マティアス
「ッ!」
宙を舞ったマティアスだったが、空中で即座に体を反転。体勢を整えて床に着地する。
顔を上げたマティアスが口元を拭うと、手の甲に僅かにぬるりとした感触。久しぶりに流した血に、マティアスは表情を引き締める。
一方、会心の一撃が入ったと思ったシャロンとレインにも少なくない動揺が残る。
「完全に不意を突いたと思ったんだけど……」
「はい。しかし、シャロンさんの蹴りをギリギリで見切ったようですね」
レインの眼には見えた。マティアスが蹴りを喰らう瞬間に自ら首を捻り、蹴りの衝撃を最低限に弱めたのだ。
並の人間の蹴りならともかく、クロスレンジが専門のシャロンが魔術で身体強化を施したうえでの渾身の蹴りを受け流したのだ。マティアスが魔法を使った様子もなく、文字通り今の攻撃を体一つで受けきったということだ。
「近接戦には自信あったんだけどな……」
「流石に相手が悪いですよ。あのシヴァさんでさえ一瞬でやられるような相手なんですから」
シャロンと並んだレインは、油断なく得物をマティアスに向ける。魔弾の早撃ちはレインの得意とする中の一つであるが、目の前の暗殺者が自分より反応速度が遥かに上だということは先ほど証明されている。
やはりシャロンさんとツーマンセルを組んだのは正解だったな――。
他のカグヤの隊員も決して弱いわけではないが、目の前の男の速さに反応できる者はそういないだろう。他の能力などを加味しても、今自分と肩を並べて戦える仲間は、病室で眠っているカレンくらいだろう。その点、シャロンなら自分より実戦経験も豊富であるし、気兼ねなく自分の事だけに集中できた。
「…………!」
一瞬の静寂の後、先に動いたのはレインだった。マティアスの極限にまで薄まった殺気を感じ取り、魔弾の早撃ちで先制攻撃する。
しかし、マティアスは軽く眉を上げた程度で、見えない攻撃をいとも容易く身を捻って躱す。
しかし、出鼻を挫くだけならそれで十分。レインが二弾目を放つのと同時にシャロンが矢のように飛び出す。
それを見たマティアスは即座に回避運動をキャンセル。空に拳を振り下ろし、なんと不可視の魔弾の二弾目を素手で撃ち落とす。
「ッ……ハァ!」
「……!」
動揺を見せたシャロンだったが、それも一瞬。裂帛の気合いを込めると、正面からマティアスと激突した。
体勢が崩れているものの、マティアスは蛇のようなしなやかさで、不利な体勢のままシャロンの首に手を伸ばす。
間一髪でそれを払ったシャロンは、返す刀の要領で魔法を込めた手刀を抜き放つ。
「え――――――がっ!」
一瞬、遠くから見ていたレインも何が起こったのか分からなかった。
攻撃していたはずのシャロンは、何故か瞬きした後には逆にマティアスに投げ飛ばされていた。
先ほどからマティアスの拳に僅かな魔力を感じるが、相変わらずそれ以外に魔法を使った様子はない。だというのに、投げ飛ばされたシャロンは、そのまま壁を突き破り、脇にあった病室の部屋に派手な音を立てて突っ込んだ。
「チッ!」
シャロンを気遣う暇もない。
すぐに間合いを詰めてきたマティアスに駄目元で魔弾を放つが、まるで見えているかのように全て拳で打ち払われる。魔知眼でも使ってない以上、あれが見える原理がまるで分からない。
しかし、分かっていないものでも対処しなければ自分の命はない。レインは、銃の形状だった魔導具を短剣の形状へと変え、逆に前に出てマティアスに斬りかかる。
魔導具の形状変化にもマティアスはそれほど驚いた様子を見せず、冷静に拳で弾く。
そのまま逆の拳でレインの頭を狙うマティアスだが、それこそレインの読み通り。
「『流動』!」
「――ッ!?」
レインの体が突如引き寄せられるように二歩分後ろへ移動。移動魔法の基礎中の基礎の魔法だが、レインの洗練された流動は、傍から見れば瞬間移動のように見えたはずだ。
移動する瞬間に、レインは短剣を再び銃の形状へ。マティアスへ照準を定めると、何かを感じ取ったのか、マティアスはすぐに回避しようと足に力を込め、
「――ぐうっ!?」
それより早くマティアスの肩に閃光が突き刺さった。
“最”上級魔法『雷光千鳥』。雷と同等の速度で雷撃を放つレインの切り札たる魔法だったが、流石にこれはマティアスも躱しきれなかったようだ。それでも、急所を狙った攻撃を避けたのだから、本当に人間離れした反応速度だ。
「…………!」
後退しようとしたマティアスだが、身体の反応が驚くほど鈍い。雷光千鳥の電撃で身体が一時的に麻痺しているのだ。そして、そんな明らかな隙をレインが見逃がす筈がない。
「ッ!」
続けて放たれた二度の雷光千鳥が、マティアスの右の手足を貫く。なんとか後退し、遂に片膝を突いたマティアスだったが、レインも今の雷光千鳥で魔力が尽きる。
(だが、チャンスはここしかない!)
