開会式
その日は突き抜けるような快晴だった。
向こうで盛大に音楽が奏でられ始める。開会式のために王宮から聖歌隊も来ている。学生だけの大会であるが、国内でも五指には入るほどの人気を持つこの学騎体は、本選ともなると流石に力の入れ方も違う。フィーナも、にわかに緊張してきた。
「――行くぞ」
先頭に立つレインが気負うでもなく、いつも通りの声音で言う。これまで学騎体の出場を頑なに固辞していた彼も、本選に出場するのは今回が初めてのはずなのだが流石の落ち着きようだ。勿論、同じく初出場である自分の主君、カレンも初出場ながら口元には微笑さえ浮かべているのだが。
一列に並んだフィーナ達セルベス学園の生徒達は、団長であるレインが歩き出したのに合わせて、会場内に入場する。途端に開ける視界。そこは天井のない頭上以外、全方位隙間なく観衆で埋め尽くされた巨大な闘技場だった。
ここは王都で屈指の大きさを誇る建物、ラグーンドームである。今フィーナ達の立つ広大な中央ステージを囲いこむように、周囲には十メートル程度の壁がそそり立ち、壁の上に多くの客席があるのがこの建物の特徴で、遥か昔に存在したとされるコロシアムという建物を基に作られた建造物である。中央ステージは縦横四十メートル、上の観客席は最大二万人まで収容可能であるが、今ざっと見渡しても、これといって空席は見当たらない。つまりは、およそ二万人の人々が今自分たちを見ているということだ。フィーナは、カレンの騎士として少しでも立派に見えるよう、そっと背筋を伸ばした。
セルベス学園一行が所定の位置まで来ると、次々と他の学校の代表選手たちも入場してくる。とはいっても、今回出場するのは魔法学校だけであるため、学校数も六校と、それほど多くない。ふと視線を感じて右を見ると、見知った顔の生徒と目が合う。どうやらウィンデルのアカデメンは自分たちの隣のようだ。交流会で知り合ったその少女は、フィーナにだけ分かるようにウインクした。
『――出場する六校が全て出そろいました。これから開会式を始めます』
司会の声が響くと、会場内の喧噪がぴたりとやむ。振動魔法で声を反響させているため、これだけ広い会場内でも十分に聞こえる声量だ。
『まず、現国王陛下、アレクシス・リーチェ・オルテシア様より御言葉を頂きます』
全員が顔を上げ、観客も起立する。
ラグーンドームの一番高い場所、王族専用席から立ち上がったのは、現国王にしてカレンの祖父であるアレクシスだ。
今年で齢七十を超える長寿で、本来なら既に隠居する年齢だが、後を継ぐはずだったカレンの父親が亡くなってしまったために未だ現役を続けている。しかし最近は体調が優れないという話もあり、尚更カレンの国王早期就任が叫ばれている。
『――生徒諸君、君たちは将来のオルテシア王国を背負うに足る、有望な魔法師である』
国王陛下は、衰えを感じさせない覇気のある声でそう言った。
『先日、誰もが知る大事件があった。私の孫にして、オルテシア王国の第一皇女であるカレン・オルテシアが賊の手によって暗殺されかけたのだ』
そして、あの事件のことを、国王陛下は重々しい口にした。
前に立つカレンの顔は見えないが、おそらく彼女なら平然としているだろう。
『この事件を私が知った時、驚愕すると同時に憤慨した。オルテシア王国の、我らの国を将来担うカレンを、卑怯にも暗殺しようと企てた賊に対してだ! 王家を殺すことはひいては国の存亡を危ぶませるもの! ましてやそれが次期国王にすると私が定めた孫娘に対してならば、これはクーデター! 立派な反乱である!』
この男を見て、誰が体調不良で引退間近と思うだろうか。
国王陛下は、力強く握った拳を高々と天に向けた。
『この賊の一味であると判明した者を、決勝戦がある明日、公開処刑とする! そして、同時に生徒諸君にはこの戦いを通して我々に伝えてほしい! 君たちの強さと、国の将来の繁栄を!』
おおおおおおおおおおおっっ!!
