最後の対峙
Side カナキ
彼女たちを探すのにそう時間はかからなかった。
「あら、意外と遅かったわね、カナキ」
爆心地のように周囲一帯が焦土と化した中心地でイリスと聖がいた。そして二人の足元には見知った人物が倒れている。あれは――セシリアだ。
「この人、視覚的にも魔力的にも視認できなくなる珍しい魔法を使っていたけれど、戦士としての技術はイマイチだったみたいね。少しでも移動の痕跡を残せば聖から逃れられるわけがないのに――それで、カナキ、どう?」
そうしてイリスは倒れているセシリアから顔を上げこちらを見ると、屈託のない笑みを見せた。「この人を殺すって言ったら大人しく私の下へ来てくれる?」
「か、カナキ、分かっていると思うが、私に構うな……」
セシリアの呻くように言った言葉に対し、僕は数秒の間、言葉を発することができなかった。答えは分かり切っている。言うべきことも分かる。ただ、その言葉を、その決定を下すのに結局僕は幾ばくかの時間を要したのが事実だった。
「……ほら、セシリアさんの言う通り、頭の良い君なら僕の答えは分かっているはずだよ――僕は、最後まで抗うよ」
「…………そう、そうよね。残念」
そうして少しだけがっかりした顔を作ったイリスは、次の瞬間、何の躊躇もなく、『リッパ―』の刃先をセシリアの背中に振り下ろした。『リッパ―』の能力は大量の眷属を生み出す能力と、その鎌により傷つけられた者はどんなに掠り傷でも付けさえすれば相手を死に追いやる必殺の能力。つまり、もうセシリアは――――
「あ、あ、ぁああああ……!」
遠目からでも分かる。背中の傷口から神聖力がセシリアの体を駆け回り、内側からずたずたに破壊している。皮膚はみるみる間に黒く染まり、それが心臓に達し、命が尽きる前、セシリアの口から僅かに息が漏れた。
「な、るほど。これが、死か――――」
それがセシリアの最期の言葉だった。まるで、興味深い実験の結果を目にした時のような、それくらい自身の死に対して他人事のような気さえするような口調だった。
そこまでが、『リッパ―』を振り下ろされてから十秒と経たない間での出来事だった。自らの師の唐突な死に対し、しかし僕は不思議なほど心が乱れることはなかった。自分がその決定を下すまでに、数秒でも猶予をもらえることができたからだろうか。それともセシリアの最期の言葉からあまりにも彼女らしい言葉だったせいだろうか。もちろん彼女は僕にとって大切な人であることは確かだし、そういう意味では僕は今もっと悲しむべきなのだろうけど、不思議なくらい僕の心は冷静だった。
「……素直に諦めるとは思っていいなかったけれど、そこまで無反応なのは意外ね。あなたにとって彼女はそれほどいなくてもいいような存在ではなかったと思っていたのだけれど違ったかしら?」
その様子はイリスにも伝わったのだろう。彼女はやや意外そうな表情でそう尋ねた。
「そんなわけないさ。なにせ君の足元にいる人は僕初めてこの世界に来た時に出会い、一番長い時を過ごしたかけがえのない人なんだからね」
「なんだ、そうだったの。なら尚更輪廻に還しておいてよかった。カナキのことを深く理解していてよいのは全世界含めて私と私が認めた人だけだもの」
「それを事実に変えてしまう可能性があるのが君の怖いところだね」
「可能性ではないわ。これは事実になるの」
決然とした口調と態度でそう言ったイリスは後ろに控えていた聖に短く目配せした。それで意図を察した聖が僕に向かって歩き出しながら神聖力を解放させ、臨戦態勢に入る。
「まさか『ノア』をまともに喰らってまだそれだけの力を残しているとは予想外でした……」
「普通に死ぬかと思ったけどね。でも、それを言うなら聖さんだって、あんな大技を放ったのに、まだそれだけの神聖力を残しているとは思わなかったかな」
同じく魔力を熾しながら聖にそう返すが、実際僕一人では聖はおろか、イリスにさえ勝てる見込みはほぼない。エトもスイランも脱落、状況の打開策を掲示してくれそうなセシリアもたった今死んでしまった。今はフィーナが抑えているが、カレンが僕を狙っているせいで、一度退くこともできない。さて、いよいよ本当に最後になるかもしれないね。
「聖、分かっているとは思うけれど、カナキに貯蔵されている再生用の魔力はもう使い切ってるわ。とはいえあとで魔力供給をすれば元通り再生するはずだから、必要なら四肢をもぐくらいは許可します」
「おいおい、痛みはあるんだから勘弁してくれよ……!」
「『英傑らの武心』
魔晶石を砕き、魔法を発動したようとしたタイミングで、それより先に聖の術が発動した。
高速で射出された光で形作られた武器を、魔晶石の魔力で身体強化した肉体でなんとか回避する。なにせ僕にはもうストックがほとんど残っていない。多少の傷なら再生できるものの、今致命傷を受ければ恐らくもう治らない。決死の思いで回避している最中、突然目の前に純白の妖精が舞い降りた――イリスだ。
「私が手を出さないなんて言った覚えはなくてよ?」
「くっ――」
