蒼白の炎
「……エト君?」
その変化は唐突で、如実だった。糸の切れた人形のように身体が弛緩し。だらりと両腕は下げられた。一秒くらいだろうか。やがて俯いていた顔を上げたとき、エトの表情は一切なく、そして瞳からは相変わらず光が無くて――
「なっ!?」
次の瞬間、エトがこちらに向かって飛び出した。右手に分解魔法を発動させたままで。
「くっ、エト君!」
こちらも『霧幻泡影』を発動させ、エトの繰り出した右手に拳をぶつける。するとエトは拳を引き、そのまま『霧幻泡影』を纏わせた右手で闇雲にパンチを繰り出してきた。
それを払いながら、僕は混乱する頭の中で何が起こっているのかを思考する。今対峙しているエトは明らかにマトモじゃない。もし先ほどまでのやりとりが嘘で、僕を本気で殺しにかかってきているとしても瞳から光が消えたときから彼女の動きは乱雑だ。今受けている攻撃も速度こそあるが、動きは精彩さを欠いており、無駄も多い。つまり、先ほどまでの達人的の域に達している技術が全く見られないのだ。無表情でただ同じ攻撃を繰り返す姿は、まるでロボットのようにすら感じる。
「エト君!」
「――――――」
呼びかけても無駄だった。ただエトは殺意の塊のような漆黒の光を纏わせた右手を僕に振るうばかりで、その内側は見通せない。しかし、僕は時折魔晶石を砕いているが、エトにはもちろんそんな様子はない。だとすればこれほど長時間『霧幻泡影』を発動し続けるのはいくらエトでも……。
直後に、エトは吐血し、目、鼻から夥しい量の血が流れだした。
「――――――――ごめん」
直後に放たれたエトの拳を僕はあえて受ける。右肩に直撃したその攻撃は右肩を消失させ、付け根を失った右腕は地に落ちる。だが、その代償に僕は左足に『魔力執刀』を展開させ、真下から彼女を蹴り上げ、同じく右腕を肩口から寸断する。
飛んでいくエトの右腕と落ちていく僕の右腕。エトがやはり無表情で自分の右腕を見上げたとき、僕は今目の前にいるエトがエトではないことを確信した。
「『魔力執刀』」
僕が足先に通常よりも幾分長い刃渡りの魔力執刀を展開したとき、ようやくエトはこちらを向いた。
「シィ――」
僕が放ったローキックはエトの両足――鋼で作られた漆黒の義足を両方とも寸断し、支えを失ったエトはそのまま地面に倒れ込んだ。
「――――ぁ」
なんとか起き上がろうとするエトだったが、両足、そして右腕を失った体では藻掻くことしかできない。僕の右腕は既に再生したが、エトはもう魔力を使い果たしたせいか、ちろちろと赤い紫電が傷口を舐めるが、再生はどうしようもなく遅い。これでエトの無力化は成功したと言えるだろう。
「さて……」
とりあえず安堵した僕は天井を眺めた。正確には、天井のその先、上空にいるエトを操っていたであろう人物を、だ。
エト君を勝手に操り、あまつさえ死ぬまで使い潰そうとした輩だ。消すのは当然として、可能ならば最大限の苦しみを与えてから殺さないと――――
そう考え、魔晶石を砕こうとしたときだった。
『カナキ・タイガ! 逃げなさい!』
「え?」
突然鳴り響いた僕への警告。その切羽詰まった声の主は普段の彼女を知っている者ならば誰もが驚くであろう、マスター・モルディのものだ。
彼女がここまで驚くことなんて……驚きつつも、即座に魔晶石を砕いた直後だった。
「――――『絶対魔法・地獄嵐』」
天井が崩れ落ちると同時に、蒼白の業火が僕たちに降り注いだ。
「ぐ……くぅ……」
再生が終わり立ち上がると、そこはもう先ほどまでの学校の体裁を保っていなかった。
校舎は半壊し、至る所であの蒼白の炎が燃え上がっている。一目見ただけで分かる、凄まじい魔力を有している炎だ。ただの水では消えない、放っておけばポートレイルの街全てが焼き落ちる可能性がある。
「ようやくお目覚めですかな?」
頭上から掛けられた声に弾かれるようにして上を向いた。
そこには、見知った老人が上空から僕を見下ろしていた。
「エヴィルさん……そういうことですか」
「ほう、噂通り頭の回転が早い」
その老人、エヴィルは紫のローブをはためかせ、こちらを見て笑みを浮かべた。「流石はフォート先生……いや、カナキ・タイガとお呼びした方がよろしいですかな?」
「僕はロラン・フォート。ただの一教師ですよ。それより、そちらにいる人を返してもらえませんか?」
僕はエヴィルの隣に浮かぶエトを見て言った。「それは僕にとってまだ利用価値のあるものなので」
「ほっ、利用価値と来ましたか」
エヴィルは面白そうに笑う。かつては柔和そうな印象のあった眼鏡の奥の瞳は今や不気味なエメラルド色に輝き、僕のことをさも滑稽だとばかりに見下ろしている。
「この期に及んでまだそんなことを……まあ、あなたはそういう風にしか言えない人ですから。しょうがないかのかもしれませんがね」
