不吉な呼び出し
第二幕開幕です!
真剣な瞳で僕を見つめる、吸い込まれるような双眸。
「私を、カナキ先生のゼミに入れてください」
「……えー」
昼間の蒸し暑さが残る夕暮れ、突如僕のゼミの演習室にやってきてそう告げたフィーナに、僕は乾いた反応を示した。
「……意外ですね。自分に対する利益の勘定に関してだけは、権力争いで泥沼化している王宮に入っても十分通用するレベルだと先生は思っていたのですが」
「フィーナ君の悪口としか思えない僕の評価はさておき、君の申し出は純粋に僕も鼻が高いよ? なにせ、第一王女お付きの従者が、名指しで僕を師として指名してくれるんだから」
頭に疑問符を浮かべるフィーナは、本当に意外そうに僕を見た。
この国では珍しい、夜闇と見紛うような黒髪だ。この娘と接していると、たまにふと、僕の故郷である日本を思い出す。
「では、なぜ二つ返事で承諾してくれないのですか。自分で言うのもなんですが、私をゼミに持つということは教師内でも鼻が高く、色々と融通が利くようになるでしょうに」
君はなんでそういう泥臭い人間関係のことも知っているんだい、と喉まで出かかったが、フィーナがここに来るまでずっと王宮内にいたと考えたら納得した。そりゃ、歴史小説くらいでしか見たことないドロドロの権力争いを、フィーナは直接目にしてるんだから、職員室内のどんぐりの背比べ的な争いだって、彼女が理解を示すのも頷ける。
「いや、そうなんだけどね。僕としては嬉しいんだけど、果たしてフィーナ君が僕から習得することがどれだけあるのかってことを考えてほしいんだよ」
自分で言うのも悲しいが、カナキ・タイガという魔法師はまさに平凡という言葉を地でいく程度の能力しかない。
これといった得意分野の魔法もなく、強いていうなら、専門である医療魔法くらいだが、それだって病院のベテラン看護師さんくらいの力量だ。この前カレンが入院していたリリス中央病院なんかに行ったら、看護師さんの中でも僕より医療魔法に長けている人など何人もいるだろう。しかも、その僅かな医療魔法の分野も、授業を開いているから、わざわざゼミで教えるほどでもない。そもそも、僕が三級魔法師であるのに対して、フィーナは先の一件で昇級し、準二級魔法師である。
そして大前提として、フィーナには既に師弟関係を結んでいるカレンという準一級魔法師の化け物がいる。
「……まぁみなまで言う必要はありません。先生の考えていることは大体わかっています。先生が一番憂慮しているであろうカレン様からは既に許可を取ってあります。今度、カレン様もお邪魔すると言ってました」
「うそぉ……」
あのカレンがどんな顔でそんなことを言ったのか、想像もつかない。
大体、彼女たちに僕が教えることなど何もないはずだ。あるとすれば……そう、それこそ、以前フィーナ達と早朝にトレーニングしたときのような……。
「もしかして」
「はい。カナキ先生には、魔法ではなく、体術の方を重点的にご教授願いたいのです」
「えー……」
「反応は変わらないんですね……」
最初と同じような声が僕の口から洩れた。
そりゃ僕だってフィーナ、そしてカレンとまでお近づきになれる関係は築いておきたい。
しかし、よくも悪くも体術となると癖が現れやすい。咄嗟の足運びや蹴りの軌道など、『イレイサー』としての僕と戦っているフィーナは特に勘も鋭く、僕の正体が暴かれる、まではいかないにしても疑念を持たれることがあるかもしれない。だが、僕のこれからの教師生活を考えると、フィーナの申し出は無下には出来ないほど魅力的だし……。
むぅ、どうするべきか。
「――その提案、ちょっと待ったぁ!」
「あ、アルティ君!?」
そのとき、沈黙の隙間を縫うようにして待ったをかけたのは、それまで珍しく黙って話を聞いていたアルティだった。桃色のポニーテールを揺らす快活な少女。アルティの隣ではエトが「またかー」みたいたな顔をしている。
「フィーナちゃん、悪いけど先生をフィーナちゃんに譲るわけにはいかないよ!」
「いえ、私はただ、ゼミに加えて頂きたいというだけなのですが……」
「騙されないよ! そう言ってフィーナちゃんはカナキ先生を私たちから奪う気なんだよ!」
「えぇ! そうだったんですか!?」
「違います! エト先輩も信じないでください!」
あ、これ僕の存在が忘れ去られるパターンだ。
先日、彼女たちは初めて出会い、ラーメンを食べたくらいしか接点はなかったはずなのだが、そのときからこうして驚くほど呼吸の合ったやりとりをするものだから、意外に彼女たちは波長が合うのかもしれない。
「だいたい、カナキ先生は私たちの世話で手いっぱいなんだから、これ以上の生徒を相手にするのは無理だよ! 毎日毎日、先生は私の補習とか宿題とか面談とかで忙しいんだから、これ以上先生に負担をかけないで!」
「それはこっちの台詞です! よくそんな堂々と言えましたね!? エト先輩も何か言ってあげてくださいよ!」
「アルティちゃんの面倒を見てくれる先生なんて、後はカナキ先生くらいしか……」
「いや、僕もアルティ君がゼミの生徒で師弟関係じゃなかったら見捨ててたけどね」
「ひどい! 先生のひとでなし!」
「人を過労死寸前まで追い込む問題児には言われたくないよ」
そこまで言ったところで、急に演習室の入り口から同僚のメルト女史が顔を出した。アルティのクラスを担任している教師で、細目でおっとりした喋り方が特徴の女性だ。
「あらぁ、ここは今日も賑やかでいいわねぇ」
「メルト先生、こんな時間にどうしました? アルティ君に用事かなにか……?」
「うふふ、アルティさんの様子を見に来たのもあるんだけど、それはおまけ。用事があるのはあなたなのよ、カナキ先生」
「え、僕ですか?」
「そう。なんでも、教頭先生が、至急カナキ先生を呼んでくるようにってねぇ」
「教頭が……?」
教頭から普段呼び出されることなどほとんどない。最近あったとすれば、それこそ、僕に担任を持ってほしいと打診されたときくらいだが――。
「……なにか嫌な予感がするので、聞かなかったことにしてもいいですか?」
「うふふ、そのときは私も教頭先生に好きに報告するから気にしないでいいわよぉ。あ、カナキ先生のゼミ生、よく見たら綺麗どころ揃いねぇ」
「……教頭先生の呼び出し、謹んで承ります」
このメルトという教師、普段は温和だが怒らせると学園でもリヴァル教官の次に恐ろしいと言われている。大体、彼女の細目の奥の瞳は、いつも笑っていないのだ。
僕は、未だに口論を続ける三人に一応断りを入れてから――届いていたかは定かではないが――教頭の待つ職員室へと歩き出した。
……その後聞かされた教頭の用事が、予想通りの厄介事だったことは、言うまでもない。
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