割れんばかりの歓声が轟き、観客すべてが拳を突き上げる。
その後、盛大な拍手に包まれた会場で、国王陛下はしばらく手を振った後、唯一部屋になっている観客席の椅子に座った。
フィーナは周りと同じように拍手しながら、今の挨拶が演説であり、他国に対するアピールであることを見抜いていた。
おそらく、カレンが暗殺されかけたことに対して、他国に「何も問題はない」とこれを機会にアピールするのが目的なのだろう。流石に、公開処刑の件などは露骨すぎる気もするが。
『ありがとうございました。それでは次に、魔導師長挨拶。ローウェン・マナ・アンブラウス様、お願いします――』
そのあと、アンブラウス、そして王国騎士団長のエリアスが登壇し、二言三言話す。その間、フィーナの思考は全く別の方へ向いていた。
――公開処刑が明日の午後から始まる決勝戦の前。ということは、カナキ先生が現れるなら、その前しかない。
王都に来てからの三日間、フィーナはいつカナキが現れておかしくないように、いつでも準備を整え、彼女自身もカナキが立ち寄りそうなところ――特に穴場のような喫茶店を訪れ、しらみ潰しに捜してみたが、彼を見つけることは終ぞ敵わなかった。
もしフィーナの推測が正しければ今日、明日のうちにカナキは仕掛けてくるだろう。だが、エトがいるのは一般の収容所ではなく王宮内にある牢獄、図書館に潜入したのがカナキだとしても侵入は容易ではないはずだ。アンブラウスとエリアスがこちらに来ている間は、王宮近衛隊長のバデスや、各街の駐屯兵団の団長も王宮に召集されているらしいから、カナキはおろか、他のどんな手配者でも、王宮には早々近づけないだろう。
『――それでは、これで開会式を終了します。選手退場!』
司会の声でフィーナは我に返る。慌てて反転すると、そのまま列になって退場する。
ひとまず、大会の間は自分の試合に集中することだ。ここで傷を負えばいざというときに支障を来すかもしれない。フィーナは、当初の目標とは全く違った理由で、改めてこの本選を勝ち抜くことを意識した。
セルベス魔法学校の選手席に行くと、意外な来客が待っていた。
「ふむ、みなの者、ご機嫌麗しゅう」
「――師匠。それにシズクとシリュウも」
カレンが呼ぶと、アンブラウスは目尻に深い皺を作り、笑みを浮かべた。シドウ兄妹も級友たちとの再会に笑顔を浮かべる。
だが、カレン以外の人達には、それは二の次だったようだ。
「はぁ!? 師匠!?」
「もしかして、カレンさんの魔法の師匠って……」
叫んだルイスと絶句するパニバルに、カレンはこともなげに言う。
「あら、言ってなかったかしら。アンブラウス様は私の師匠なのよ」
「……通りで、あんな化け物じみた強さなわけだ」
オルガがぼそっと言った言葉は、カレンには届かなかったようだ。まあ、私には聞こえたので、いつか必ず折檻しましょう。フィーナは心に誓った。
「おっ、てかシリュウとシズクもいるじゃん。いるならちゃんと声かけてくれよ」
「いや、お前らがアンブラウス様の方しか見てないから空気読んで黙ってたんだろ……」
シリュウは引き攣った笑みを浮かべる。たまにはこの男も空気を読むことが出来るらしい。
その間に、パニバルとシズクが再開を喜びあう
「あはは、ごめんね。シズクさんも、久しぶり。夏休みに入る前に学校で会った以来だね」
「うん、久しぶりパニバル」
「もしかして今日は兄妹で応援に来てくれたの?」
「うーん……そのはずだったんだけど……」
シズクは、意味深な視線をアンブラウスに送った。
「すまんな。この二人はちと用事が出来てしまってな」
「おいおい、そうなのかよ」
ルイスが非難めいた視線を送ると、シリュウが面倒くさそうに頭の後ろを掻いた。
「文句ならエリアスに言ってくれ。俺たちだって、本当はお前らを応援したかったんだから」
「……エリアス?」
ぽろっと出たシリュウの言葉を、フィーナは思わず訊き返した。
「ああ、知ってるだろ? さっきえっらそうに話してた王国騎士団長様。俺たち、あの人の養子って扱いなんだよね」
「ぶっ!」
我関せずと水を飲んでいたオルガが噴き出した。ルイスも、驚きすぎて変な笑い顔になってる。
「に、兄さん。その話は出来るだけしないようにって」
「ん? ああー、そうだったな。ごめん、今の無しで」
『無理だわ(です)!』
