月光の下に
グロ注意です
狩人は一瞬、眉を上げたが、すぐさまパチン、と指を鳴らす。
「ッ!」
すると、フィーナが足を置いた地点に魔法陣が展開。設置型の罠だと気づいたフィーナは、そこから勢いよく飛び出してきた先端の尖った石柱を、なんとか剣の腹で受け止める。
しかし、飛び出した石柱はそのまま伸び続け、五メートル程度の高さまでフィーナの身体を突きあげた。
空中に放り出されたフィーナに、狩人は追撃を仕掛ける。手に持っていた漆黒の弓に素早く矢をつがえると、二本同時に矢を放つ。先ほどまでのように不可視の魔法は掛けられていないが、純粋に威力を上げた魔弓。
「くっ!」
だが、フィーナは魔法師であると同時に騎士だ。魔法の扱いもさることながら、肉体の鍛錬も欠かしていない。
ほぼ同時に飛んできた二本の矢を、落下中の身体を回転させながら、両方とも完璧に捉え、叩き落す。
着地した瞬間、狩人の追撃を予想して身構えたが、その本人は口笛でも吹きそうな表情で、静かに手を叩いていた。
「やるねぇ。病院で俺の矢を防いだのもマグレじゃないってことか」
「カレン様を護るのが私の務め。遠距離攻撃を撃ち落とすのは必須の技術です。まぁ、見えない攻撃から護るというのは初めての経験でしたが」
強気な言葉とは裏腹に、フィーナは心中で自分が厄介なフィールドに招き入れられたことに毒づく。
フィーナが来る前から、狩人はあらかじめ追撃の手を考慮して、この教会にトラップを仕掛けておいたのだろう。遠距離戦型の敵と見込んでここまで追撃してきたが、まさか逆に自分が敵地に引き込まれるとは。フィーナは、自分の迂闊さに下唇を噛む。
「理解したみたいだな。言っとくが、逃げるにしたって楽にできると思うなよ。俺は狩人。気配を殺して獲物を殺すのも得意だが、逃げる獲物を後ろから仕留めるのも得意なんでな」
獰猛に笑う狩人に、フィーナは虚勢を悟られないように笑みを作る。
「ふ、その得意の暗殺を失敗しているのですから、そちらも大した事無さそうですけどね」
「へっ、よく言った!」
瞬く間に弓をつがえてこちらを狙う狩人。回避するにせよ、これからは移動した先にも罠が無いか気を張り続けなければならない。
引き絞られた弦が狩人の指から離れた時、フィーナの頬を浅く裂きながら、鉄の矢が通過した。
「せああぁ!」
ルークが全霊で放った『火炎柱』がゴーレムの巨体を包み込んだ。
岩で造られたゴーレムに、火属性魔法は相性が悪いが、それでも魔導ゴーレムの動きを一時的に止める程度のダメージを与えられた。
「ディーン!」
「はい!」
更に、ディーンが畳みかけるようにゴーレムの足元に『泥沼』を展開して、膝の辺りまでゴーレムの足を沈める。これで、ゴーレムの動きは完全に止まった。
そのタイミングを見計らい、二人の後ろで待機していたラガーンが飛び出した。手には、二メートルを越えようかという巨大なハルバート。
「砕け散れ!」
魔術で十分に身体強化されたラガーンが振り下ろしたハルバートは、見事ゴーレムの頭に直撃。鉄槌と接したところから、一気にゴーレムの身体に亀裂が走る。
「よし!」
喝采の声と同時に、ゴーレムの身体は弾けるように砕ける。ルークたちは敵が完全に消滅したことを確認して、勝鬨を上げた。
「特に怪我もなく勝てたな。二人とも腕を上げたじゃないか」
「ストレイド先輩こそ。今年の春とは比べ物にならないくらい魔力も上がってますし、魔法の発動ラグも短くなってるじゃないですか。前から先輩は強かったですけど、今は見違えるような強さですよ!」
ディーンに言われて、ルークは苦い笑みを浮かべる。ルークが一重にここまで急成長したのは、先月のカレンとの模擬戦があったお陰だった。
それは多くの者が自信を無くしたカレンとレインの模擬戦を、ルークはすぐに保健室に運ばれたために見なかったことも一因ではあるが、ルークは元々負けん気だけは強かった。
心を折るには十分だったであろうカレンとの模擬戦も、ルークにとっては障害にはならず、むしろより一層彼を努力させる結果となったのだった。
「こちら四班、ルーク・ストレイド。こちらで交戦していた魔導ゴーレムの撃退に成功しました。主な負傷はありません」
『――了解。よくやってくれた。このままいけそうか?』
「はい。なんでも指示をください」
『そうか。なら、お前にも見えただろうが、街の縁辺部にある教会で、現在フィーナ・トリニティと狩人らしき人物が交戦している。四班はそれの援護に回ってくれないか?』
「――よろしいのですか?」
それは、事実上ルークたちがこの作戦の要となりえることだった。なにせ、狩人さえここで倒せば、最大の脅威はいなくなる。その最大の脅威への対処を、まだ三年生と二年生である自分たちだけがまかされるということだった。
