚び売って損した……」
「おじさん、ボクたちに何か御用ですか?」
「藪から棒にすまんがな、テメェなかなか目立つというか、とんでもねぇ潜在魔力をしてるじゃねぇか。こりゃ、掘り出し物かもわからんな……」
そのおじさん入りかけのお兄さんは、マリウスではなく俺を見て言っていた。
「そういうアンタ誰?」
「気を付けろよ、ユリウス。コイツ、男色家の変態オヤジかもしれないぞっ!」
「男しょ――おまっ、いくらなんでもそりゃ失礼だろがっっ!?」
マリウスがそう誤解したのは、その男が俺に才能を見いだしていたからだ。
路地裏でギャングに金を巻き上げられる商売をするしかない、哀れで学のないガキに、男は熱心な目を向けていた。
「いいかよく聞きやがれ、俺様は宮廷魔術師のアルヴィンス様だ。……なあ小僧、テメェ、クソみてぇな人生を変えてみたくはねぇか? テメェにはバカみてぇに高けぇ潜在魔力がある。俺と一緒に来たら、今の人生観が嘘みてぇなエリート街道を歩ませてやるぜ?」
言葉を疑う俺たちに、アルヴィンスは小指から親指まで、順番に魔法の炎を移して見せて黙らせた。
本物の宮廷魔術師だ。俺は本物の宮廷魔術師にスカウトされた。
「本当か……? 俺も、お前みたいに魔法が使えるようになるのか……?」
「おいっ、ユリウス! こいつうさん臭いぞ、信じるな!」
うさん臭いのはアルヴィンスの地だ。
俺はその日、クソみたいな人生から救い出してくれた恩人、アルヴィンス師匠と出会った。
そしてそれは孤児院との別れでもあった。
俺は師匠が見せてくれた希望に溺れて、親友のマリウスの隣から去った。
・
「そういえばアイツ、工房を取られてしまったとか、やたら荒れてたな……」
目覚めると朝日が部屋に差し込んでいた。
俺は1人用のベッドから身を起こして、己が今はシャンバラの地で暮らしていることを再認識した。
既に眠気はない。ベッドから立ち上がり、白ではなく昔の黒ローブに袖を通すと居間の暖炉に火を放つ。
そうだ、もう1度遠征しよう。技術者として成長したマリウスの元に向かい、親友をこのシャンバラに招こう。
エルフの技術者を疑うわけではないが、信頼がおけて、優秀で、おあつらえ向きにちょうど今フリーになれるやつといえば、アイツしかいない。
ということで、一足先に工房に入り、ポーションを完成させてから、ツワイクに行ってもいいかとメープルとシェラハに相談した。
・
「いつ?」
「今日」
そう答えると、メープルは無言で俺の胸に飛び込んできた。
シェラハにはそんな気配はなかったが、つられて二人の距離を詰めて、それから寂しそうに手を握ってきた。
「行かないで、とは言わない……。だけど、ぶっちゃけ、超寂しい……」
「そうね……でも、だからって止められないわ……。ユリウス、出来るだけ早く戻ってきてね……。あたしも、あなたがいないと寂しいから……」
「すまん、目的が片付き次第すぐに戻る」
それから朝食を共にして、二人が食べ終わるのを待つと都市長のところに転移した。
するとまたもや書斎にアルヴィンス師匠が同席していた。
話によると師匠はシャンバラの歓楽街が気に入ってしまって、そこにある酒場宿を借りたらしい。
「ちょっとツワイクに行ってくる」
「おめーバカだろっ!」
師匠に一蹴された。そうだろうな、俺の失踪間もなくして闇ポーションが現れたとなれば、向こうは俺が裏切ったと推測しているだろう。
「友達をここに引き込みたい。同じ孤児院の生まれで、国に工房を奪われた男がいる。あれを引き込めば、ツワイクの技術の一部が手に入る」
「ふむ……ではこうしましょう。名前と居所を我々に教えて下さい。次のキャラバン隊に使いを頼みましょう」
「いや、ソイツはかなり面倒な性格なので、俺が直接説得した方がいい」
「んん……てめーの知り合いに、そんな野郎いだっけか?」
「いますよ」
「工房……めんどくさい性格……ん……。ああ、もしかしてあのガキか? ユリウスを連れて行かないでって、俺んところに乗り込んできてよ。あの時はピーピー泣かれて手を焼いたわ」
「ああ……、そういえば師匠もマリウスと面識がありましたね」
「アレを引き抜くか……。だがアイツは……お前、嘘だろ……」
「なんです、らしくもなく口ごもったりして」
「おめー……ずっと同じ孤児院で暮らしていて、気づかなかったのか……? いや、あり得ねーだろ………」
「だから、なんなんですか?」
「一つ聞くが、アイツと一緒に風呂入ったことあるか?」
「孤児院に風呂なんてあるわけないじゃないですか」
「あーー……そうか。まあ、じゃあ、そうだな……マリウスにはやさしくしてやれ。嫁にするように、やさしく付き合え。わかったな?」
「無理ですよ。師匠が俺を拾い上げた日から、アイツと俺はずっとギスギスしてますから」
「俺のせいかよ……」
話がまとまった。
これから5日分の仕事を前倒しで済ませるので、そういう形で手配してくれと都市長に依頼した。
「まるで嵐のような決断力ですな。お任せを」
「わがまま言ってすまん」
「なぁ……バカ弟子よ」
「師匠、さっきからなんですか……?」
「あのガキはよ、マリウスはよ、ユリウスを連れて行かないでくれって、俺に言ったんだよ。アイツはよ、てめーとずっと一緒にいたかったんだ。だから、弱ってる今だけでもやさしくしてやれ……」
「そんなのわかってますよ」
「はぁ……。お前もお前で厄介な性格してるぜ」
そんな余計なお節介に俺は反感混じりにうなづいて、約束通りに5日分の仕事を一気に片付けた。
・
「じゃあまたな。俺も寂しいが……なんか喉に引っかかった魚の骨みたいな感じでな、どうしてもアイツを――んぬぁっ?!」
出発前、銀と金の姉妹に両頬へと口付けされた。
「ペロペロ……」
「ギャッ?! こ、こらっ、なっ、何しやがるっ!?」
さらにメープルは人の耳にかぶりついてきた。
「舐めてみた……」
「えっと……あ、あたしも舐めた方がいいのかしら……?」
「シェラハまで何言ってんだよっ!?」
「ハァハァ……そういう反応、いい……。お別れの前に、つねっていい……?」
「お断りだ! それじゃまたな、必ず戻るから待っててくれよ!」
「それフラグ――あっ」
逃げるように俺は世界の裏側へと転移して、遙かなるツワイクに向けて歩き出した。
繰り返すがアイツはかなり面倒な性格なので、交渉にしばらくかかるかもしれない。
だがこの素材を見せれば、少しはその気にさせることが出来るはずだ。
待っていろよ、マリウス。工房を奪われたというなら、俺がお前に新しい工房をくれてやる。
シャンバラの発展にはお前の技が必要だ。




