蜘蛛の糸ほどの希望
午後に入ってからも皇国の攻勢は続き、僕たちは完全に防戦一方の形となった。
相手の戦術は午前と同じくシンプルで、閻魔によりシール外壁部のどこからか精霊騎士なり魔法師が姿を現し奇襲を仕掛ける。それを常駐している部隊の者(それは敵に比べ実力に劣り、さらにそれ以上に数で大きく劣っていた)が食い止め、遊撃隊となるスイランやエトが駆けつける前に撤退し、それを繰り返すことで小さな損害の拡大を続ける。
シンプルな作戦故に対策をしっかりととれば突破の糸口は見えてくるのだろうが、生憎悠長にしていて良いほどこちらに戦力の余裕はなく、真っ先に思い浮かぶ解決策である分散せずに戦力を集中させるという方法も、シール全体をカバーするとなるとどうしても穴が生まれ、結果そこに再び閻魔が現れ、外壁を貫通されるということがこの日だけで三度ほどあった。
ティリアもそれに対して健闘し、陣形をあえて崩した誘い込みや囮作戦で何度か相手部隊を退けることに成功するが、こちらにとっては手痛い損害でも向こうにとっては掠り傷程度の損害にしかならない。すぐに新しい部隊が投入され、僕たちはこの日全ての相手の攻撃を退けはしたが、その代わりに決して無視できない数の負傷者・死者を出した。治療テントも既に半数以上が埋まっており、一人で働くアルティは休む暇もないほど忙しいらしい。あとで僕も助けに行くつもりだが、まずは明日に向けて防衛体制を整えることが先決だった。
「――――という状況でして、皆さんお分かりの通り、私達は現状かなり苦しい状況に立たされています」
その夜集まった面々を前にティリアは現状を報告した。皇国軍は日の入りとともに攻撃がぱたりと止み、油断はできないが今のところ攻撃してくる様子はない。閻魔も日中はかなりの頻度で『ゾルフォート』を使っているはずだし、神聖力を温存しているのかもしれない。
その間に行われたのがこの作戦会議であったが、ティリアの報告を聞き終え、分かってはいたが、ここにきて一般兵クラスの層で起こった被害状況に一同の表情は暗く、重たい沈黙が数秒会議室を包んだ。
だが、その雰囲気を作ったティリアは逆にそれを打ち消すように毅然とした態度で続けた。
「しかし、我々はまだ屈したわけではありません! まだ僅かにですが、皇国に勝つ可能生はあります。始めに言っておきますが、これは敗戦濃厚な指揮官の世迷い言ではなく、戦況を俯瞰して分析した歴とした結果です。そうですね、セシリアさん?」
「ああ、蜘蛛の糸ほどにか細いものだがな」
それまでどこか胡乱げに話を聞いていた一同だったが、水を向けられたセシリアが満更でもない様子で一歩前に出たので、誰もが興味を示し一斉にそちらを向いた。そしてそれは僕自身も例外ではない。
「セシリアさん、この状況の打開策を既にお持ちなんですか?」
「一つ勘違いをしているぞカナキ。別に私はこの状況の打開策を思いついたなどとは言っていない。あくまで僅かな勝機があると言っているだけだ」
「そ、それなら尚更今の状況を覆す打開策が必要になるんじゃないんすか!? このままじゃ戦力差でジリ貧になるだけなんすから!」
「違う、その逆だ。今の状況を続けることにこそ私達に初めて勝機が生まれる」
「? どういうことっすか?」
首を傾げるテオだが、彼女の考えに同意を示すようにその場にいた多くの者が頷いた。そんな周囲に対しセシリアは最初にティリアの方を見たが、ティリアが続きを促すように一度頷くと、彼女は肩を竦め、次に指を一本天井へと突き立てると、「いいか、よく考えろ」と生徒を諭す教師のような口ぶりで説明を始めた。
「まず、先ほどティリアから説明があったように現状の問題点は大きく分けると二つ。一つは敵兵の出所が分からないゲリラ攻撃への対処。そして最後が私達の陣営の致命的な人数不足と比較して防衛範囲が広いこと。相互の問題が絡み合い、事態の解決を困難にさせているように感じられる。一見な」
「はい。このままでは更に少ない人数でより広範囲を守る必要性が出てきます。そうなればもう現状維持すら困難になるのも時間の問題だと思います」
「まあ、そうなるだろうな」
エトの言葉に頷いたセシリアは次いでこの場にいる誰もが驚く言葉を口にした。
「だが、それで良いんじゃないか? 我々は躍起になって防衛に努めているが、むしろこんな防衛ライン、奴らにくれてやればいいではないか」
「えええええええ!?」
どよめきが広がる中、その中でも一番大きな声を出したテオは、勢いよくテーブルを叩き僕を指さした。
「それって、もうこの変態に匙を投げて降伏しようってことっすか!? だとしたら自分は今すぐアルティをおぶさって一目散に逃げたいところなんすけど!」