「知ったような口を……」
僕が魔法を発動しようとしたとき、それより先に巨大な炎がエヴィルをすっぽりと包み込んだ。
「モルディさん!?」
魔法の出所を見ると、そこには身体の至る所に傷を負い、息も絶え絶えになったマスター・モルディが毅然とした視線をエヴィルに向けていた。
「エヴィル……いや、イェーマ・コンツェルン! まさかあなたが黒幕とは……!」
「ほっ、そういうことですか」
火炎を片手で払い、ローブに煤一つ付けずにエヴィルはモルディを見た。
「先ほどの特級魔法、強固な結界を作り出す『迷宮作成』すらも破壊し、あなた方全てを灰にする威力だったにも関わらず、ここまで学校が姿を残していることが疑問でしたが、咄嗟にあなたが結界内で『無限障壁』を発動させて更に威力を軽減させましたね? まあそのせいであなたの魔力も既に限界のようですが、マスター・モルディ」
「それでも、ここであなたを足止めしていればやがてポートレイルから増援は来ます。イェーマ・コンツェルンが現れたと聞けば、帝国全体とて本腰を入れてあんたを討伐するよう動くでしょう」
「イェーマ?」
聞き覚えのある名前に記憶を辿ろうとすると、その前にエヴィル……いや、イェーマが自ら名乗りを上げた。
「おお、そういえば本当の名前を言っていませんでしたな。では改めまして、カナキ殿。私はイェーマ・コンツェルン。元はクロノス帝国魔法師団に所属していた身ですが、訳あって今は手配者に身を落としている者です」
「『メル』七位、『傀儡王』の異名を持つ正真正銘の怪物です……。しかしまさか特級魔法までも扱えるなど……」
忌々しそうに言うモルディだったが、僕が驚いたのはそこではなかった。
その家名に、思い当たる人物を一人だけ知っていたからだ。
「――――ほっ、ほっほっほっ!」
突然イェーマは高らかに笑い出した。その異様な様相にモルディまでも口を噤み、警戒するように構える。
「……まさかあなた“アレ”の知り合いでしたか。よもやこんな形で関係者と出会うことになるとは、数奇なものですなあ」
だが、イェーマが笑った理由について、今の奴自身の言葉で僕は確信した。
間違いない。奴もあの人と同じく“あの眼”を持っている。
「その通り。まあ私は彼と違って後天的に手に入れた物ですがね――そうです。あなたの知っているラーマ・コンツェルンは私の愚兄にあたります」
その言葉にモルディは突然激昂した。
「貴様如きが、あの方を愚兄呼ばわりするなど……!」
「五月蠅いですよ」
イェーマが片手を払った瞬間、モルディが小枝のように吹き飛んだ。僕にも何が起きたのか理解できなかった。見たことのない魔法。異常事態ばかりで、思わず思考を放り出しそうになる。
「ほっほっほっ。今の私なら彼の王女殿下さえ圧倒できますよ。まあ、要件も果たしましたので私はこれにて退散させていただきます」
「ッ、待て! エト君を――」
「この娘にはまだ利用価値があります。私の目的が達成された暁にはお返ししますよ。まあ身体の状態までは分かりませんが」
「――――殺す」
魔晶石を砕き、『終末』を発動しようとしたとき、イェーマが片手を体の前で大きく横に切った。
「『次元斬』」
「ば――――」
ばかな。そう言い終える前に、僕の腕は寸断されていた。
右腕が消失したと同時に第六感が次の攻撃が来ることを告げる。
「ほう……」
イェーマが感心するような吐息をついた。
およそ十六の不可視の斬撃を全て躱した僕は、再生した右腕を確認しながら、今の状況について思考を巡らせる。
「ふむ、検証するのは勝手ですが、次の行動まで思考すれば私には筒抜けですよ?」
「しまっ……」
「――――戯れはそれくらいにしろ、老いぼれ」
イェーマからの次なる一撃が放たれる前に、僕の攻撃は埒外のところから繰り出された。
「ほっ、無事でしたか、聖天剋殿」
「予定の時刻になっても迎えに来なかったから直接向かってみれば……お前、こんな些事で俺にわざわざ出向かせたのか?」
起き上がった僕の先では、狐の面の男、聖天剋が意図的に殺意を放ち、イェーマに詰問していた。
「それについては面目次第もございません。予想外のところで身内の知り合いがいたもので、つい興が乗ってしまい」
「お前のくだらん事情などどうでもいい。それよりも目的は達成したのか?」
「はい。『右足』はしっかりと回収しました。『鬼神』が負けるという予想外の出来事はありましたが」
「……ふん。なら、長居は無用だ」
「ええ、そうですね。それではカナキ殿。機会がありましたらまた――『空間転移』」
そうして彼らは僕たちの前から姿を消した。エトを含めて。
辺りではただ炎が草木を呑み込む音がパチパチと聞こえていた。
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