生まれ変わる
そこはシールの何気ない住宅の一つであり、かつては闇商人を経由して購入した僕の趣味の家だった。
そこで床に横たわっているのはナターシャであり、両腕は縫合して繋げてある。彼女は僕が来るまで眠っていたようだが、僕が部屋に入るとぱっと目覚め、余裕のある笑みをこちらに向けた。一見臆した様子は見えないが、瞳の奥に見える恐怖の色を僕は見逃さない。
「こんなところに妾を閉じ込めてどうするつもりじゃ。敵方の指揮官を軟禁するにはあまり相応しい場所には思えないのじゃが」
「軟禁? ああ、なるほど。少し勘違いしているようですね。ここは一時的にあなたを置いておくための場所です。ここから少し移動するので付いてきてください」
「ふっ、なるほど、そういうことだったのじゃな」
少し安堵の色を見せてナターシャが立ち上がるので、僕は一応釘を刺しておくことにする。
「ちなみに、分かっていると思いますが、あなたの両腕は仮縫合ですし、逃げようとする素振りをしたら即刻それなりの対応させてもらいますからね」
「あ、ああ。もちろん分かっている。この状況で逃げられるとは流石の妾も思っていないからのう」
ナターシャが少したじろぎつつこくこくと何度も頷く。僕の見立てではナターシャは計算高く(少なくとも本人はそう思っている)、危ない橋を渡るのを極力避けようとする傾向がある。今回僕に捕まったのも、敗走すれば閻魔という僕と同じかそれ以上に怖い人が待っていたからだ。だからこそ、こういう状況でもナターシャが脱走を試みる可能惺は低い。両腕を人質に取られ、しかも逃げたところで安寧を得られる場所などもうどこにもないからだ。
それから二人は歩いてシールの郊外まで向かう。最初はあれこれ僕に話しかけて、「妾はお主らにとって有益じゃ」だとか「ナトラの件は閻魔にお主を怒らせるよう支持されたから仕方なくやったのじゃ」だとか色々話しかけてきていたが、「それ以上喋らないでください」と頼むとその瞬間ぴたりと止まった。
昨日は圧勝で戦勝ムードだった街も、今夜は活気が少なく、僕達が歩いている間も誰ともすれ違わない。人通りが少ない場所を選んで歩いているというのもあるが、今日は死者こそ出なかったものの皇国の猛攻による被害も大きく、僕やアルティ達といったナトラと近しい者以外は負傷者の治療や壊された外壁の修繕に回っていることも作用している。そんな夜だからこそ、僕も大手を振ってナターシャを連れ出せたということだ。
「の、のう、カナキ……いや、カナキ殿。一つだけ、一つだけで良いから確認させてくれぬか?」
しばらくしたところで再びナターシャが口を開いた。僕は振り返りもせず「どうぞ」と言って歩を進める。
「わ、妾は、いや、私は……まさかこのまま殺されるという結末ではないよな?」
「……」
僕は答えず歩き続ける。手錠と繋がる鎖を持つ手が僅かに進むのに抵抗しようとするが、そんなことには気づかないとばかりに歩を緩めない。
「な、なあ、答えてくれ。先ほど言った通り、本当に私は生かしておいて損はないはずだ。閻魔もああは言ったが、私の能力は決して軽視していない。そうだ、いっそのこと、私もこちらに寝返り、一緒に皇国と戦おうではないか! 元々私は仕方なく脅されて皇国軍に付いていたんだ! こちら側ならばこの世界を守るという大義もできる! カナキ殿に負けはしたが、私の魔法はまだまだ――――」
ああ、どうしてこの娘はこんなにも愚かなのだろう。知略に富んだ皇女ではなかったのだろうか。
ナターシャの声が聞こえれば聞こえるほど、体温が下がっていくのを感じる。それと同時に、心の奥底からじんわりと湧き上がってくるような懐かしい感覚が上ってくる。
「……分かりましたよ、ナターシャさん」
最早はっきりと後ろに引っ張られていた鎖を離すと、「ひゃん!」とナターシャは尻餅をついた。まだ魔力も回復しきれておらず、そのうえ『魔力阻害の石』の効果範囲にいてはさしもの『妖術姫』もただの小娘だ。
「あなたの言い分は分かりました。確かにあなたは有用だ。交渉のカードにもできるし、魔法師としても優秀だ。これに変えれば、さぞかし上等な代物がいくつも作れるでしょう」
「そ、それは……!?」
思わず後ずさるナターシャが注視したのは、僕が手にしている魔晶石。これの能力を知っているらしいナターシャは顔を真っ青にして、腰を下ろしたまま後退する。
「だめ……許して……」
「……安心してください。『魂喰』であなたを魔晶石にするつもりはありませんから。あなたにはもっと相応しい使い方がある……僕に負けたんですから、しっかりと働いてもらいますよ?」