「おいおい、はじめに言っただろう。まだ勝機はあると」
落ち着かせるようにセシリアは穏やかな笑みを浮かべた。ついでに僕のことを変態呼びしたことも訂正してほしかったが、残念ながらそれはなく、代わりにテーブルに広げられたシール市街及び周辺の地図に視線を落とした。地図は既に先ほどのティリアの説明で詳細な現状が朱書きで事細かに記されている。
「良いか。出没する敵軍の一部隊の戦力から考えて、私達が今取るべき部隊の最低ラインがこれ。つまり、今の二倍程度の戦力だ。だが、こうなると当然、今は隙間なくしっかりとカバーできている防衛ラインは実質半分程度しかしっかりと目を配ることができなくなる。それが先ほどティリアから出てきた問題点だな?」
「そ、そうっすよ。だから……」
「ああそうだ。だから、あえて今防衛している部分のうちの五割程度を皇国軍に譲渡する。私達に利のある地形の優位性は多少失われるが、しかし結果我々は現在の戦況に合わせた適度な防衛体制を取ることができる。別にシールの中に無辜の民が残っているわけでもあるまい。無人の廃墟などいくらでもくれてやればいいのさ」
「な、なるほど……」
セシリアの妙案にテオが唸る。確かに僕達はシールを守っているわけではなく、あくまでイリスと僕との間に結ばれた勝利条件を達成するべく戦っているのだ。『無限障壁』で覆ったとはいえ、別にシールがいくら占領されようと僕達には関係ないことは事実だった。
「ということで、今セシリアさんが説明してもらった内容を基にこれから防衛体制を一から作り直したいと思っているのですが、これに関して他に意見のある方はいませんか?」
全体をまとめようというティリアの問いに各々が考え込む。セシリアの言には一理あるが、これが劣勢となっている自分達が賭ける策となると他に妙案がないか、または何かを見通していないか、一人一人が様々な立場から熟考する。
「……一つ、案がある」
そのとき意外なところから声があった。壁際に佇み、沈黙を貫いていた聖天剋だ。ここまで一言も声を発することなく黙っていた男の発言に室内に無言のどよめきが起こる。
「……はい、聖天剋さん、どうぞ」
少し緊張を含んだティリアに促され、聖天剋はその案を説明した。
聖天剋が説明を終えた時、会議室にははっきりとした困惑と戸惑いの雰囲気が漂っていた。
「確かにそれなら、高確率で敵の頭を潰せる可能性は高い、ですが……」
「……折角の提案ですが僕は反対です」
戸惑う態度のティリアに対し、僕は逡巡しながらもはっきりと反対の声を出した。
「皇国軍側も馬鹿ではないでしょうし、閻魔さんの『ゾルフォート』の大地を操る能力も未知数です。もし作戦前に発見されれば作戦実行者は確実に死にます」
「それは自分が作戦実行者になったときのための保身か? お前らしい考えだが、もしこの案が通るなら実行は俺がやる。だからそう案ずるな」
「そういうことではありません。誰がやるにしてももう少しリスクを考慮した方が良いということを言いたいのです。別に案自体は否定しませんが、もう少し慎重に考えてからの実行でないとまた徒に犠牲を増やすのではないかということに強い危惧を覚えます」
鼻で笑う聖天剋に努めて真剣な表情で伝える。確かにこの作戦を実行する場合、おそらく聖天剋が一番作戦の成功率は高いだろうが、失敗した際は聖天剋を失うということになり、こちらの敗北は確定的なものになってしまう。
「ふむ、私からもいいかな。カナキが今話した危惧は尤もだが、残念ながら私達に時間はあまり残されていないと思うぞ。私が最初に話した防衛範囲の縮小はなるべく早く実行した方が良い。そしてそれに併せて聖天剋殿が話した作戦の準備も行わねばならん以上、結論を先送りにすることはできん。今ここで決めてしまうべきだ」
「ッ、それは、そうですが……いえ、確かにそうですね……」
咄嗟に反論しかけたが、セシリアの言うことは正論であり、途中で言葉を呑み込み、同意を示す。聖天剋の無茶苦茶な提案に反射的に反対しようとしている自分の感情を自覚し、抑えようと感情をコントロールする。確かにそうだ。聖天剋の策は一見無謀に見えるが、成功すればこの絶望的な状況も打破することができる奇跡も起こすことができるかもしれない。そして今の僕達は奇跡でも起こさない限り全滅の道しか残っていないことも事実だった。
「こほん。今カナキさんやセシリアさんから意見も出ましたが、他の方はどうですか? 私としては作戦実行者の危険性などを置いてみれば、聖天剋さんの案は指揮官として魅力的に感じています。場所やタイミングなどはまだ議論の余地はあると思いますが、基本的には賛成です。ラムダスの皆さんはどうですか?」
