動き出す黒幕
「づっ!」
消し屋の掌底がフィーナの鳩尾に食い込む。繋げて放たれた蹴りでフィーナの身体は浮き、後ろへ吹っ飛ばされる。
「かはっ……!」
先ほどの狩人戦で負った腹部の傷が開き、激痛で起き上がれないフィーナに、しかし追撃は来ない。消し屋は悶えるフィーナをただ静かに見下ろすだけだ。
一体、何を考えているのか……。
なんとか起き上がったフィーナの頭は、先ほどから疑問だらけだ。これまでにも、今のように自分にトドメを刺せる機会が何度もあったはずだ。しかしそのときにも、目の前の人物はただ傍観するだけで、追撃を仕掛けてこない。カウンターを警戒しているのか。いや、違う。フィーナにそんな余力が残っていないことは相手も理解しているはずだ。
「ッ!?」
消し屋の背後、その奥で雷のような光が数度瞬いた。あの方角にはカレンの眠る病院がある。それを見た瞬間、フィーナは再び消し屋へと突進していた。
「せぁああ!」
魔力も行使し、速さと鋭さを兼ねそろえたフィーナの渾身の一撃。満身創痍のこの状況でよく出せたと自分でも満点を与えたいような理想的な攻撃だ。
だがその一撃を、消し屋は当たり前のように防御する。
「ッ!」
消し屋の身につけていたバングルが輝き、両手の先に半透明の刃を形成する。『魔力執刀』の魔法だ。
次の瞬間、フィーナの魔法剣が消し屋の魔力執刀とぶつかるが、その衝撃で刃が欠けたのは、消し屋の方だった。
(行ける!)
刃を交えた状態でフィーナが魔法剣の切れ味を更に上げると、徐々に魔法剣が魔力執刀の刀身に食い込み始める。そこでフィーナは、やはり自分の魔法師としての腕は、消し屋より勝っていることを確信する。
もう少しで魔力執刀を両断する、その直前で消し屋が動いた。あのままでは向こうはただジリ貧だったので、相手が何らかのアクションを起こすことはフィーナにも読めていた。しかし、消し屋が起こしたアクションは、フィーナが脳内で対策を立てていたものとは全て違っていた。
消し屋は、突然魔法を解いたのだ。
「なっ!?」
驚きの声を上げながらも、フィーナの一撃が見事に消し屋を切り裂く。
フィーナが全力を使っていた一撃だ。刃は消し屋の身体の奥深くまで届き、剣の軌道にあった肉や骨、臓器までも寸断する。それは斬ったフィーナ本人が一番良く分かった。
「……がっ!?」
だが、刹那の後、消し屋の放った蹴りで、再びフィーナは宙を舞っていた。魔力を使った気配はなく、純粋な筋力だけによる蹴り。それで人間一人をこう易々と吹き飛ばせるものなのか。
何度か屋根の上をバウンドし、その度に先ほど開いた傷が切り裂かれるような痛みを発する。それでも意識を失わなかったのは、日ごろの鍛錬の賜物としか言えなかった。
朦朧とする視界の中で立ち上がったフィーナは、そこで紫電に包まれる消し屋の姿を捉えた。
雷撃の魔法か、と思ったが、それがすぐに先ほどのフィーナの攻撃でバッサリ斬られた傷口を這うように動いていることに気づいた。そこでフィーナは、今更ながら、作戦前にレインが言ったイレイサーの特徴を思い出した。
「あなたは……不死身なのですか?」
「さて、どうだろうね」
あっという間に傷が塞がると、消し屋ははぐらかすように首を傾げた。
「……手配書は訂正すべきですね。あなたのような化け物がレートB程度なわけがない」
「それは勘弁してくれたまえよ。私は安穏とした生活を欲しているんだ」
「世迷言を……ごほっ、ごほっ!」
言葉の途中で咳き込み、やがて口を塞いでいた手をどけると、うっすらと血が滲んでいた。
「今ので内臓のどこかが損傷を負ったのかもしれない。早く治療を受けた方が良い」
「……あなたは、何なのですか。さっきから手を抜いたり、敵を気遣ったり……。足止めするにしても、私を殺した方が手っ取り早いじゃないですか!」
「君は敵ではないよ」
焦燥に駆られて叫んだフィーナに返ってきたのは、驚くほど優しい声音だった。
「それに、私は別に王女暗殺なんてのに興味はないし、加担する気もない。私みたいな小悪党には大それた犯罪さ」
「……あなた」
おどけたように肩を竦めた消し屋。その仕草に、フィーナは何故か既視感を覚えた。
どこか、この人物の纏う雰囲気に似た人に、自分は会っているような……。
フィーナの心臓が、止まった。
「――――ハッ!!?」
鼓動を再開した心臓と共に、大きく息を吸ったフィーナは、今の尋常じゃない殺気に遅れて体全体が震え始めた。
「なに……今の……」
思わず口に出た言葉は、驚くほど震えていて。
しかし、殺気の出所である目の前の人物は、フィーナの声すら届いていないようだった。
「……このタイミングであの人が……? いや、仕事を終えて帰るにしても早すぎる。予定じゃ、家に戻るのはまだだいぶ先だって話だったのに…………ッ!?」
「ッ!?」
再び放たれた異常な殺気に、今度こそフィーナの歯の隙間から悲鳴が漏れた。
「……ふざけんなよ。あの女、流石にそれは冗談じゃすまされねえぞ……!」
怒気を露わにした声音でそうつぶやくと、消し屋の身体に突然尋常じゃない量の魔力が迸る。先ほどの消し屋とは比べ物にならないくらいの魔力量だ。
屋根を踏み砕き、そのまま消し屋は風となって夜の闇に消える。
何が起こったかも分からず、しばらく呆けていたフィーナだったが、やがて我に返ると、傷ついた体を酷使して、病院への道を引き返し始めた。
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