パーティーの下ごしらえ 1
王都エルヴィンのカルーセ地区、その中央に位置する公園には、噂通りの巨大な噴水が座していた。
まるで生き物のようにうねる噴水とそれを眺める家族連れや恋人たちは、まさに平和の象徴であるような光景で、この時間の大切さを僕自身も身に染みて感じる。こういう、何気ない平穏な日常の瞬間というものは、これからも大事にしていかなければならないものだと思う。
今度のホームルームの時にでも、何とか話題に混ぜたいなぁ。
そんなことを自然と考えていた自分に気づき、苦笑する。考えれば、約二年半もあの街で教員生活を送っていたのだ。自分でも気づかぬ間に、その習慣が定着していたとしてもおかしな話ではない。その仕事自体も結構気に入っていたし、本当に今回の出来事は痛恨の極みだ。これがもし授業だったならば、講師に改善点を質問できたのだけどね。トライアンドエラーを繰り返すことが出来るというのも、学生の特権なのかもしれない。
「……あ」
やがて噴水を眺めていると、こちらに歩み寄ってくる二つの人影に気づいた。
あの二人とこの時間に待ち合わせしていたのだが、噴水に気を取られてすっかり忘れてしまっていた。
「すみません、待ちましたか?」
「い、いいえ! 今来たところです!」
「……アンタ、本当に人と会う時には最初にそれを言うのね」
待ち人であった『共喰い商人』のサーシャと『毒蛇』のフェルトは、対照的なテンションで応対してきた。このあともエルヴィンにはしばらく在中するため、今回はこの二人も同行させていた。
「ていうか、二人とも驚くほど普段着ですね」
「アンタのそれが過剰すぎるのよ」
サーシャはワンピースに麦わら帽子の夏らしい服装であり、フェルトも首元が大きく開いたシャツにデニムのショートパンツという格好で、およそ手配者が外を出歩くような服装ではない。僕なんて帽子を被ったうえで伊達眼鏡まで掛け、マジックシューズまで履く徹底ぶりだ。
「あの……王都は人の数も比べ物にならないくらい多いので、そこまで気を遣うことはないと思います。むしろ、変装しすぎて目立っちゃうことの方が怖いくらいです。王都憲兵団も、そういう人達の方を警戒していますから」
サーシャがおずおずと言ってきた内容に納得して頷く。
「なるほど……勉強になりました。ありがとうございます、サーシャさん」
「そんな……! お役に立てたようで何よりです!」
僕が笑顔を向けると、感激したように目を潤ませるサーシャ。学校から離れてからは、日常の仕事の数がぐんと減ったため、サーシャ達と一緒にいることが多くなっていたが、おかげでサーシャと良好な関係を築くことには成功しつつある。ちなみに、この光景をあきれ顔で見ているフェルトの方は、もう少し時間がかかりそうだ。
話を戻すため、フェルトが一度咳払いした。
「ンン! ……それじゃあ人捜し、だったわね? それを始めましょう。カナキ君、その捜している人の居場所、ていうのは大体目星は付いているの?」
「ええ、それは一応検討がついているんですけど……問題は会ったあとなんですよねぇ」
会いに行く場所も場所だから、そっちもそっちで面倒ではあるんだけどね。
そう言うと、サーシャは不思議そうに首をかしげる。
「えっと……その人はタイガ様に協力的ではないってことですか?」
「どうだろう……どっちかというと、あの人は本当に気分屋だから、実際に会ってみないと分からないってニュアンスが近いかな。あと、何度も言ってますけど、様付けはやめてくださいよ。もっと気さくな感じで構いませんよ」
「と、とんでもありません! き、気さくになんて畏れ多くて……むしろ、フェルトちゃんがなんでそんなにフランクに話せるのか不思議でたまらないよ!」
「いや、まあ私達がされたことを考えると、別の意味で確かに不思議だけど……」
サーシャに呆れ顔を向けるフェルト。そして、サーシャを宥めた後に、彼女は話を戻した。
「それで、その人がいる場所はどこなの? なんかさっき、面倒な場所にある、みたいなことを言っていたけど」
その問いに、僕は神妙に頷く。
「そうなんですよ。図書館の時とは違って、今回は完全な潜入捜査になるので、誰にも気づかれない必要があるので、そこが少々厄介ですね。まあ、それは僕の方でなんとかしますよ」
「……なんだろう、私、とてつもなく嫌な予感がしてきたわ」
フェルトが額を押さえるが、その予想はあながち間違っていない。僕とこうして一緒に行動することがまだ少ないサーシャは、無垢な瞳で僕を見上げた。
「それで、タイガ様。その人がいる場所ってどこなのですか?」
「うん、実はね――罪人収容所なんだ」
潜入自体は可能だとは言ったものの、その準備にはそれなりに時間がかかった。
収容所の従業員に扮して潜入しようと思ったため、まずは収容所に通う従業員をターゲットにしたわけだが、収容所を見張っていても、なかなかそれらしき人物の出入りが見られない。刑務所ではなく、あくまで罪人を収容しているだけの施設であるため、敷地はそれほど広くはないのだが、見るからに凄腕の憲兵が時折巡回に来るため、なかなか継続して監視を続けることが出来ない。これは長丁場になりそうだと腹をくくったが、仕事もなく、ほぼ無一文であったために、宿代や食費などの金銭問題は全てサーシャに負担してもらうという方法で解決した。
「サーシャさん、本当にすみません。この件が片付いたら全部返しますので……」
「そ、そんな、大丈夫ですよ!」
「……ていうか、私達に今まで散々色々なことをやらせておいて、今更そんなことで何で謝るのよ」
「いや、人に迷惑を掛けたら謝りますし、その恩を返そうとするのは当然だと思いますけど。僕だって、そう生徒達に教えてましたし」
「なんでそういうところだけ常識人なのよ……もういいわ、頭が痛くなってくる」
と、フェルトには頭を抱えられるという僕としては納得できない一件もあったが、そんなことも含め、六日間ほど収容所を監視した結果、やっと条件に適う従業員を割り出すことに成功した。
その後は僕の専売特許だ。
その従業員が自分の家に帰ってきて一息吐き、家の電気を点けた時だ。既に彼の家にお邪魔していた僕はただ一言、
「お願いがあるんです」
と言えば、翌朝には彼は僕の“お願い”には何でも応じてくれる即席の操り人形に仕上がっていた。
そのあまりの手腕に、サーシャは「流石です!」と感激し、フェルトはそれを可哀想なものを見る目で眺めていた。大丈夫、あなたももう少ししたら仲間になれますよ。
勤務時間は既に訊きだしている。従業員を懐柔した日の夜に、僕は待ち焦がれた収容所への潜入を果たす。その時には、学騎体の本選まであとわずか、エトが処刑される日まで半月を切っていた。
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