僕が魔晶石を仕舞い、人を安心させる笑顔を向ける。
ナターシャはしばらく顔を蒼ざめさせて警戒するような視線を送っていたので、僕は「仕方ないですね」と言って溜息を吐き、懐から小太刀を取り出した。それを目にしたナターシャはすぐに気が付き、驚きの声をあげる。
「む、『夢幻の小太刀』!?」
「ええ。あなたの腕を拾った時に回収したものです。ほら、これも返しますから少しは僕の言葉も信じてくださいよ」
そう言って僕は彼女の手にその小太刀を握らせた。流石に手錠は外さないものの、自身の切り札が再び戻って来たことに、思わず安堵の表情を見せ、僕に礼を言った。「あ、ありがとう……!」
「いいえ。それよりも分かっていると思いますが、もしも僕たちにまた歯向かうようなことをしたら今度こそ容赦はしません。そのときは相応の償いがあなたを待っていますからね?」
「も、もちろんだ! 誓って、もう誓ってあなた達に害を与えない! ……だが一つだけ教えてくれ。どうしてあんなことをした私を許そうとする? 自分で言っておいてなんだが、私は、その、ナトラ・レンベルに対し、とんでもないことをした。それなのにどうして……」
後悔の表情を浮かべ顔を背けるナターシャ。確かに、僕はさっきまで彼女を魔晶石に変えようとここまで連れてきたわけだが、直前で気は変わった。ここで彼女を石に変えるようでは昔の僕と同じだ。昔のままではナトラのように他の大切な人を失うことになる。僕はこれまでの人生で何度も通過したような劇的な変化を、再びここで起こす必要があるのだ。
「……ナトラ君が気付かせてくれたんだ。僕も同じままじゃダメだって。だからこれが最初の新しい試みだ。君を魔晶石に変えないことで、僕はまた一歩新しい僕になる」
「カナキ……様」
「連れ出して悪かったね。もう休むといい。さっきいた部屋まで戻るんだ――一人で帰れるね?」
「は、はい! おやすみなさいませ!」
大きな声で返事をしたナターシャがどこか恍惚とした表情を浮かべ踵を返す。手枷はそのままだったが、それくらいは勘弁してもらおう。
そうして手枷から伸びる鎖をじゃらじゃらと引きずりながらナターシャが部屋のあった場所へと戻る――――その一分後だった。
「――――え?」
いつの間にか、ナターシャを街にいた魔物達が取り囲んでいた。
「え、え……?」
信じられないものを見たとばかりにナターシャは人型の魔物達と僕を何度も交互に見る。そしてその光景を目にしながらもにこりと笑みを浮かべ、一切動く気のない僕を見て全てを悟ったようだった。
「ああああああ!」
何らかの魔法を発動させようとしたナターシャだが、『魔力阻害の石』でそれは失敗に終わり魔力は暴発。彼女を中心とした小爆発は取り囲んでいた魔物を吹き飛ばし一時的に距離を生むが、それも束の間その音を契機にさらに魔物達が集まってくる。
それを目にしたナターシャは「ひゃああああああ!」と恐怖の声を上げ、すぐに僕を睨んで叫んだ。
「なんでっ!! どうしてっ!!」
「僕はあなたを魔晶石にするつもりはないと言っただけだ。勝手に曲解したのはそっちでしょう?」
その間にも再びナターシャは取り囲まれ逃げ場を失う。僕が彼女を誘導した場所は人型の魔物が集中する地点であり、人並み外れた性欲ももつ魔物たちが多かった。
涎を垂らし迫る魔物達にナターシャは最後の懇願の叫びをした後に、もう助からないと諦め、両腕を高らかに掲げた。その手にはしっかりと『夢幻の小太刀』が握られてある。
「どうせ死ぬなら、これで――」
直後、仮縫合を解いたナターシャの両腕が地面にぼとりと落ちた。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!」
「ナトラ君にあれだけしといてそんな逃げは許されないでしょ。最後の瞬間まで同じ苦しみを味わってください」
「――――あなた、本当に最低の屑ね」
どれくらい時が経ったあとだろう。
不意に背後から声が聞こえて振り返ると、そこには侮蔑の眼差しを向けるカレンがいた。
「相変わらず突然現れるね。急に声をかけないでくれたまえよ」
「いつものあなたならとうに気が付いているわ。どれだけあのおぞましい光景に集中してたのよ、ド屑」
気付けば既に悲鳴は止んでいた。僕の耳にずっと聞こえていたのはナターシャの声の反響だったようで、照れまじりに頭を掻いた。
