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殺人姫に再会の花束を

僕が声を掛けると、アリスは何度か目を瞬かせた。


「……あれ、あれ、あれれぇ? おかしいなぁ……なぜか目の前にカナキ君が見えるぞ?」

「先に言っておきますけど、薬物による幻覚作用とかではありませんからね。僕は本物ですし、あなたには用があって――」

「本物のカナキ君じゃない! きゃー久しぶり!」


 この人、相変わらず人の話を聞きはしない。

 僕を本物と認めたらしいアリスは、飼い主に飛びつく子犬のような仕草で僕に飛び込んできた――が、勿論檻があるので、直前でストップ。檻をへし折りかねない勢いで僕に顔を近づける。その独房は鍵穴がなく、魔導具を用いて開錠する特別なタイプである。

 鉄柵に限界まで近づけたアリスの顔は、一月の間、獄中生活をつづけたとは思えないくらいに艶々している。


「元気にしてた!? マティアスさんは元気!? ていうかあの人まだ生きてる!? 学校はどう!? 最近人、殺してる!?」

「……あまり大声を出さないでください。巡回に見つかったら面倒なことになるんですから」


 マシンガンのように放たれるアリスの質問に、僕は辟易とする。セニアの頃から、彼女はマイペースであったが、それは本体も変わらないらしい。


「む、それは確かに面倒ね」


 通じるとは思わなかったが、アリスさんは意外にもあっさり僕の言に納得の意を示した。そういえば、この人は根っからの快楽主義者であると同時に、高い知性も持っていたな、と今更ながら思い出した。

 アリスは「コホン」とわざとらしく咳払いすると、檻の前で正座した。セニアの体とは違い、成熟した女性とはほど遠い未発達の小柄な体であり、そうしていると雛祭りのお雛様のように見えてくるから不思議だ。


「それで、一体何の用かしら。あなたと私の関係はあの夜のベッドで最後、あとはお互い敵同士になるって話だったはずだけど」

「今更そんなクールぶっても遅いですし、そんな記憶もありません。なに急に大人の関係だったみたいに言ってるんですか」

「あは、その冷静なツッコミも久しぶりね」


 アリスがセニアと同じ顔で笑う。顔は全然違うのに、どちらも淫靡的な魅力を持つ笑みだ。


「それで、私に何の用? エトちゃんの仇でも取りに来たの?」

「エト君なら、生きてますよ」


 アリスの表情が変わった。疑うような、真意を確かめるような射抜く視線が僕に突き刺さる。


「……そんな嘘、あなたは言わない人だと思ってるんだけど」

「ええ。だから事実です。そして、今日はアリスさんに、そのエト君を助けるために力を貸していただきたくて参った次第です」

「……どういうこと?」


 本気で困惑しているのだろう。眉根を寄せたアリスに、僕はあれから起こった事の顛末をかいつまんで説明した。いつ巡回が来るかも分からない。細かいところをかなり端折って話したが、アリスはそれでも大体のストーリーは理解したようだった。


「なるほどね……私が面白半分でリークした情報だけであなたに行き着くとは思ってなかったけど、カナキ君、私がいない間にとんでもないことをしていたのね。何で私も誘ってくれなかったの」

