分析
「タイガ先生、先ほどは見事でしたね。思わず聞き入ってしまいましたよ」
「ギュンター先生、ありがとうございます」
少し長引いた朝礼の後、四階にある一年生の教室へ向かう最中に、お隣の三組担任であるエルピス・ギュンターは目尻の皺を深くして微笑んだ。真っ白になった髪は丁寧に整えられており、正にナイスミドルといった風貌だ。
「そうですねぇ、私もさっきの演説には感動しましたぁ」
僕とギュンターに続くように階段を登っていたマリュー・カンナミラも特徴的な間延びした声で賛同する。この人は一年二組の担任である。
「いや、カンナミラ先生は一応貴族の出だよね?」
「貴族でも、みんながみんなテュペル先生みたいにサボってるわけじゃないんですぅ。あと、私の方が年下なんですからぁ、マリューでいいですよ」
「いや、全然繋がってないと思うんだけど……」
マリューは、この学校で数少ない年下の教師であり、学生と間違えるような可愛らしい童顔の女性なのだが、彼女の実家であるカンナミラ家は、先ほどのテュペル家ですら霞むほどの大貴族であり、正直あまり関わりたくない類の人間だ。
セルベス学園は、各学年四クラス編成なので、一年生にももう一人、一年一組を担任しているウルスラ、という僕と同じ医療魔法担当の先生がいるのだが、生憎彼女は先日突然失踪したセニア・マリュースの代理として、一時的に錬金術の授業もかけもちしているため、多忙を極めており、最近はホームルームでさえ副担任に任せている始末だ。ごくまれに校内で目の下にハッキリとしたクマを作った彼女を見かけることがあるが、こればっかりは、僕も多少の罪悪感を覚えている。
「とにかく、テュペル先生にあそこまで言った以上、私たちも他人事にせずに授業の質の向上に努めるべきでしょう。そしてタイガ先生は」
「カレン君たちの方ですね。まぁ、根本にあった問題は解決しましたので、あとはどうにでもなると思います。早速、今日にでも放課後話してみますよ」
「そうしてあげてください」
ギュンターはそう言うと、僕とマリューに背中を向ける。それぞれの教室は、階段からみて右側に一組と二組、左側に三組と四組というように配置されているのだ。
それから数秒もしないうちにギュンターとも二組の教室の前で別れる。四階の一番右奥の教室こそが、我らが一年一組というわけだ。
朝礼のため、時間は少々押している。僕はすぐに教室へと入った。
「おはようみんな! 少し遅れたけど、ホームルームを始めるよ」
僕が入ると、それまで雑談で賑わっていた教室も、徐々に静かになる。だがそれでも、僕が教壇の前まできても、なかなか私語が無くならないのは事実だ。
普段の生徒達の学校生活を監視するため、時折この教室には使い魔であるエンヴィの欠片を配置することがある。エンヴィの使い方は専ら他人への擬態と死体の捕食がメインだが、感覚を共有できるため、目立たないサイズにエンヴィを切り取り、盗聴器やカメラ代わりにすることもある。他の使い魔と違って、スライムであるエンヴィは大きさを調節することが可能であるところは他にはない強みなのだが、地球の動物のような、周りの風景に溶け込むような擬態は出来ないため、発見される可能性も高く、多用は出来ない。
その中で、教室での生徒の雑談を盗聴した結果、一組の生徒から見た僕、カナキ・タイガという教師の評価は、「弁は立つが能力は低く、良くも悪くも人畜無害」といった感じだった。
大方、僕が意図した通りの印象を与えているようだが、些か「能力が低い」という印象を強く与えすぎたのかもしれない。生徒の中でも、カレンのような能力の高い生徒や、オルカ・シュメルを筆頭としたガチガチの貴族派の生徒からは、度を過ぎて見下される傾向が強い。
他クラスの生徒など、特に接点のない生徒達についてはそれでも問題ないのだが、自分の担当するクラスとなるとそうもいかない。いざという時にクラス全体をコントロールしづらいし、何より毎日顔を合わせて露骨にそのような態度を取られれば不快にもなる。
まぁ、だからこそ、今疑っている問題が露呈し、解決できれば、かなりスムーズにその生徒達も対処できるんだけどね――。
「さぁ、お喋りは一旦やめて、今日の予定を確認するよ――」
「……ってことで、今日の職員会議で口を酸っぱくして言っといたから、今度の講義で、先生たちがちゃんとした講義をやっているか、みんなにはチェックしてほしいんだ」
僕が今日の朝礼であったことの顛末をかいつまんで説明すると、僅かにだが、僕を見るみんなの視線に賞賛の色が交じった。
しかし予想通り、中にはあからさまな不機嫌を表す生徒達もいた。教室の後ろの方の席に点々と座る貴族派の生徒、その中でも名門と言われる家出身の生徒達だ。
昨今では貴族と平民の和解が進んでおり、平民だろうと分け隔てなく接する貴族の生徒がほとんどになったが、どんなことにも例外も存在する。このクラスでも、時代錯誤した貴尊平蔑的な思考を持つ生徒は、僕の知る限りでも三人ほどいた。
その三人の中でもリーダー格であるオルガ・シュメルは、露骨に僕の方を睨んできた。魔法師としての適性も高く、高い家名を持つ彼はクラスを牛耳るようになることが予想され、当初は名門貴族の令嬢であるマリューのクラスへの編入が考えられていたそうだが、四組を本来持つ筈だった教師が、カレンとフィーナと同じクラスに彼を入れることで大人しくなるのではと提案し、誰もやりたがらないそのクラスを一手に引き受けたのだという。責任感も強く、教育熱心であったあの先生ならば確かにやりそうだなぁと思うし、だからこそ、無駄な勘の良さを発揮して僕の周辺を嗅ぎまわったことについては残念でならない。結果的にそのクラスを僕が受け持つことになり、そのときばかりは自分の業が回って帰ってきたと諦めざるをえなかった。
「どうしたんすか先生、急に溜息なんか吐いて」
「あ、ああ。ごめんごめん。最近保健室に来る人が増えて忙しくなってね。選抜戦も大事だけど、みんなもくれぐれも怪我はしないようにな」
最前列に座っていたルイス・アルバスに声を掛けられ、僕は我に返った。ルイスはカレンにも物怖じせず話すことのできる数少ない生徒であると同時に、勘も鋭い生徒だ。そんな生徒の前で僕としたことが、知らず知らずのうちに溜息を漏らしていたらしい。
苦笑いを浮かべてそれらしい理由を付けたあと、ホームルームを締める。手元の出席簿を片付ける所作の中で、僕はチラッと、真ん中の列に座るアンドレイ・カンデルに視線を向ける。
彼は猫背を更に丸めて教室を出るところだった。
その後すぐに、オルガも教室を出て行った。
オルガとアンドレイは性格的にも対照的で、これまでも教室で彼らが話しているのを聞いたことがない。
――やはり“あっち”の可能性が高いか……。
本来なら、僕に肯定的な生徒に、話の一つでも聞きたいところだが、残念ながら今回は僕一人の手で解決しなければ意味が無い。
僕は全く何も気づかなかったように教壇を後にすると、教室を足早に出て行った。
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