商人の作戦
Side フェルト
フェルトたちがこの街で拠点としている宿屋に戻ると、見張りをしていたオレーヌが、僅かに頷き、扉を開けてくれた。
「ただいま戻りました」
「おかえりー。尾行されてない?」
「もう、サーシャもいい加減私を信用してよね」
中に入ると、サーシャは丁度机の上でお金の勘定をしているところだった。
サーシャはフェルトに目を向けずに言う。
「で、どうだった?」
「ダメだったわ。それどころか喧嘩売られちゃった」
「ふーん。……やっぱり所詮はただの犯罪者か」
表情を変えずに言うサーシャ。彼女の指で白金貨が躍る。
「じゃあ邪魔者は早めに排除するとしようか。この街からはもう少し搾り取れそうだし。目標額まではもう少しだ」
「なんなら私が今すぐ行ってこようか? 他の人達じゃちょっと勝てるか微妙だし」
「不意打ちなら『炎色鮫』でも大丈夫じゃないかな? 確かレートはそんなに変わらないでしょ?」
「そうなんだけど、やっぱり彼、相当曲者だったわよ。遠巻きに見張らせてた四人にすぐ気づいてたわ」
「へー」
空返事するサーシャ。テーブル上の取引ばかりを専門とし、荒事関係は全て用心棒に任せる彼女からすれば、カナキの恐ろしさが良く分かっていないのかもしれない。
「ちなみに、今すぐ彼を殺してきてってフェルトちゃんに頼んだら出来る?」
「……難しいわね。監視に気づいているから奇襲も成功しないだろうし、正面から戦っても、決着を付ける前に駐屯兵団かカグヤに嗅ぎつけられるのがオチかな。そうなると、顔バレしているのは私の方だし、分が悪いかなー」
「そっかー」
まるで遊びに行くのを断られたかように、サーシャは気軽に頷いた。
「それじゃあ、ちょっと別の角度から攻めてみようか」
サーシャが取り出したのは、この街――シールの地図だった。
地図には、所々に印が入っており、サーシャは中から●の印が入っている箇所を小さな指で差した。
「ここに、リーゼリットって家名の家があるの。今日フェルトちゃんが校門で会ったっていう女生徒の中で、幸薄そうな子って覚えてる?」
「うん」
その子には悪いが、フェルトはすぐにポニーテールの女生徒の顔を思い浮かべた。
「じゃあ、フェルトちゃんは今からここに行って、その子を攫ってきて?」
「……は?」
あまりの脈絡のなさに、フェルトは珍しくサーシャの言葉を聞き返してしまった。
「もー、聞こえなかったの? だから――」
「いや、聞こえたのよ? 聞こえたんだけど、あまりにも突然っていうか、なんでその子を攫ってくるの?」
サーシャは外見通り、年齢も十代そこそこだ。そのため、自分の指示に疑問を持ったり、反対意見を言われることをひどく嫌う。
三年以上彼女と付き合っているフェルトも、そのことは重々分かってはいたのだが、たまに、彼女はとんでもなく突拍子のないことを言うため、口を挟まざるをえないことが多々あった。
「情報屋から買った話なんだけど、なんでもその子が『無音の鬼人』の一人娘なんだって」
「……うそ」
フェルトは言葉を失うほどの衝撃を受けた。
『無音の鬼人』と直接の面識はなかったが、彼の話はこの世界に入った時から何度も耳にしたことがあった。世界中を見渡せば、彼より強い人間だって山ほどいるだろう。だが、彼はフェルトと同じハンディキャップ――魔力を持たないという制約を持つ人間だった。
魔法が中心のこの世界、特に魔法大国であるオルテシア王国で、これほどの偉業を打ち立てる人間などそうはいない。『無音の鬼人』は、フェルトの中で憧れの存在とも言えた。
――そんな人の一人娘が、あんな気弱そうな子なの?
動揺するフェルトだが、サーシャは気にした様子もなく話を進める。
「白金貨まで使って引き出した情報だけど、それのおかげでもう一つ面白いことが分かったの。しかも、その一人娘、『イレイサー』と師弟関係を結んで、学校で魔法を教わってるんだって! 『イレイサー』と『無音の鬼人』が繋がってたっていう噂もあるみたいだけど、これはちょっと匂うなーって思わない?」
「……確かにね」
彼――カナキが『無音の鬼人』を知っている。
それだけが頭の中を駆け巡り、それ以外の言葉は全てフェルトには届いていなかった。しかし、それさえ聞ければ十分。
「分かったわ。その、エトって子を攫って来ればいいのね? 殺さなければ多少は手荒にしても大丈夫よね?」
「うん、生け捕りにして、『イレイサー』を人気のない所に誘導させられれば、あとはこっちのもんだよ。その代わり、リーゼリット家の人達には絶対手を出しちゃだめだよ。その人達は悪い人じゃないんだから」
「分かってるわよ」
サーシャが『共喰い商人』と呼ばれるまでに裏世界の商人たちを潰して回っているのは、ただ彼女が利益を得たいからではない。初めて聞いた時、フェルトは驚くを通り越して呆れたものだが、あれからこうして裏世界で多少恐れられるほどまでになったサーシャを見ていると、あながち夢物語でもないのでは、と思えてくる。
「ちなみに、今カナキ君は?」
「カナキ君? ……ああ、『イレイサー』のことね。さっきの定時連絡では、家に帰ったって来てたよ。カフカの店主も、多分そこに担ぎ込まれてるだろうし、襲撃に備えて準備でもしてるんじゃない?」
そっちには誰も行かないけど、とサーシャは嘲りを滲ませた声で言う。
しかし、フェルトは全く油断はできない。先ほど喫茶店で、カナキはあれほど自身満々に啖呵を切ったのだ。それこそ、監視に付いている者達を逆に返り討ちにする準備をしていると思った方が賢明だ。
「サーシャ、万が一監視がやられた時は――」
「分かってるよ。そのときはオレーヌに守ってもらいながら、次の拠点候補に移っておくから。流石に私だって、そこまで向こうを過小評価していないもん!」
「そ、そう。ごめんね」
フェルトは思い切って進言してみたが、サーシャはそれも当然考えていたようだ。戦闘能力は皆無に等しいが、商人としての能力や頭の回転の速さなど、やはりサーシャは優秀だ。それに、S-レートであるオレーヌが護衛としてここに残るならば、何も憂慮することはないだろう。
それでも、あの喫茶店で見せたカナキのあの顔を、フェルトは忘れることが出来なかった。
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