「いやあお恥ずかしい。でも、これで胸は多少すっきりしましたよ。最近はあんまりこういうこと控えていましたし」
「……今回のあなたの行動、どう考えても愚策よ。これからの戦いのことを考えればナターシャ・クロノスは確実に魔晶石に変えるか手駒にするべきだった。特に後者はあなたの得意分野でしょう? かつて同じやり口で手下を増やしていたじゃない」
「まあ、それも考えましたが……どうにもそれは普通すぎる気がして」
「堅実な策の間違いでしょう? 今のあなたの行動は感情に任せたただの独りよがりよ」
「でもカレン君、僕のこの行動、果たして君に予測がついたかな?」
「……どういうことかしら」
「意外性といえば何でもなく聞こえるけどね。戦争において予測がつかない相手というのは想像以上に心理的重圧を与えるということだよ……これを見たまえ」
僕が指さした方向には皇国製の通信機器があった。音声だけでなく光情報、つまり動画も取ることができるビデオカメラみたいなやつだ。
カレンはそれを数秒見たのち、「……それがなに?」と問い返した。
「それは僕とナターシャがここに来てから君が現れる前までの様子を撮り続けていた。ここであった出来事はほぼ全て補完されているということさ」
「ますます虫唾が走るわね。それで、それが一体何だっていうの?」
「あの様子はね、リアルタイムで終始街の外にいる皇国軍に見せつけていたのさ」
「―――――――――――そういうこと」
顎に手を添え数秒思考したのち、カレンはそう言って顔を上げる。「本当に醜悪ね、あなた」
「おいおい策士と言ってくれよ。いいかい、人が恐怖するのは絶対的な暴力だけじゃない。自分達には理解できない、邂逅したことのない未知との遭遇もそうなんだ。このあと僕はナターシャの死体を街の近くに移動する。それからの方法は色々あるけどまだ決まっていない。シンプルに死体を細かく刻んで荒野に放ったり、逆に丁寧に体を清めたあとで吊るしたりしてフリーハグ人形にしたっていい。とにかく彼らからすれば理解しがたい、とんでもなく凄惨なことを考え付けばいいんだ」
一例に過ぎないが、かつて地球には歴史上の人物の一人にある偉人がいた。
彼についての記述の多くは真偽のほどが定かにされていないが、曰く、彼は敵軍に限らず、自国の民をも非があれば串刺しの刑に処したそうだ。これを目にした敵兵はあまりの凄惨な行いに戦慄したそうだが、これもある意味ではその時代にそぐわない異常性が、ある種多くの人に恐怖を与える結果になったと言っていいだろう。
ならばそれを僕は、この魔法の世界で僕なりにやってみせる。
「普通にやったら勝てない戦い。それは外側から見ている君だからこそよくわかるだろう? なら普通をやめよう。僕は、この戦争が終わった時に自分の居場所は求めていない。僕と、そして“彼女”がいなくなった世界に、必ずあの子達を連れて行くよ」
「……あなた、分かっているの……そんなことをすれば皇国以外に残った小国もあなた達を支持しない」
「終わった後、他の人達には僕に脅されてたとかっててきとうに理由を付けるさ」
「そんな言い訳、常識的に考えて通用するとは思えないわ」
「だからこそ、その常識を遥かに超える“異常性”が必要なんだよ」
「……」
ここで初めてカレンは閉口した。彼女にとっては恐らく滅多にない、議論において返答に窮した状況だっただろう。
そうして数十秒黙った彼女はやがて溜息を吐き、僕に背を向けた。
「……あなたの考えは分かった。別に止める義理立てもないし、好きにするといい。でも忘れないで。隙あらば私はあなたを殺しにくるわ。何があろうとそれは変わらない。忘れないで」
「うん、肝に銘じておくよ」
「はあ……それじゃ、あとはそこに隠れているお師匠さんと話すことね」
そうして転移魔法で姿を消したカレンに代わり、言葉通り今度はセシリアが姿を現した。その顔はどこか火照っており、目は爛々と輝きを放っている。「セシリアさん……?」
「お前は……お前という奴は……本当に私を飽きさせない男だ……!」
「ちょ、セシリアさん、落ち着いて……!」
「まず時間の経たぬ間に聞かせろ! 初めて見たお前の“趣味”! あの四分三十三秒間、お前は一体何を考えていた! 詳細に伝えろ!」
「ちょ、ほんと、勘弁してくださいよお!」
今日くらいセンチメンタルな気分でいたかったのに!
そうしてしでかした所業に比べて恐ろしく締まりの悪い二日目はこうして幕を閉じた。
なんかこの話はサクサク書けました。
御意見御感想お待ちしております。




