反撃の狼煙
そのとき、シールのセルべス魔法学校の教室の一角でエトとアルティは共に窓の外を眺めていた。エトは開けた窓から吹き付ける風に髪を抑え、アルティは退屈そうに椅子に座り、足をぷらぷらさせていた。
「ねえエトちゃん。ほんとのほんとに今日で最後にするから、病院の人達に挨拶しにいっちゃだめ? 三一〇号室のおばあちゃんとか毎日中庭にいる女の子とかに別れの挨拶しにいきたんだけど……」
それは先ほど何回もアルティから聞いた提案。おれを聞くたびにエトは首を横に振ったが、しつこいくらいの度重なるお願いを聞くとエトはいつも心が温かくなると同時に心の一部に影が差した。どうしてアルティは昔から変わらずにこの無垢さを保ち続け、反対に私はもう後戻りできないほどにこの体も心も黒く汚れてしまったのだろう。アルティの純真さが親友として誇らしかったり、でも反対にそういう気持ちでいられるのはアルティちゃんが本当の人の心の闇を知らないからで、アルティちゃんが好きな先生はそういう真の人の心の機微が分かる人なんだよ、とか言いたくなることがあったり。いつから自分はこんな嫌な女になってしまったのだろうと思う。
「ごめんね、アルティちゃん。でももう始まっちゃったから」
「ほえ? 始まった?」
呑気にこちらを見上げるアルティにエトは視線を外に向けたまま頷く。
「うん。もう、始まってる」
「嘘ぉ!?」
その途端、アルティが飛び上がり、食い入るようにエトが先ほどまで見ていた方向を目を細めて凝視する。
「始まったって王国と皇国の戦争が!?全然ここからじゃ見えないよ!」
「まあ私も見えてるわけじゃないんだけどね」
しかし視覚では分からなくても五感で感じる魔力は違う。これは、そう遠くない場所で莫大な魔力のぶつかり合いが起きている時の空気だ。バリアハールからシールまでの距離を考えると、戦闘が始まったのは遅くでも数十分前。これまでの皇国の戦争履歴を考えると、下手をすればどちらか一方が既に敗勢になっていても不思議ではない。
「ていうか私達はここにいて大丈夫なの! ていうか先生は!? エトちゃん、先生はどこに行ったの!?」
「はあもう……分かってたけど面倒だし、歯がゆいなあ……」
「なにその面倒な子守り任されたような反応! そして先生は!」
「今は内緒。私達は大人しくここで待ってるよ」
「また留守番、ていうかエトちゃんも!? 確かに私は足手まといだけどせめてエトちゃんだけでも先生のお助けに行った方がいいよ~!」
「まあそれは私も言ったんだけどね……」
エトは今頃どこかで待ち人が来るのを待っているであろうカナキのことを考える。大丈夫、こればかりは僕にやらせてくれと言い残し、エトは残ったアルティの警護を任せられた。それが自分を遠ざけるための体のいい言い訳であることは分かっていたがそれでもエトは承知した。カナキの顔は決意に満ちていたし今の彼ならば本当に必要になれば自分を呼んでくれるだろうという漠然とした信頼もあった。必要なときにきちんと動けるよう準備しておく。それが今のエトがするべき最優先事項だった。
「どのみち戦端が開かれた以上、近いうちに必ず状況を転ずる。だからアルティちゃんも何があってもいいように準備しておいて。もしかすると最悪――」
「うん、わかってる」
それまでと打って変わって妙に落ち着いたアルティの声にそこでエトは初めてアルティに顔を向けた。
「私のことはいいから、必要になったら迷わずカナキ先生の所に行って」
「アルティ、ちゃん……」
ブレないな、この子は。
ふと気づけば、エトの顔は自然と笑顔になっていた。
「うん、二人で先生を助けようね」
それでアルティも笑顔になった。ぶんぶん首を縦に振り、両こぶしを握る。
奇しくも二人が五年前と同じ場所で同じように笑い合った瞬間だった。