レインは魔導具を短剣の形状へと変えると駆け出した。魔力は底を尽きたが、魔術による身体強化の加護はまだ僅かに残っている。二歩で十数メートルあった彼我の距離を詰めると、その勢いを乗せたまま刺突を放つ。
「――フッ!」
「うぉ!?」
しかし、マティアスが片膝を突いたまま地面を一度踏み鳴らした瞬間、レインの体が急に動かなくなる。まるで、全身の筋肉が一瞬で凍り付いたように強張り、刹那の間とはいえ、レインの動きが確実に止まった。
魔法を使ったならば確実にレインは反応できる自信があった。しかし、魔力も熾さずにこんなことを一体どうやって――。
「……動揺したな」
「しまっ」
マティアスの拳がレインの懐へと完璧に決まる。バキリという破砕音と共にレインの体は吹き飛び、廊下のつきあたりの壁にクレーターを作る。
「が、ぁあ」
まだ麻痺が残っていたのだろうが、それでもマティアスの拳は十分なほどの威力を保っていた。床に倒れても、あまりの激痛にレインは立つことが出来ない。
「レイン君!」
「ッ!」
仕留めたとはいかないものの、しばらくは動けないだろう踏んでいたシャロンが再びマティアスに向かって駆け出してきたとき、マティアスにも僅かな驚きが生まれた。レインとの戦闘でかなり消耗したマティアスだが、それでも迎え撃つべく拳を構える。しかし、近接戦闘のエキスパートであるシャロンから見れば、それは先ほどまでのマティアスに比べれば、自分にも確かな勝機を感じるほどに消耗していると分かった。
シャロンは己の魔力を最大限まで熾すと、一息にマティアスの懐に入る。シャロンの動きをマティアスは目で追えてはいたが、身体はもどかしさを覚えるほどに緩慢だった。
それでも、未来視の域に達するほどの戦闘勘でシャロンの次の動きを予測し、それに先制する形になるようにマティアスはシャロンの頭がくるだろう位置に拳を『置く』。
並の戦士なら次の瞬間にはマティアスの拳をわざともらいにいくような構図になり、頭をすぐに潰されていただろう。だが勿論、シャロンは並の戦士などではなく、一流の戦士だった。
「ッ! 舐めるなァ!」
「――ッ!?」
マティアスの意図を察したシャロンは、直前で攻撃をキャンセル。マティアスの拳を掻い潜ると、彼女の右足に凄まじい凍気が収束する。
「『氷天炸裂』!!」
シャロンの右足をマティアスが防御した瞬間、彼女の足から凍気が爆発するように解放される。するとマティアスの腕が一気に凍り付き、みるみるうちに幾重もの亀裂が走っていく。
「……!」
「なに!?」
だがそこでマティアスは、すぐにポケットに入れていた物――カナキ特注の魔晶石を即座に砕く。
すると、今にも砕け散る寸前だったマティアスの腕が瞬時に再生。亀裂が全て消えていき、凍りも徐々に融け始める。同時に、シャロンの右足から発せられていた凍てつくような風も、マティアスの周囲に発生した熱風により掻き消える。
「くっ……はぁあ!」
「づっ!」
ここで先ほどのレインは動揺を見せて隙を見せたが、しかしシャロンは違った。言ってしまえば、それは戦闘経験の差によるものか。シャロンは動きを止めなかった。
自分の魔法が防がれたと判断したシャロンは、ぶつけていた右足を引くと、そのまま床を蹴り、逆足で膝蹴りを決める。全く動揺せずに違う攻撃を仕掛けてきたことは流石にマティアスも想定外で、その一撃だけはまともにもらい、身体をくの字に歪ませた。更にシャロンは右足を真上へと掲げ、全力の踵落としを振り下ろしてマティアスの右肩を破壊するがそこまでだった。
踵落としは確実にマティアスの鎖骨を粉砕していたが、その痛みを殺し、マティアスは左腕で肩に突き刺さったシャロンの足首を掴んだ。
「くっ、あああああああ!!」
拘束から逃れようとシャロンがもがく前に、マティアスはシャロンの足首を握り潰す。
そしてマティアスはその場で回転して勢いを付けると、片手でシャロンを投げ飛ばした。
悲鳴を上げる暇もなく、シャロンは壁に激突。しかしそれでも勢いは止まらず、決して薄くない病院の壁を貫通して、シャロンの体は近隣の建物へと突っ込んでいった。
「……まずいな」
レインは未だに起き上がる様子はなく、最大の障害であった二人はこれで片付けられた。
しかし、こちらも決して少なくないダメージを負ったし、何よりも時間を掛け過ぎた。もたもたしていれば下から敵の増援がやってくるだろうし、そうなれば今のマティアスでは勝機は薄い。マティアスはレインの始末を後回しにし、まずは最大の目的であるカレンの抹殺を優先することにした。
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