全員の声がかぶった。それを見て、アンブラウスがくつくつと笑う。
「……まあ、私だって人の事言えないからその話は置いておくとして、師匠の方です。流石に試合前にここに来るのはまずいんじゃ」
「うむ、正直やばいから用件だけ話していくぞ」
アンブラウスの「やばい」のイントネーションは、少しだけ訛っていた。
「これからわしとエリアスは陛下をお送りして王宮に戻る。ここにはじき、バデスが来るじゃろう。何も心配はいらん。だからお前たちは、大会に集中しなさい」
「……ありがとうございます」
アンブラウスの気遣いが分かったのだろう。カレンは素直に頭を下げた。フィーナも同じく頭を下げるが、事情を知らない他の人は頭に疑問符を浮かべていた。
「――魔導師長。まだこんなところにいたんですか」
階段の奥から突然声が聞こえ、全員の視線がそちらに集中する。
やがて暗がりから出てきたのは、目を見張るような大男だった。彼の正体を知るカレンとフィーナは息を呑む。
「おお、噂をすれば、バデス君じゃないか」
アンブラウスが旧友に接するような態度で手を挙げたが、バデスはその猛禽類のような鋭い瞳を向けただけで、挨拶には応じない。彼の鷲鼻も相まって、本当に猛禽類みたいだ。
「あなたは国王陛下を王宮まで届けられる務めがあったはずです。陛下は、既に帰り支度を整えていらっしゃいましたよ」
「おお、それは急がねばならんな。おぬしらも準備せえ」
「いや、俺たちはあとはアンブラウス様待ちだったんすけどね……っと」
いつも通りシリュウがアンブラウスに軽口で応対すると、背筋に猛烈な寒気。
見ると、バデスが鋭い敵意をシリュウへと向けていた。
「……確か、エリアスの養子でしたね。アンブラウス殿はこの国を代表する魔導師です。そのような無礼な言動は慎みなさい」
「……はいはい。以後気を付けますよっと」
あの男、心臓に毛でも生えてるんじゃないだろうか。
全く懲りた様子のないシリュウに、バデスのプレッシャーが更に高まった時、慌ててシズクが前に出た。
「も、申し訳ありません、バデス近衛隊長! 私の愚兄には、あとでこちらからきっちり言いつけますので!」
それで完全に溜飲を下げたわけでもないだろうが、ここで無駄な時間を使うのは得策ではないと考えたのか、
「……早く行きなさい」
とバデスは一言だけ言った。
「お、おいシズク」
「兄さんはもう黙っていてください! アンブラウス様、それでは行きましょう」
「うむ。それでは、皆の者、頑張るのじゃぞ」
「みんな、直接応援できなくて本当にごめんね! どうにか三回戦が始まる前には時間を空けて応援に来るから、それまでみんな勝ち続けて!」
「無茶言ってくれるなぁ、おい」
ルイスが肩を竦めると、シズクが柔らかい微笑を浮かべた。
「みんななら出来ないことないでしょ? それじゃあ!」
「おうカレン、お前は俺にも勝ったんだから誰にも負けんなよー!」
シズクに引きずられながら、最後にそう捨て台詞を残しシリュウ達は去っていった。
それを見届けてから、バデスは一つ溜息を吐くと、カレンに向き直る。
「それでは、私も警備の任に当たります。皇女殿下、勝ち抜くことも大事ですが、くれぐれもお怪我だけはされないよう……」
「そんなに甘くはいかないと思うけど、善処するわ。あと、今の私は一介の生徒なのだから、そのように接しなさい」
「それは些か肯定しかねますが……善処します」
恭しく頭を垂れると、その場を去っていくバデス。最後にフィーナの方をチラリと見た。
――殿下にもしものことがあれば、貴様を殺してやる。
そんな殺意めいたプレッシャーを視線で送り、立ち去った。その瞬間、重圧に解放された皆が同時に息を吐く。
「はぁ、とんでもないおっさんだったな。誰だよあの人?」
「うーん、私、どこかであの人を見たことがある気がするんだけど……」
ルイスの問いに、パニバルが首をかしげると、少し距離を置いて座っていたレインが意外にも答えた。
「バデス・ペッテンコール。王宮近衛隊長を務める男だな。なんでも、王国騎士団長に次ぐ実力者らしいな」
「そ、そうなんすか? どおりであんなおっかない顔なわけだ」
「か、顔は関係ないと思うけどね……」
ルイスの少しずれた感想に、パニバルは困った顔を浮かべた。
読んでいただきありがとうございます。
次が遂に100話目です。