『他の班は距離が遠かったり、まだ魔導ゴーレムや駐屯兵団の裏切り者と戦闘している。教会から比較的近くて、手が空いたのはお前達しかいないんだ。頼めるか?』
ルークは、一度だけ他の班員を見回すと、力強い頷きが返ってきた。そうなれば答えは決まっている。
「――任せてください」
「助かる。……死ぬなよ」
最後の一言だけ、いつもの温かさの残る声音で言ったレインは、そのまま通信を終了する。
ルークは自分の身体が震えているのに気づいた。勿論、恐怖もある。だが、それ以上に憧れるレイン・アルダールから信頼されたことに、彼は嬉しさを禁じ得なかった。
「先輩、やりましょう!」
「ああ、行くぞ!」
ハルバートを持ち直すラガーンに頷きを返し、教会の方へ足を向けたルークは
パン。
「ん?」
何かが弾けるような音が聞こえ、ルークが振り返ると、そこには
「は……?」
大の字になって倒れるディーンがいた。いや、あれはディーンなのか? ルークの視界に、理解できない光景が広がっている。
その倒れる“人だったモノ”には、頭が無かった。いや、正確には本来頭が付いている部分には、ぐちゃぐちゃになった赤い何かと、白い紙っぽいものが見えた。ルークは、それが何かに似ているな、と思い、すぐに思い出した。そうだ、これは芋を磨り潰した料理、ポテトサラダに似ている。思い出した瞬間、しかしこれは違うとルークは否定する。あの料理は真っ赤ではないし、何より、こんな月に照らされて、てらてら光る物など入っていない――。
パン。
また音が聞こえた。
そちらを見ると、今度はラガーンが座り込んでいた。
「ラガ……」
声を掛けようとすると、直前でその異常さに気づく。
彼がいつも持っている巨大なハルバート。それが何故か刃の部分が内側に向けられていて、その刃の半分ほどまでが、ラガーンの顔に埋まっていた。
戦慄したルークは、慌てて駆け寄り、彼の身体を抱き起こす。彼の顔を見たルークは、そこで一瞬意識を飛ばしそうになった。
ハルバートは、ラガーンの顔を斜め半分にめり込んであり、ラガーンは既に息絶えていた。目を瞑る暇さえ無かったのだろうか。見開かれた左目には、ハルバートの刃が深々と埋まっており、ネロリとした眼球が半分になって、失敗した目玉焼きのようにハルバートを伝って垂れ流れている。
巨大なハルバートだ。半分ほどしか埋まっていない刀身の刃先は、既にラガーンの後頭部から伸び出しており、先端にはラガーンの大事なものだったはずの何かが先ほどのように月に照らされ妖しく輝いていた。
第六感というやつだろうか。何故か、寒気が走った。
咄嗟に体を転がすと、空気を裂くと言ったような、そんな聞いたこともない音が耳元で聞こえた。
「――躱したか」
ルークがいた所に立っていたのは、スーツの男だった。
どこにでもいるような平凡な容姿だ。髪は短すぎず、長すぎず、適当な長さに切られており、目元にはうっすらとだが、皺が見えた。体格はやや痩躯で、そこらへんを歩いていれば、どこにでもいる平凡な一般人として溶け込むだろう。
だが間違いない――。ルークは瞬時に理解した。二人を殺したのがこの男の仕業であること。そして、自分がそう遠くない時間で、彼等と同じ末路を辿るということを。
「……彼我の力の差を理解したか。その歳でそこまで分かるのは優秀な類だ。ここで私と会う事が無ければ、将来は名のある魔法師として名声を得ただろう」
「死にたくない」
気づけば、自分の声とは思えないような消え入りそうな声で、ルークはそんなことを口走っていた。これにはルーク本人ですら驚きだった。カレンとの圧倒的な実力差を目の当たりにしても心が折れる事のなかった自分が、まさか敵を前にして諦め、かと思うと命乞いをしている。男は、虚空の瞳で、ルークの顔をまじまじと見つめた。
「死にたくない、か。それはそうだろうな。お前はまだ若く、未来もある。その歳では命を落とす、という行為は恐怖でしかないだろう」
「嫌だ、やっとだ。やっとあの人にも認めてもらえたんだ。こんなところで、だ、誰も知らないこんなところで死にたくない」
「志半ばで消えることに心残りもあろう。だが、往々にしてこの世とはそういうものだ。お前が知らなかっただけで、お前の近くでも、死は常に存在していた」
「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくな――――――――――」
「痛みはない。楽にしろ」
懇願とも呪詛ともつかぬ言葉を吐くルークの耳に、またパン、という小さな破裂音が聞こえた。
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