聖の攻撃を躱すのに精一杯だった僕は、イリスの握る剣(リッパ―ではない。僕を殺すつもりはないという現れだろう)の攻撃は躱すが、そのあと即座に放たれた蹴りは防げず、まともに受けてしまう。小柄なイリスのどこにそんな力があるのかと思うほどの衝撃に吹き飛び、顔を上げた時には、既に聖が射出したいくつもの光剣が目前に迫っていた。これは全ては避けられない――一瞬で脳裏にここまでの戦いの全てが浮かび上がった。ここまで来るのに多くの仲間を失った。その中には敵、味方問わず、大切な人がいた。それらを犠牲にして、ここまで来たのに――
浮かんだ光景とは別に、現実として眼前に迫る光剣。その光が僕に届く。視界を目が開けてられないほどの光で一色になった。そのときだった。
「まだ何も終わっていないぞ、カナキ……!」
「え――」
耳元で聞こえた懐かしい声。それが聞こえた直後、激しい破砕音が辺り一帯にこだました。
「これは……!」と驚きの声を漏らす聖。「……そう、まだいたのね」と何かを合点したイリス。そうして僕も光にやられていた視界が元に戻り、僕の前に立つ人物の背中を見た時、あまりの衝撃にしばらく声が出せなかった。フィーナの姿を見た時、セシリアが用意した最後の策としてその可能性は考慮していた。しかし、実際にそれが現実となり目の前に現れると、流石の僕でも胸中に渦巻く様々な感情を整理するのに数秒の時間を要した。
「……久方ぶりに会えば、またお前も変わったようだな。纏う空気も以前とは比べようもなく強大になっているというのに、心の在り処は芯に定まっているようだな――――エトも、あれほど成長するはずだ」
「……いいえ、彼女の成長に僕はほとんど関係ないです。彼女は一人でもきちんと成長して、強くなりました。それも、全てあなたという父の背中を見て育ったからですよ――マティアスさん」
かつての僕のもう一人の恩師、マティアスにそう言うと、彼はこちらに少しだけ顔を向け、小さな笑みを作った。「そうか――ならば尚更、ここであれを殺させるわけにはいかんな。力を貸せ」
「――ったく、それが人に物を頼む態度かよ。まっ、楽しそうだから俺は良いんだがよぉ!」
声と共に放たれた『焔刃』は聖の光剣により、全て叩き落とされる。だが驚いたのはそこではなく、その声の主だった。
「ガトーさん!」
「はっ! カナキ、昔も今もてめえはいつも面白そうなことに巻き込まれてやがんな! おい、ミラ! てめえがしっかりサポートしねえと俺でもすぐおっちんじまうからな!」
「ば、馬鹿か貴様! 敵を前に姿を隠している後衛を大声で呼ぶな! 位置がバレるじゃろ!」
左から聞こえてきたガトーの大声、そしてそれに呼応してどこからか聞こえるミラの声。あの時のメンバーだ。僕は突然五年前に時間が巻き戻ったような錯覚に陥った。思わず、近くにアリスやフェルトの姿を探しそうになり、慌てて視線をイリス達へと戻す。
「カナキ、状況は分かっているな」
「マティアスさん達、一度死んだ人が蘇っている……すべてセシリアさんの差し金ですね」
「ああ、あいつらしい人の道を踏み外した作戦だ……そのあいつも逝ったようだがな」
マティアスの表情は見えなかったが、その視線はイリスたちの足元で横たわるセシリアを見ているのは確かだった。
「……まあ、あの人のことだから、この後ひょっこり生き返るかもしれないですけんどね」
「ふ……そうかもな」
「陳腐なセリフだけれど、感動の再会は済んだかしら?」
僕達のやりとりを見ていたイリスがそこでようやく口を開き、突然集まったマティアス達を見回した。
「どうやらあなたたちはカナキの旧友みたいだけれど、彼はこれから私だけと一緒に生涯を遂げる予定だし、そこにあなた達はいらないの。分かってくれないかしら?」
「……貴様らほどの手練れを相手にするのは願い下げだ。この男だけならそれで手を引くこともあったかもしれんが……この男に肩を貸した者達はどうするつもりだ」
「異教徒のあなた達にも分かりやすい言葉をあえて使うなら――皆殺しにするわよ、誰一人例外なく」
「……その解答だけで十分だ」
マティアスの闘気が膨れ上がった。それを合図に、ガトーも『幻獣化』で姿を異形の者へと変える。遂に始まる。
「カナキ、私たちの他にもこれから援軍は来るはずだ。俺や他の者が死んでも最後まで諦めるな。必ず勝機はある…………忘れるな、エトはお前に託しているからな。お前が倒れればそれはお前に付いてきた者全員の死を意味しているからな」
「……はい」
近くにいる僕でさえもかろうじて聞き取れる声でそう言ったのに対し、僕は小さく頷いた。
「さ、始めようかしら。丁度いいわ。最後の戦いにしてはあっけなさすぎると思っていたの。これくらいが面白いのよね、聖……!」
「はい、ですが、イリス様には誰一人触れさせることを赦しません」
静かに光剣を構えた聖。愉しそうに唇を弧の形に歪めたイリス。
両陣営の緊張が最高まで膨れ上がった瞬間、ガトーが放った魔法により、その最後の戦いは始まった。
これにて本章終了になります。
おそらく次が最後の章か、その前の章になります。
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