最後の魔晶石
おそらく病室にも護衛はいるだろうし、ここまで派手に戦闘したのだから向こうもマティアスの存在は気づいているだろう。それにも関わらず病室から出てこないということは事前に指示があり、レインが仮に倒されてもカレンを死守せよとでも言われているのだろう。
確かに、今のマティアスの具合はかなり良くない。先ほどの魔晶石のおかげで左腕の凍傷と裂傷は完治しているがレインとの戦闘で受けた傷はそのままだ。右腕と右足の傷は未だそのままだし、身体にも若干の痺れが残っている。頼みの魔晶石も、ここに来るまでに二個使用し、先ほどついに三個目も使用してしまった。まだポケットには一つだけ魔晶石が残っているが、これは虎の子の一個だ。これからどんな有事が起こるか分からない以上、最後まで取っておきたい。
そこまで考えた所で、遂にマティアスはカレンがいるとされている病室の前にまでやってくる。最大限気配を消してやってきているが、病室の中は誰もいないかのような静けさだ。マティアスの聴力をもってすれば、この程度の厚さの壁なら関係なく、中の人間の呼吸音程度なら聞こえてくるはずなのだ。
そこでマティアスは思考を止め、小さく息を吐くと、静かに扉を開けた。この国では珍しいスライド式の扉は何の抵抗もなくスムーズに開き、中の様子を覗いたマティアスは小さく息を呑んだ。
「――流石にこれは驚いてくれたかしら?」
声は窓際から聞こえてきた。マティアスが視線を向けると、窓枠に座る妖艶な女が蠱惑的な笑みを浮かべていた。
「……随分予定と違うようだが――セニア」
「そう? 私の計画では、ここまで全て予定通りなんだけど」
セニアが窓枠から飛び降りると同時に、彼女の黒を基調としたスカートがはためく。
マティアスは、もう一度病室内を見渡す。ベッドが六つは入りそうな部屋の一角に大き目のベッドが一つ。それくらいしかない簡素な部屋の様子は、まさに典型的な病室のそれだったが、逆に病室らしいのはそれくらいだ。今この部屋には、見えるだけでも五つの学生の死骸が、原形を留めない無残な有様で転がっている。
なるほど。どおりで室内から呼吸音が聞こえないわけだ。この部屋にはマティアス以外生者はいないのだ。勿論、目の前で嗤うセニアも、ベッドの上で眠ったように横たわるカレンも含めて。
「また派手にやったな」
「みんな見知った子たちだったから。学校にいたら彼等の人間関係を知る機会くらいいくらでもあったわ。たとえ魔法師として優れていても、まだまだ子ども。やりようなんていくらでもあったわ」
「……なるほどな」
セニアの顔と今の言葉で合点がいった。おそらく明日にはここに転がっている学生たちの親しい間柄の人間の無残な姿が発見されることだろう。
セニアのやり方に、マティアスは思う所がないわけではなかったが、世間から見ればセニアも自分も等しく人殺しだろう。マティアスは胸の中の不快感を溜息と共に吐き出すと、手短に用件を済ますことにした。
「王女は確実に殺したな?」
「ええ。肺を一つ潰したから、このままいくと後三十分もしないうちに勝手に死ぬわ」
「……今回はお前の遊びに付き合っている余裕はない。今すぐ殺せ」
「嫌よ。さっきフィーナちゃんがこっちに向かってくるのが見えたから、もうちょっとでここに来るはずよ」
苦虫を噛み潰したような顔を浮かべるマティアスを気にも留めず、セニアはその場でくるくると踊るように回る。身につけたスカートがふわりとはためき、どこか遠くを見つめるセニアの様子は、まるで恋する乙女のようだ。
「そこで死にゆく愛しの王女様を見て絶望するフィーナちゃんの顔を見て一通り楽しんでから、それから彼女も殺すの。ゆっくりと、嬲るように。あ、それは是非カナキ君の前でやらなきゃね! フィーナちゃんはカナキ君のお気に入りだもの。エトちゃんと二人セットなら、流石のカナキ君でも、泣き叫んだり感情を剥きだしにしてくれるかしら!」
お前の娯楽に付き合う余裕はない。
喉まで出かかっていたその言葉が、急にストンと消え、別に浮かんだ疑問がマティアスの口をついていた。
「待て、セニア。今、エトがどうとか言ったか?」
「ん?」
首を傾げるセニア。何の悪気も無さそうなセニアを見て、マティアスはこのときばかりは聞き間違いかと思った。
思ってしまった。
「セニア、今のは流石に――」
「ああ、もうバレちゃったのね」
マティアスの耳元で風が唸った。
次いで、後ろで壁の崩れる音。振り向くと、そこには壁に幾筋もの裂傷が走り、細かく刻まれた肉塊がボトボトと落ちる。
マティアスは違和感に気づき、自分の肩口を見る。
右肩から先は、まるで最初から無かったかのように綺麗に斬られており、思い出したかのように血が飛び出た。
「――ッ、セニア……!」
「! あはは! マティアスさんとは長い付き合いになるけど、マティアスさんのそんな顔初めて見た! やっぱりこの仕事を引き受けてよかったぁ!」
まるで幼い少女のような屈託のない笑顔でセニアが笑う。そこに一切の悪意や敵愾心は窺えない。彼女は純粋にマティアスの反応を楽しんでいた。自分が用意したサプライズパーティーに恩師がどのような反応を見せるのか、と高揚するように。
ここで遅まきながら、マティアスはセニアの真意を理解する。そう、それは本当に遅すぎた。
「最初から”これ”が目的だったな、セニア」
「ふふ、さて、どうでしょう。本当に、マティアスさんだけが、目的かなぁ?」
今度こそありありと苦悶の表情を浮かべるマティアスに、セニアはどこ吹く風と涼しい表情を見せる。
そして今のセニアの言葉。素直にこの言葉を信じるなら、あるいは今頃エトの方にも――。
その瞬間、マティアスは自分が暗殺者でいることを諦めた。
「――この際、お前が誰に依頼されたのかだとか、何が目的なのかとも聞かん」
「……ッ」
セニアの顔から余裕が消える。当然だ。今までマティアスは暗殺の為に自分が露呈してしまう可能性を極力消していた。勿論それは音であり、気配であり、闘志であり、あらゆる感情も含まれる。
マティアスがそれらを一時的に解き放てば、相対した相手はそれだけで萎縮し、金縛りに似たような現象に陥る。この『遠当て』は、あのレインでさえも例外ではなかったのだ。
マティアスからすれば、彼と大した実力の変わらないセニアとて、これから逃れることは出来ない。
「だがな、セニア。一度だけ、これだけは言ってやる。
――――――そこをどけ!」
言い終わるが直後、マティアスは最後の魔晶石を迷う事なく砕いた。
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