手駒
最早お馴染みとなった喫茶店に入ると、既に待ち合わせ相手は座っていた。
「やぁ、お待たせしましたね」
「――ひッ!」
僕が後ろから声を掛けると、その少女は大げさに肩を震わせてこちらを見上げた。
「すみません、驚かせましたかね? 待ちましたか?」
「……いいえ、私たちもさっき来たところよ」
フェルトは言葉に若干の棘を含ませて言った。彼女が心配そうに視線を向けた先には、可哀想なくらいに震えあがっているサーシャがいる。
「そうですか、それなら良かった――ああ、マスター、僕にもコーヒーを」
椅子に腰を下ろしながら厨房にいるであろうマスターに声を掛けると、小気味の良い返事が返ってくるが、そこにはどこか無理をしているような感じがあった。多分、僕達の殺伐とした空気に気を遣ってくれたのかもしれない。
すると、フェルトが明らかに警戒した声音で僕に問いかける。
「それで、今日私達を呼んだのは何の用かしら?」
「……もう、フェルトさん、そんなに身構えないでくださいよ。サーシャさんだって怖がっているでしょう?」
「これはあなたに怖がっているのよ……」
言わなくても分かるでしょうに。
フェルトの言葉には、言外にそんな意味が含まれていた。
「ああ、まだあの日の事を気にしているんですか? ハンサさんへの仕打ちは、この前のでチャラにしましたから、もう危害を加える気はありませんよ――今のところは」
「~~~ッッ!!」
サーシャの周りだけ地震でも起きているみたいに彼女は震えあがっている。
あの『共喰い商人』でも、流石にあの拷問は相当堪えたらしい。フェルトからも厳しい視線が飛んできた。あまりサーシャをからかうなということだろう。
「まぁ冗談はさておき、今日二人を呼んだのは仕事の話ですよ」
そこでマスターがやってきたので言葉を切る。
目の前にアイスコーヒーが置かれたところで、マスターに追加でバニラアイスを注文する。
マスターが店の奥へ引っ込んだところで、フェルトが話を続ける。
「仕事って言っても、あなたに指示されてやっている今の仕事の他に、何かあるってこと?」
「嫌だなぁ、フェルトさん。僕は指示してるんじゃなくて、ただお二人に依頼しているんですよ。報酬だってきちんと渡しているじゃないですか」
苦笑しながらそう返すと、フェルトは苦々しい顔で僕を見つめ返してくる。初めてフェルトとこの店に来た時は、彼女はもっとアリスのような自由奔放な感じのイメージだったが、今ではそんな印象は一切なく、まるで怪物でも相手にしているかのように常に警戒を怠らない小動物のようになっている。
「……それで、仕事って?」
フェルトは、僕との会話を一刻も早く終わらせようと頭を切り替えたのだろう。それなりに賢しい所も、フェルトの長所の一つである。
「はい、実は五日後からこの街をしばらく留守にすることになりまして――」
その瞬間、サーシャの肩が小さく跳ねたのを僕は見逃さなかった。こういう交渉事などは本来なら商人であるサーシャの方が数段上手なのだが、心を壊して以降、僕の前では面白いくらい素直で従順になったので扱いやすいことこのうえない。
それでもフェルトが言うには、他の商人や手配者相手にはこれまで通りの尊大な態度を取っているらしいから、いよいよもって完全な僕の奴隷となったとみて問題ないだろう。
「勿論、僕が離れている間も、あなたたちの監視は継続しますし、少しでも裏切るような素振りがあればすぐ戻ってきます。その後は、言わなくてもあなたが一番分かってますよね?」
「も、勿論です! 裏切ったりしません、絶対、絶対! だから――」
「落ち着いて下さい。あくまでもしもの話ですよ。僕だってサーシャさんを信用していますから――」
信用しているならばエンヴィを使って監視などするわけがない。事実、フェルトからは白い目で見られた。
そこで、厨房から出てきたマスターが、バニラアイスを運んできた。
「ありがとうございます」
流石マスターだ。個数は言わなかったが、ちゃんと三人分持ってきてくれた。気が利くうえに、空気を読んですぐに厨房へ引っ込んでくれるところも優秀だ。
「それじゃあ、食べましょうか」
「? 私たちにも?」
「ええ、これで夏じゃなかったらシチューをオススメするところですが、流石に今日のこの暑さじゃ厳しいでしょうし、今日はお二人とも午前中は外回りだったんですよね?」
すると、二人とも驚いた表情を作った。
「なんでわかったの」
「だから監視してるんですって」
僕は笑いながらスプーンを口に運ぶ。口の中でバニラアイスが溶け、濃厚な甘みが疲れた体をほぐすように全身に浸透する。
見れば、二人もアイスを口に運び、驚いた表情を浮かべている。ここのマスターの作る料理は、何でも美味しいんだよね――。
「気に入ってもらえたようで何よりです。あ、オプションで凍ったフルーツも乗っけられるんですけど、どうですか? サーシャさんは、特に気に入ると思うんですけど」
「……ほ、欲しいです」
「分かりました」
僕はサーシャさんに安心させるように笑みを浮かべると、彼女も控えめな笑みを返してきた。
すぐさまマスターに運ばれてきたフルーツ――凍らせたみかんだ――をアイスに入れ、一緒に食べると、サーシャは今度こそ、表情を緩ませて笑顔を浮かべた。
それを笑顔で僕が眺めていると、フェルトが困惑した顔で訊いてきた。
「ねえ……一体何が目的なの?」
「? といいますと?」
「こんなことしなくても、私達はあなたの命令には従うわ。だからもうあんなことは――」
「だから依頼ですって」
僕は苦笑しながら言った。
「それに、炎天下の中で仕事をしていた人を労うのは人として当然でしょう」
「……一体何なの、あなた」
「なにって……教師ですよ、魔法学校のね」
フェルトは、露骨に溜息を吐いた。
「……世も末ね」
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