「いや、そんな飲み会みたいなノリで言われても……」


 そもそも、誘うためにわざわざここまで来なければいけないなどもってのほかだ。


「まあいいわ。それで、そのエトちゃんを助けるために、私の力を借りたいってことね」

「そのニュアンスは少し違いますね――あなた自身、存在全てを、僕に下さい」


 アリスが眉根を寄せる。顔を覗き込むアリスに対し、僕は表情を一切変えない。


「……どういうこと?」

「言葉通りの意味ですよ。あなたを、ここからは解放します。その代わり、今後あなたの一生全てを、僕のために費やしてください」


 場の雰囲気が変わる。窓もなく、ジメジメした収容エリアの空気を乾燥させるような、焦がれる威圧感が彼女の小柄な体躯から放たれる。

 アリスの眼つきが鋭いものに変わる。明確な敵意を持った瞳は、猛禽類が獲物に向けるような嘲りの色を含んでいた。


「……アンタ程度が、私を使い潰そうっていうのかよ」


 激情を内に秘めた声音であった。しかし、僕の表情は変わらない。


「……一つ勘違いしているようですね。アリスさんには悪いですけど、サシの勝負なら、僕はあなたより強いですよ」


 バキンと、目の前で鉄檻がひん曲がった。

 腕の力だけでそれを行ったアリスは、燃える瞳で僕を見た。次々と体を乗り換えるアリスからすれば、脳のリミッターを外すことなど容易なのだろう。


「言うじゃない……小細工だけが得意な三下が……勘違いにもほどがあるわね。ここで証明してみせましょうか……ッ!」

「――よし、自力で脱出しましたね。それじゃあ、さっさとここから出ますよ」

「……は?」


 呆けるアリスの手を引いて檻から出すと、


「エンヴィ」


 使い魔を呼び出し、アリスの姿を形作らせた。

 今現在作業員に扮している個体から一部を千切ってきたもののため、サイズや細部にやや再現しきれていない点があるが、時間稼ぎにはなるだろう。

 その後、魔法を使い、折れ曲がった檻をそれっぽく修正していると、すっかり毒気を抜かれたらしいアリスが、僕に話しかけてきた。


「……さっきの挑発は、私に自力で独房から出るよう仕向けたためだったの?」

「ええ、まあ。アリスさんのいた独房は特別性らしくて、開錠には特別な魔導具がいるタイプでしたから。あと、仮に巡回に見つかったとき、これならアリスさんが自力で逃げたように見えますし」


 あとは、捕まっている間にアリスの力が衰えていないか確認するためだったが、あれほどの覇気を放てる以上、そこは憂慮しなくて良いだろう。


「全く……相変わらず食えない人ね」


 溜息を吐いて苦笑を漏らしたアリス。

 鉄柵を矯正しながら、彼女に背を向けた状態で僕は続ける。この角度なら、彼女から僕の表情は見えない。


「まあさっきの話は冗談ですが、あなたにはマティアスさんの件で思うことはあります。正直、こんな事態にならなければあなたを助ける気なんて微塵も起きませんでしたが、背に腹は代えられません。僕達への贖罪――の気持ちは絶対ないでしょうけど、せめて友人の頼みということで、今回の件だけは力を貸してください」


 しばらくすると、後ろから柔らかな感触。アリスが抱き着いてきたと分かった。体が一瞬、震えそうになる。


「んふふ、しょうがないわねぇ。友人の頼みってことなら、今回は聞いてあげる」

「……ありがとうございます」


 僕は、胸の内にわだかまる思いを押し殺して、平静な声音で頷いた。

 しかし、すぐさま「でも」とアリスは続ける。


「私、無駄死にだけは御免だから。成功の見込みのない話は、いくら楽しそうでも乗らないからね」


 釘を刺すようなアリスの口調。だが、それは建前だということは分かっている。

 何故なら、僕という人間がどれだけ小心者で、用心深いかということは、彼女自身もよく知るところであるからだ。


「僕を誰だと思っているんですか? リスクを減らすことが出来るなら、どれだけ面倒くさくてもやるほどの小心者ですよ?」

「あは、そうよね、知ってたわ」

「それに、アリスさんが手を貸してくれるなら、色々と融通の利く相手が増えますし……もしかしたら、あの人の力も借りることが出来るかもしれません」

「あの人?」


 小首をかしげるアリスをどけて、僕は立ち上がった。

 鉄柵の矯正は完了した。これ以上、ここに長居する必要はない。

 振り向いた僕は、アリスに安心させる笑顔を向けた。


「それじゃあ、行きましょうか」


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