奇跡
「……終わったようだな」
「ですね」
僕は、セニアが吹き飛んでいった方向を眺める。その先には雑木林が鬱蒼、とまではいかないが、そこそこ豊かに茂っており、奥は暗くて確認できない。だが、流石にあのマティアスの本気の一撃をモロに喰らって生きている人間など想像もつかないし、生粋の魔法師であり、身体を鍛える習慣のなかったであろうアリスならば尚更だろう。
まぁどのみち、もう追いかける体力も残ってないんだけどね。
「カナキセンセー!」
事態はひと段落したと判断したのか、家からアルティが駆け寄ってきて、そのままの勢いで僕に抱きつく。いや、抱きつくというか、これはもうタックルだ。僕は受け止めきれずに地面に背中を強かに打ち付けた。
「あっ、大丈夫!?」
「アルティ君……悪いけど、僕はもう受け止める体力も残ってないんだよ……」
あはは、ごめんなさい、と謝ったアルティだったが、そこで僕の隣に立つマティアスへと視線を向けた。その表情からは、いつも通り感情は読み取れない。
「……今回は、結局全員の痛み分けというところか。利益を享受する者が誰もいない戦いなど、不毛以外の何者でもあるまい」
「……そうですね」
独り言のようにそう言ったマティアスだったが、自然と僕は相槌を返していた。
そのままマティアスが踵を返して歩き始めたので、半分僕に乗っかるようになっていたアルティをよけると、土を払いその後を追う。アルティも、後ろから子猫のように付いてきた。
マティアスが向かったのは、既に廃屋の様相である我が家。こんなときでも律儀に靴を脱いで中へ入るマティアスを見て、僕もそれに倣い、アルティも慌てて靴の踵に指をひっかける。
「あ……」
分かっていたことだったが、やはりマティアスが向かったのは、凄惨な現場が残る居間であった。そこには、魔物をかたちづくっていた多くの骨の残骸や、踏み潰された腸や肉片が転がっており、後ろのアルティが悲鳴を上げないのが不思議なくらいだが、そんな中でも、椅子の上に置かれたエトの頭だけは奇跡的に、そのままの形で残っていた。
「ッ……ぅう」
後ろでアルティのすすり泣く音が聞こえる。辛いなら見ない方が良い、と言おうと思ったが、操られてたとはいえ、これをやったのはアルティ本人だ。ここから離れたところで自責の念は変わらないだろう。こればっかりは、アルティがこれから一生付き合っていかねばならない問題だ。
「これは、セニアの仕業か?」
「ええ。そこにいるアルティ、エト君の友人だった子を使って、直接は見ていませんが、よほど辛い拷問にかけながら殺したようです」
「……そうか」
その声音は沈んでいたように感じた。
マティアスはエトの頭を片手で大事そうに抱え上げると、エトの顔を静かに見つめた。
そして、ポツリと言った。
「その割には、随分と、穏やかな表情をしている」
マティアスに言葉を返すのに、少しだけ時間を要した。
「……マティアスさんに、そう言ってもらえたなら、僕も少しだけ、気持ちが楽になりました」
「ふ……あのお前が、そこまで感情を動かすとはな」
そのとき、初めてマティアスが笑ったのを見た気がした。
マティアスは、静かにエトの頭を元の位置に戻す。そのとき、少しだけマティアスの上体が左右に揺れた。この人もそろそろ限界が近いのかもしれない。
「……お前の魔法で、エトを蘇らせることは可能か」
一瞬の迷いの後に出された問いに、後ろのアルティがはっと息を呑んだ。
「……不可能です。それは、魔法ではなく奇跡だ」
死者の復活。それは、決して短くない魔法史の中でも度々テーマとして持ち上がり、現在では禁忌とされている分野の一つだ。禁止されている理由も、これまで死者蘇生を試みた魔法師たちの実験の数々があまりにも凄惨で、非人道的な研究ばかりだったからで、ある有名な魔法師が「死者蘇生の魔法を人類が習得し、一人の人間を救うことが出来るまでには、あと人類が三度滅亡するほどの研究の犠牲が必要だろう」という言葉を残しており、今では教科書にも載っている。
そういう意味では、僕もいくつか使える禁忌指定の魔法など、前述したようなことと近い理由で封印された魔法など数えきれないほど存在する。だが、僕の知っている範囲の中でも、死者の復活を可能とする魔法は存在していない。
「……まぁ、そうだろうな」
特に落胆した様子もなく、マティアスはふらつきながら居間を移動すると、いつも手配書が入っていた棚、今となってはただのガラクタにすぎないが、そこから、掌サイズながらも、立派な漆色の金属の箱を取り出した。
「これは……」
この世界に来てから、前の世界のような立派な金属の加工品を見るのは初めてである。マティアスがスーツの内ポケットをまさぐると、箱と同じ柄の鍵を取り出す。
マティアスが鍵をカチャカチャやっている中、このときばかりは僕も好奇心に負けてマティアスに問いかけた。
「あの、マティアスさん……。この中には、一体何が……?」
「――奇跡だ」
マティアスらしくない、抽象的な解答だった。しかし、やがて中を確認した僕は、感嘆と驚きの混じった声を上げた。
「これってまさか……賢者の石ですか!?」
「え、ええええぇっ!?」
僕の叫びに、アルティも釣られて驚きの声を上げる。
金庫の中には、まるで宝石のように納められた琥珀色の石があった。
だが、これこそがオルテシア王国の国宝と呼ばれる魔道具である賢者の石だということは、疑いようがなかった。去年、王都に行ったときに見た賢者の石のレプリカと寸分違わぬ色と形だ。
「ん、いや……逆に考えたら」
「そうだ。これはお前も見たと言っていた賢者の石のレプリカと全く同じ、つまりこれもレプリカということだ」
「なるほど……いや、でもこの魔力は……」
一度納得しかけたが、しかし石の中に秘められている膨大な魔力量を感じ取り、目の前の石がただのガラクタではないということを確信する。
マティアスは賢者の石を取り出すと、入っていた箱を無造作に放り投げた。
「ああ。お前も感じたように、この石はただのレプリカというわけでもない。詳しい経緯は私も知らんが、噂では、王宮仕えの一級魔法師が賢者の石を模して作ったのがこれらしい。だが、確かに劣化品とはいえ、この石を作るのがどれだけ難しいかというのは、魔法師ではない私ですら想像に難くない」
そんな……じゃあまさか……。
マティアスの話を聞き、ある仮説に辿り着いた僕は、震えそうになる声でマティアスに訊いた。
「マティアスさん……じゃあ、この石は……」
「そうだ。この石はオリジナルの賢者の石と同じ奇跡を、一度だけ起こすことが出来る」
「どうして、そんな石をマティアスさんが……」
「生を受けてまだ四十年と経っていないが、私は周りの人間と比べて、こういうものに関わる機会が多かったからな。今生では使う機会のない代物だと思っていたが、どうやらそうでもないらしい」
そこでマティアスは、目尻の皺を深めた。
それは、マティアスと出会ってから初めてみる感情的な表情――決意に満ちた顔だった。
「これから私は、この石を使う。起こす奇跡は――」
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