決戦前 暗殺者の館
大変更新が遅れております。ごめんなさい。
アルティを家まで送り届けた僕は、そのままエトの家にお邪魔していた。
家には、既にセニアにも到着しており、着々と準備を進めていた。
「――となる。だから、お前には陽動と攪乱を任せたいのだが、お前が今使える手駒はどれほどいる?」
「そうねぇ。駐屯兵団に七、八体紛れ込ませてるけど、どれも魔力すら持たない雑魚しか――あ、今のは別にマティアスさんをディスったわけじゃないからね」
「そんなことは良い。話を続けろ、セニア」
エトと共に帰宅し、居間に入った途端、こんな会話が聞こえてきて、二人があまりにも自然体であることに尊敬を通り越して呆れてくる。
「あ、二人とも今帰ったの? おかえりー」
「せ、セニア先生、今日もいつも通りで何よりです……」
僕と同じ気持ちだったらしいエトが中途半端な笑みを作る。
セニアとマティアスを挟むテーブルを見ると、隅々まで細かく字が書かれた紙が数枚散らばっている。 セニアはともかく、マティアスは仕事の際、僕と同じくらい入念に構想を練るのだ。
僕はマティアスに話の続きをするよう促す。
「……つまり、駐屯兵団にもいくつか手駒はあるんだな? では、街中にゴーレムを放って攪乱する際、本丸の警備が手薄になったとき、その手駒も使え。それで駐屯兵団はしばらく機能が低下するだろうし、その隙に『狩人』が勝手に暴れてくれる可能性もある」
「了解。“この身体”はどうすればいいの?」
「お前もまだその身体は惜しいだろう。“セニア”は比較的警備の薄い地区を警備している連中で好きに遊んでいるといい。その後は私がやろう」
「その後は、ていうけど、この程度の陽動じゃ混乱はすぐに収まるだろうし、一番厄介な連中を本丸から引きずりだすのは多分無理だよ? 『カグヤ』と駐屯兵団の主戦力相手に、マティアスさん一人で大丈夫なの?」
「――問題ない」
マティアスは、いつも手配書が入っている棚の引き出しから、黒い宝石箱のような物を取り出す。
それを開けると、中に入っていたのは魔術の術式が刻み込まれたネクタイピン。確かあれは『鉄の籠手』の魔術が込められていたはずだ。
そのネクタイピンには針しか付いておらず、その針の先端にマティアスさんは僕が作った魔晶石を付ける。最下級魔法である『鉄の籠手』程度なら、あの魔晶石だけで常時発動できるだろう。
そしてマティアスは着ていた白地のワイシャツの上から、黒のジャケットを羽織り、ネクタイを着けて最後にネクタイピンを付ける。これが、マティアスの仕事の時の正装だった。
これで見た目はどこにでもいるビジネスマンである。しかし、初めて会った人が、彼のビジネスを見抜く事は出来ないだろう。
ネクタイピン以外、マティアスは武器といった物を全く身につけず、おまけに魔力すら持たないので、魔力探知もされない。それはつまり、戦士でも魔法師でも無いという事で大抵の人はこれだけで警戒を弱める。数十年、彼が暗殺を“一度も”失敗しない理由の一つだった。
「ではセニア、八時を過ぎたら好きな時に始めろ。私は、そのとき仕事をこなそう」
「はーい。それじゃあ、仕事完遂の打ち上げでまた会いましょー」
まるでいつも通りの気軽さで、セニアはマティアスを見送る。
マティアスも一つ頷くと、エトに特別何か一言声を掛けることもなく、玄関の戸を閉めた。エトも心得ているようで、その表情に全く戸惑いは無かった。
曇りガラスに映るマティアスの影がやがて消えると、セニアは大きく伸びをした。
「うーん、頭使ったらお腹が減ってきちゃった! エトちゃん、カナキ君、どっか食べに行かない?」
「あなた達の図太さには本当に感心します……僕は遠慮しておきますよ」
「あの、私も今日は、家でお父さんたちを待ってることにしますので……」
「あらそう? じゃ、私一人で焼肉でも行ってこようかなあ」
セニアはそのままハイヒールを足にひっかけると、去り際に僕の方へ振り返った。
「――カナキ君。今日は本当に何もしないつもりなの?」
「当たり前ですよ。こんな大規模な戦闘で僕が生き残れるわけがない」
「嘘つきね。……まぁ、いいわ」
――つまらない男。
セニアはそう言い残すと、今度こそ玄関から外へと消えた。
庭では鈴虫が鳴き始めたようだ。ガラス戸から鈍く差し込まれる夕陽が、僕達の足元をぼんやりと照らしている。
「……先生も、準備しなくて良いんですか?」
一気に静かになった家の中で、そう絞り出したエトの声が板張りの廊下に溶け込んだ。
「セニア先生にはああ言ってましたけど、本当は先生も今日、何かするつもりなんですよね? 二人には言わないでおくので大丈夫ですよ」
「……エト君、どうして」
「今日のフィーナさんを見つめる先生の目を見ればわかりますよ」
ぎこちなく笑うエトを見ると、その瞳は僅かに涙が滲んでいた。
どうしてか謝罪の言葉が喉まで出かかったが、それを呑み込むと、僕も本来の、ぎこちない笑みを見せた。
「……表情を作るのには自信があったんだけどね」
「舐めないでくださいよ。私はカナキ先生のこと見てきて、もう四年も経つんですからね」
胸を張るエトに新鮮さを覚えながら、僕は居間に戻ると荷物をまとめる。とは言っても、特に大きな荷物は無い。先日のアルダールとの戦闘でも使用したこの国では珍しい拳銃に、魔晶石を五つ。後は『魔力執刀』の術式が刻まれた白色のバングルを付けるだけだ。
複雑な表情でそれを見守るエトに、僕は笑みを見せた。
「大丈夫だよ。今日は別に大きくどうこうするつもりはないし、そんなに危険はないさ」
「……本当ですか?」
「今日の君のお父さんの仕事に比べたらね。まぁ、夜間パトロールみたいなものさ。うちの学園の生徒が危険な目に遭っていないかっていうね」
そう言って僕がウインクすると、エトは困ったように笑ってくれた。
「帰り、お父さんたちと待ってますね」
「うん。そんなに遅くはならないはずさ」
最後に僕はもう一度笑いかけると――勿論、あの安心させる笑顔をだ――外に飛び出した。
向かう先は既に決まっている。カレンが入院している病院からそう遠くない、複数の狙撃ポイントが見渡せる一角だ――。
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