「……私も作戦とかはよくわかんねえけど、なんか良さそうな作戦に聞こえたぜ。もちろん、私が選ばれても構わねえし、皇国の連中を一泡噴かせられるんだったらむしろ歓迎なくらいだぜ……!」
「……僕は、何が正解なのかは正直分からないです。ただ、このままいけば負けると思うので、何か普通じゃない策を弄さないといけないとは思います」
「じ、自分はちょっと難しいことは分からないので、皆さんにお任せするっすけど、正直実行者とかが自分になるんだったら勘弁っす!」
スイラン、マサト、テオと各々意見を述べる。大体は賛成の意見のようでこの時点で既に話の方向性は決まっていたが、一応この場にいる全員に確認するつもりらしく、ティリアはフェルトとエトにも意見を求めた。「お二人はどうですか?」
「私は賛成。このままじゃジリ貧だっていうマサト君の考えと同意見よ」
「私は……正直反対したい気持ちが強いです。けど、もしみんなで考えて、もうこれしかないってことになるなら、なるべくリスクを減らした状態で実行するのは仕方ないことなのかなと思います」
「なるほど……最後にセシリアさんとカナキさんはどうですか?」
「うむ、私は面白い策だと思うし、意外とあっさり成功するのではないかと思うぞ。あとは朧げな部分を明確にしてさえすれば十分成功すると考える。賛成だ」
セシリアが喋り終え、全員の視線が僕へと集まる。一呼吸入れた後、意を決して僕も口を開く。
「僕も、賛成だ。今の状況を覆すにはこの方法が一番有効だと思う。ただし、実行するからには条件が必要だと思う」
「条件、とは何ですか?」
「二つ。一つは作戦の実行者は聖天剋さんだ。そしてもう一つはこの作戦を聖天剋さんが引き受けてくれるかだ」
「ッ、んだよそれ」
僕の言葉に真っ先に拒否反応を示したのはスイランだ。
「なんで実行がその男って選択肢しかないんだよ。別に私でもお前でも強けりゃ問題ねえだろ。まさか、この期に及んで我が身可愛さにってわけでもねえだろ?」
「もちろんだ。僕だって彼一人に危険を強いるなんて不本意だ。しかし、この中で作戦の成功率が最も高いのは聖天剋さんだってことを稽古を付けてもらった君なら誰よりも分かっているはずだ」
「いいや、分からないね。私だって日々強くなってる。もうラムダスにいた頃の私とは違う。そんな利き腕を失った奴に頼まなくたって私が」
「――――これでもか」
『えっ!?』
聖天剋の左腕の手刀がぴったりとスイランへと当てられていた。
スイランは目を見開き、椅子から腰を浮かせてはいたが、到底回避が間に合う様子ではない。手刀が当たる直前で聖天剋の気配に気付いたようだが、躱すには遅すぎたようだ。他の面々も何が起こったか分からなかったらしく唖然としている者がほとんどで、今の一連の光景がはっきりと視えていたのは僕とエトくらいだろう。魔法師としては破格の強さをもつセシリアですらも今のは視えていなかったに違いない。
「お、ま……」
「この体たらくで俺と並んだつもりとは呆れかえるな。所詮戦場で多少なりお前が活躍しているのも雑兵ばかり相手にしているからだ。あと十年修行してから出直してくるんだな」
「上等だ……今ここで白黒付けても――」
「スイランさん辞めてください! 聖天剋さんも一々煽らないであげてください!」
「チッ……」「む……」
一触即発になりかけた空気はティリアの一喝で霧散する。この二人を一言でぴしっと態度を改めさせるティリアは何気にとんでもないことをやっている気がする。少なくとも僕なら無視されて終わる気がする……。
「皆さんの意見は分かりました。では、今の意見を踏まえ、聖天剋さんの策は採用する方向で進めたいと思います。細かなところは私とセシリアさんとフェルトさんで詰めますので、この後残ってください」
「了解だ」「わ、私も!?」「ぼ、僕は?」
「フェルトさんは人を見る目がありますので、人選に関わってもらいます。カナキさんは日中の激闘に加え、人選に少し私情が見え隠れしそうなので、内容が最終決定した時にお伝えしようと思います。以上、解散」
「「ええ……」」
きっぱりと言い切られ言葉を失う僕とフェルト。ていうか、僕に至っては指揮官の経験もあるのに私情が入りそうと言われるのっていったい……。
「カナキ」
皆思い思いに部屋を後にする中、僕を呼び止める声が聞こえ、振り返った。
「さっきの話と関わる件で話がある。付いてこい」
果たして僕を呼び止めたのは聖天剋で、彼はそれだけ言うと背を向けて歩き始めた。相変わらず僕に拒否権はないらしい。
そうしてその日、ティリア達は作戦を立案し、夜明け前に部隊の再編制とシール内部の準備を完成させた。
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