「いける……!」
ネロは指揮官用テントの中で、次々と入ってくる情報を聞いて拳を握った。
敵軍の中に落ちていくスイランを再び転移魔法で自陣へと戻したが、そこでネロも魔力切れになり、今は後方で指揮官としての役割に徹している。そして数々の情報からもたらされる戦場の状況はまず王国軍に有利な形とみて間違いなかった。
「やはり天道を先に仕留められたのが大きい……」
聖の(正確には聖の影の)撃破により敵の火力は半減、さらにそこからテオ、そして簡単な治療の後すぐに前線に戻ったスイランの活躍により皇国軍は未だ誰一人として海域を突破して陸に降り立てる者はいない状況だ。恐らく皇国は聖によってこちらの大隊を半壊、もしくは最低でも自身も空を飛び、大火力の魔法を連発し空を支配できるテオの排除はできると踏んでいただろう。スイランが単身敵軍に突っ込むのは危険性の高い賭けだったが、想像以上の見返りを得ることができた。
あとは皇国の残りのカード、単身で戦況を変えることのできる六道達をいつ投入してくるかだが……。
「報告です! 皇国軍が、新たな戦力を投入してきました!」
「来ましたか……!」
そしてテントに入ってきた兵士の報告に朗報続きだったテント内にも緊張した空気が流れる。
そしてその新たな戦力に今現在対応を強いられていたのが空に浮かぶテオだ。
「うおっ!?」
『金剛障壁』に強い衝撃が走り、思わずテオも数メートル後退する。目を細めると、百は浮いていた精霊騎士達が自陣まで後退し、代わりに十数もの新たな精霊騎士がこちらに狙いを定めていた。
「なんか明らかにステージ難易度が上がった感じがするっすけど……!」
牽制代わりに放った無数の『焔刃』は全員に防がれる。ある者は直接叩き斬り、ある者は近づく前に撃ち落とし、ある者には触れる直前で勝手に刃は軌道を変えて海に落ちた。
「スイラン! 強そうなのが来るっすよ!」
それを見てテオはすぐさま地上のスイランに『思念』を送るが、そのスイランはテオとは逆の事を考えていた。
(戦力が、減った?)
スイランが最初に感じ取った四つの大きな神聖力。聖の影は途中で突如出現したため、実質は五つ存在していたが、そのうち二つが先ほど突然消えた。考えられるとすれば『シャロン』による転移が濃厚だが、消えた内の一つが“この戦場で一番大きい神聖力だった”。つまりこの戦場で皇国最大の戦力を向こうは自ら捨てたのだ。戦況はどう見ても王国が有利だし、残りの強大な神聖力の一つ、畜生道も王国の手練れの魔法師たちによって有効な突破口を開けない。そうなれば最後に残った一人が皇国の切り札となるわけだが、果たしてそのたった一人に自分を含めて皇国側が崩されるとはスイランには思えなかった。
(いや、今は目の前の敵に集中だ。こちらに来る精霊騎士は十八。そして……全員がA級以上の精霊装持ちか。特にS級持ちは下手すればテオでも狩られかねない……ここは私達も最大限の支援魔法を掛けてもらったうえで後方支援をフルに貰うのが――)
その瞬間、地中を物凄い勢いで何かが通過した。
スイランの全身が泡立つ。それは先ほど聖の影が登場した時のように、六道独特のとんでもない神聖力の塊を肌で感じ取ったから。
そしてスイランが振り向いた瞬間、王国軍の中枢の地中が爆発した。
とどろく轟音。それに負けずとも劣らない絶叫。降り注ぐ大小様々な岩石。
その中でスイランは捉えた。今日三人目、本体であれば二人目となる六道の姿を。
「地獄道、閻魔。聖イリヤウス様の勅命により貴様らを輪廻へと送ろう」
そうして山のような巨体を持ち上げ六道、閻魔は皇国軍反撃の狼煙を上げた。
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